第8話 友達
あっという間に、恐れていた日がやってきた。
放課後の教室は、部活に向かうみんなの声でガヤガヤしてる。そんななか、私は教科書をスクールバッグにしまうと重たい気分で立ち上がった。
(……これから模擬裁判……。嫌だな……)
土日に勉強はしたけど、いまいち集中できなかった。講師として来るお父さんの前で活躍できる自信はこれっぽっちもない。
憂鬱な気持ちで教室から出ようとした瞬間、誰かとぶつかった。
「「ごめんなさ……」」
声が重なって止まる。……顔を上げて目が合った相手は愛来ちゃんだったからだ。
同じ部屋にいるけどお互い顔を合わせないようにしてるから、すごく久しぶりに会ったような気がする。いつもお団子にしていた髪を下ろしている愛来ちゃんは、寝不足なのかクマがひどい。
「っ、あの!」
ぶつかったことを謝ろうとしたけど、愛来ちゃんは隣を素通りしていってしまった。
(……これじゃあ、話なんてできっこない)
自然とため息が落ちた。
(……お父さん、もう学園に着いてるのかな)
スマフォの画面をチェックしてみたけど、連絡は来ていなかった。
わかっていたことだ。
私たち親子は、とてもじゃないけど仲良しだとは言えない。
家で会っても挨拶したり本当にちょっとした会話をするくらいで、休みの日に一緒に外出したことなんてない。寮に入って家から離れたら「元気にしているか?」くらいの連絡は来るかなと思ったけど、それもなかった。
相当大切な用事がないと、個人的に連絡なんてしてこないんだろう。
(……どうでもいいことだけど……)
私はもう一度息を吐き出すと、会場に向かって歩きはじめた。
* *
異変が起きたのは、それから三十分くらいあと。
本物の法廷そっくりの教室で、模擬裁判の順番と割り当てを決めてるときだった。
カチッ
時計の針によく似た音が響いて、みんなの動きが不自然に止まる。
(! これって……)
「『こちらめぐる。ユメクイの暴走確認! 今すぐ出動してほしい』」
(やっぱり……っ)
私ははごくりと唾を飲みこんだ。時が動き出すまでに戻ってこれなかったら、模擬裁判に参加できない。
「『場所は芸能スタジオB棟。目標は、声優志望の橋本愛来』
(!? 愛来ちゃん……!)
私は無意識のうちに走り出した。マネキンみたいに固まった生徒たちの間を縫うようにして、廊下を駆け抜けていく。
「泉! こっちだ!」
外に飛び出したところで声が飛んでくる。天馬先輩だ。黒いオシャレ自転車にまたがってる。
「うしろに乗れ! 飛ばしていく!」
「はい!」
走っていって、細身なのにがっしりとした腰に腕を回した。
(……そばにいたのに。私は、愛来ちゃんに何もしてあげられなかった……むしろ追い詰めて……)
喉が熱い。今にも涙が出てきそうで、私はぎゅっと唇を噛んだ。
(泣いてる場合じゃない。集中しないと)
流れていく景色を見ながら、めぐる先輩からの通信に耳を傾ける。
「『靄の浸食がすごく遅い。もしかしたら、愛来ちゃんが夢を諦めたくないって葛藤しているのかも』」
(愛来ちゃん……っ)
「大丈夫。俺たちで助けよう」
天馬先輩がしっかりとそう言ってくれた。
「……はいっ」
(きっと助けてみせる。そして、ちゃんと言うんだ。……友達になってほしいって)
やがて到着したのは、隣り合って並んだ細長い建物――芸能スタジオ棟だった。自転車から降りるなり変身した私たちは、愛来ちゃんがいるB棟の扉から中に駆け込んだ。
目指すのは、三階の一番奥にあるレッスン室だ。
「二人とも!」
三階の中央フロアには、大柄な男の先生をマネキンみたいに抱えているめぐる先輩がいた。その手には、時が止まっている人を軽々移動させられるっていう、銀の手袋がはめられている。
レッスン室から離れた場所に集まっている人たちは、全部先輩が移動させてくれたんだろう。
「愛来ちゃんはまだ暴走していない。あとは頼んだよ」
「おう!」
「はい!」
天馬先輩と声がそろう。
レッスン室の扉を先輩が勢いよく開けて、同時に中に飛び込んだ。
「……っ! 愛来ちゃん……」
わかっていても、やっぱりショックだった。
壁一面が鏡になった空間の一番奥。すみっこでくすぶってる黒い靄を見て、胸が張り裂けそうになる。
今までの出動の時と違って、靄は攻撃してこない。
ユメクイは寄生主が夢を諦めたときに、身体を一気に乗っ取る。そして暴走したのちに、その人間を無気力に変えてしまうって聞いた。
今静かなのは、めぐる先輩が言っていたとおり、愛来ちゃんが夢を諦めたくないって自分の心と戦っているからだとしたら……。
キラキラした目で憧れの声優について話してくれた顔、夜遅くまで必死に台本を読み込んでいた背中を思い出して胸がぎゅっとなる。
(――私は、愛来ちゃんに夢を叶えてほしい!)
私は靄に意識を集中させた。ゴーグルの拡大機能を使って、必死に目をこらす。探すのは、どす黒く見える部分――キーアイテムの隠し場所だ。
そこは、いわばユメクイの急所。弾丸を命中させてキーアイテムを靄から弾き出すことが、愛来ちゃんを助けることに繋がる。
キーアイテムはその人の心の拠りどころ。夢を支えてくれるお守りだからだ。
(……見えない、どこにあるの……!?)
「――、来るぞ!」
不気味な静けさを、天馬先輩の緊迫した声が破った。
靄がボコボコッと破裂して、真っ黒い腕が何本も生えてくる。
「俺が時間を稼ぐ! 泉はキーアイテムを探してくれ!」
「はい!」
私が答えた、ちょうどそのとき。先輩が剣で薙ぎはらった靄の腕が、鏡で覆われた壁にぶつかった。
ピキッ……
鏡に大きな亀裂が走った。
パリン!
鏡が割れる。
照明を浴びてキラキラ光る硝子片を見ているうちに、頭に声が流れ込んできた。
《わたしのほうが、ずっと頑張ってるのに》
(この声……愛来ちゃ……!)
景色がグニャンと曲がって、綺麗な状態の部屋が目の前に広がった。
生徒がたくさん、音楽に合わせて踊ってる。
これはきっと、愛来ちゃんの記憶だ。
『はあ、全然ダメ』
アップテンポの曲が止まって、鏡越しにキツそうな顔をした美人と目が合う。
『橋本愛来さん。あなた、全てが平均点以下なのよ。もっと死にものぐるいで努力しなさい。強みがないと、この業界では生きていけない』
《先生、わたしちゃんと努力してるよ。毎晩レッスンの動画を見て、研究して……最近は全然眠ってないの》
女の人は、今度は他の生徒に視線を移した。ツヤツヤした黒髪をボブカットにした……たしか、隣のクラスの子だ。
『それに引きかえ、相原さんは将来有望ね。プリナイのまりあ、大抜擢じゃない。学内イベント用のカバーっていっても、当時の制作陣も見てくれるみたいだからね。業界に知ってもらうチャンス、気を抜かずにがんばりなさい。――それじゃあ、十五分休憩』
女の人が部屋を出て行くと、周りが騒がしくなった。
水を飲んだりストレッチをしたりしている生徒たちの中、相原さんがにこにこしてやってくる。
『お疲れさま。先生、あんなにキツいこと言わなくてもいいのにね』
『……ううん。わたしの努力が足りなかったから……』
『そんなことないって。っていうか、愛来ちゃん髪型変えたんだ? まりあっぽくてかわいかったのに……あ、もしかして役もらえなかったから?』
『……』
『横取りしちゃってごめんね。まさか、オーディション受けてないのに声かけられるなんて。びっくりだよ』
《どうして? あんた、いつも遊んでばかりで全然練習してないじゃん》
《……ここ以外にも、才能がある子なんていっぱいいる。だったら、わたしは……いくら努力しても……》
《ムダ》
プツン――。
目の前が真っ暗になって、元の景色が戻ってきた。
胸が痛い。私に「努力してない」って言ったあのとき、愛来ちゃんは本当に悔しくて、悲しかったんだ。
(……あ)
「見つけました!」
キーアイテムだ。靄の中心あたりに、どす黒い場所がある!
「よくやった……! 撃ち抜けるか!?」
前に立つ天馬先輩が声を上げた。時間を稼ぐって言ってくれた通り、次々襲いかかってくる腕を休む暇なく斬り落としてくれている。
「やってみます!」
意識を集中させて、銃の引き金を引いた。
一発目、二発目……。
(だめ、全然当たらない)
ちょうどいいタイミングで靄が移動するから、狙いが定まらない。
(もしかしたら、警戒されているのかも。……こうなったら!)
私は覚悟を決めて、思いきり床を蹴った。
(至近距離から打ち抜けばいい!)
「泉!? あぶな……くっ!」
天馬先輩の横をすり抜けて、黒い靄に向かって一直線に駆けていく。
「おいっ! 戻れ!」
ヒュンッ!
靄の腕が右耳をかすめた。
痛い。だけど、愛来ちゃんはもっと痛いんだ。
襲いかかってくる靄の下をくぐりぬけて、先へ。もっと先へ。
「愛来ちゃん!」
お腹の底から叫ぶと、靄の動きが止まった。
(今だ!)
銃を構え、思いきり引き金を引く。
パンッ!
放たれた弾丸は、まっすぐに靄の中心にあるどす黒い場所を撃ち抜いた。その弾みで、泥玉みたいな黒い球体がはじき出される。
あの中にキーアイテムがある。
私は祈りを込めて、球体に向かって引き金を引いた。
弾丸に貫かれた瞬間、球体が金色の蝶に変わって霧散する。
ふわふわと降りてきたのは、愛来ちゃんがいつもつけていたリボンだ。
それを手のひらで受け止めると、世界が真っ白になった。
キーアイテムを浄化したあとで来る、不思議な場所だ。
「……っ、ひっく」
少し離れた場所で、愛来ちゃんが膝を抱えて泣いてる。
(……私が行ってもいいのかな。……ううん、行くんだ)
リボンをぎゅっと握りしめて、私は一歩踏み出した。
(天馬先輩みたいに、上手に言葉をかけるなんて私にはできない。だけど――)
「愛来ちゃん」
すぐそばにいって膝をつくと、私は息を吸いこんだ。
歌を歌う。声優を目指すきっかけになったって教えてくれた、愛来ちゃんの大切な曲を――。
「『冬の夜空に浮かぶいちばん星。まるであなたみたいね。わたしを強く導いてくれる、強い光――』」
私は歌も得意じゃない。だけど、一生懸命、言葉を届けるから。
どうか聞いていて。
「『――あきらめない。夢の先で、あなたとまた会いたいから』」
歌い切ると、愛来ちゃんが抱えていた膝から顔を上げた。
涙に濡れた大きな瞳が私を見てる。
「愛来ちゃん、手を出して」
おそるおそる差し出された手に、リボンをのせた。
ぱあああっ……
光が差し込んで、目の前に現実の世界が広がる。
すぐそばで倒れている愛来ちゃんの表情を見て、胸が震えた。だって、幸せな夢を見ているみたいに、口元がほころんでるから。
(……成功したんだ……っ。よかった……)
ほっとしたら力が抜けて、私はその場にぺたんと座り込んだ。
「よくやったな」
うしろから穏やかな声が聞こえてくる。
首を捻って振り返ると、天馬先輩が本当に優しく瞳を細めていた。
(……先輩……)
真っ白い世界にいるとき、ずっとあたたかい視線を感じてた。だから、自分を信じて歌い切れたんだ。あれはきっと天馬先輩だった。
「あ、おい。無理すんなって」
私はゆっくり立ち上がると、先輩に向き直った。
頭を下げる。
「……っ、ありがとうございました。天馬先輩」
「ん」
そっと頭に手が乗った。
その瞬間、今にもこぼれ落ちそうだった涙が引っ込んで、心臓が忙しなく音を立てはじめる。
全身が燃えてしまいそうなほど熱くて……
「ほら。顔上げないと、もっと撫でるぞ?」
冗談めかした声を聞きながら、自覚してしまった。
(……私、もしかして……)
カチッ
秒針の音が響きわたって、頭に乗っていた先輩の手もパッと離れる。
(!? 時間が動き出したんだ……! どうし)
「……んん……」
うめき声が聞こえたから見てみると、愛来ちゃんが上体を起こし始めてる。
(うそ! どうして!? いつも、みんなしばらく眠ってるのに!)
「『解除』! 泉も早く!」
天馬先輩が変身を解く。
(そうだ、私も……!)
「泉ちゃん」
間に合わなかった……。
おそるおそる視線を向けると、座りこんだ愛来ちゃんとすぐに目が合う。
その瞬間、あれ? って思った。
(どうしてすぐに私だってわかったの……? それに……)
荒れ放題の部屋にいるのに、愛来ちゃんは全然驚いてないみたいに見える。
「『……めぐる。目標に見つかった。たぶん、全部覚えてる』」
「『!? ……わかった、こっちが落ち着き次第合流する。部屋の鍵をしめておいて』」
「『了解』」
イヤホン越しに先輩たちの会話が聞こえてくる。
(たしか、ユメクイが暴走してるときの記憶を持ってる人がたまにいるって聞いたような……。愛来ちゃんがそうだってこと……?)
立ち尽くしたままの私を、愛来ちゃんは観察するみたいにじっと見てる。
「アニメの見すぎで頭おかしくなったのかと思ったけど、やっぱり現実だったんだ。……意味わかんなすぎて、笑えてくる」
愛来ちゃんが小さく笑った。うつむきがちなその顔が悲しそうに見えて、私はますます何も言えなくなる。
黙ったままでいると、愛来ちゃんが立ち上がって一歩近づいてきた。
反射的に一歩あとずさると……。
「ごめんなさい」
深く、頭を下げられた。
(え)
「部屋をめちゃくちゃにして、泉ちゃんと……たぶん羽岡先輩ですよね? 二人を傷つけたこと、ぼんやりだけど覚えてる。自分の中から怖い声がして、止められなかった……」
認めていいのかどうか。天馬先輩に確認の意味で視線を送ると、静かに頷いてくれた。
「……顔、上げてほしい。謝らないで」
私がそう言うと、愛来ちゃんはゆっくり顔を上げた。
唇をきつく噛んで、瞳にはこぼれ落ちそうなくらい涙がたまってる。
「すごく……すごく怖かった……っ! 助けてくれてありがとうっ」
愛来ちゃんの目から、ぶわっと涙があふれ出した。
私まで泣きそうになって、必死にこらえる。
(私も、先輩みたいに……)
勇気を出して、愛来ちゃんの髪をそっと撫でてみた。
「――っ、泉ちゃん……!」
「わっ」
愛来ちゃんが、ぎゅっと抱きついてくる。
「この間は、ひどいこと言ってごめんね。……私、自分のことでいっぱいになってた」
(……っ、愛来ちゃん……。私も……)
「……私の方こそ、ごめんね。……弁護士になりたいって……うそ、なんだ」
うまくまとまらない説明に、愛来ちゃんはじっと耳を傾けてくれた。
一番大切なことを伝えるために、もう一度息を吸う。
「今、本当の夢を探してる最中なの。……こんな私でも、友達になってくれる?」
「もちろんだよ!」
すぐに明るい笑顔が返ってくる。
(言えた……! 言えました! 先輩!)
抱きあった愛来ちゃんの頭越しに天馬先輩を見ると、口元をゆるめただけの大人びた笑顔を返してくれた。
もう、胸がいっぱいだ。
模擬裁判には間に合わなかったけど、本当の友達ができた。
(……頑張ったね、泉)
私は愛来ちゃんの肩に顔を埋めて、そっと瞳を閉じた。
◍┈⿻*.·◍┈⿻*.·◍┈⿻*.·◍┈⿻*.·
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