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note はじめます。

ごあいさつ


"今日から「note」を始めます。"


はじめまして。埼玉県所沢市に住む市民ランナー 渡部昇治(わたべしょうじ)、1970年生まれの51歳です。この note では、仕事や投資の話ではなく、趣味のランニングについて書いていきます。

簡単に自己紹介をしていくと、まずスポーツ歴としては、小学校で水泳、小・中・高校とバスケットボール、大学ではサッカーのほか、ボディーボード、ロングボード、スクーバダイビング、スキー、スノーボードをやったりしていました(要は、興味があればなんでもw)。

最近は妻に付き合ってテニスをしたり、山登り・ハイキングをしたり、クロスバイクで遠出したり、友達とトレイルランニングに行ったり、近所にある湖の周りのクロカンコースを小学校時代からの幼なじみと走ったりもしています。基本的に身体を動かすことや走ることは大好きです。

初マラソンの思い出

走り出したきっかけを振り返ると、1994年当時、高校で仲の良かった友達が

「卒業旅行でホノルルマラソンを走るよ」

とか言い出したので、なんとなく(ノリでw)一緒に出場することにして、当時はインターネットもなく調べようがなくてよくわからなかったので、とりあえず、旅行会社で飛行機だけブッキング。記憶がちょっと曖昧ですが、日程が直前すぎてもうホテルも予約できない時期だったと思います。

仕方がないので、現地についてからワイキキビーチ沿いのホテルに素泊まりで転がり込ませてもらい(ワイキキビーチの目の前で立地がいいな、という理由でw)、ホノルルマラソンのエントリーは前日にアウトリガーリーフホテルのランナー受付まで行って「明日、走りたいんですけど!」と直談判してゼッケンをゲットしたり(必要な手続きがわかってないから無茶苦茶w)

そんなこんなで、結局1ミリも練習しないままホノルルマラソン当日を迎えて、ポロシャツに短パンという観光客風のウェア(というか、いわゆる「普段着」w)でスタートラインに立って、スタート時の大きな打ち上げ花火を見て「たーまーやー!」と空に向かって絶叫したりしちゃってましたw

そもそも当時は陸上経験のない素人向けのマラソンに関する本なんてほとんどなくて(実際1冊だけありましたが、当然 読んでないのでw)、元々「無謀なことに挑戦する」みたいなネタとしての参加だったし、素人だから「エナジージェル? え、なにそれ、おいしいの?」状態w

疲れたな…と思ったら歩くのはもちろん「芝生で寝転ぶ」といった斬新な回復方法をアドリブで取り入れてみたり、ホノルルマラソンでは有名なビールエイド(ビールを提供してくれるエイド)でビールをたらふく飲んで水分補給したりしながら、とりあえず完走できちゃった...というのが初マラソン。

当たり前ですが、マラソンではゴールしたあとはかなり体力を消耗した状態になるのでほとんど動けなくなりますが、初マラソンでしかも海外レースなのに、当然 ゴール後のことなんてなにも考えておらずw、ずっと近くを一緒に走っていたロコの女の子のグループにおにぎりを分けてもらったり、ホテルまでのタクシーを拾ってもらったりして、助けてもらいました(いま振り返っても、やっぱり無茶苦茶w)

あの時 ゴール付近で助けてくれた人たちがたまたまこの文章を読まれているなんてことが、もしあるなら、

あの時はご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした。
そしてどうもありがとうざいました!マジで助かりました!

と、この場を借りてしっかりと感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
おかげで僕は今もこうして元気に生きています!

1994年のホノルルマラソンのゴール付近で「おにぎり」を分けてくれた素敵な方へ

次の日のホノルルの街では、前日にフルマラソンを走ったであろう人たちがみな、ほとんど膝が曲がらない「ホノルルマラソンゾンビ」と化していて、当然、自分もそのゾンビのひとりにいつの間にか変貌を遂げていて、足が棒のようになっていて曲がらないのでうまく歩けませんでした(笑)。

そんな自分を含め、ありとあらゆる階段や段差を避けながら「ホノルルマラソンゾンビ」化した人たちが街を徘徊している様子は、ちょっとしたホラー映画のようだったことを、まるで昨日のことのように思い出します(笑)。

第22回 ホノルルマラソン 1994/12/11 のゴールの様子
(当時 購入して実家に残っていた写真をスキャン)

市民ランナー界隈(の一部)ではよく、

「ホノルルを走った人は、生涯走り続ける」

と言われたりしますが、たしかにダイアモンドヘッドから昇る太陽が信じられないくらい本当にきれいなことに感動したし、ラストの直線は沿道からたくさんの声援をもらったりして、泣きながらゴール。タイムは6:45:00くらいだったかなぁ(実家に記録証があるはずなんだけど詳細は未確認)。

初マラソンをゴールした直後は、

「キツすぎ! もう、こんなこと、絶対やらない! w」 

と思ってたけど、ゴールしてから帰国するまでの間に現地でいろいろあったこともあって心境の変化が生まれ、帰りの飛行機の中では、不思議と、

「また、いつかホノルルを走ってもいいかな(走りたいかも)…」

という気持ちにいつの間にか変わっていて、帰りの飛行機の窓際の席で、窓の外を眺めて涙を流しながら、オアフ島を離れたのが1994年の出来事。文字通り、自分にとって本当に「忘れられない」初マラソンとなりました。

それから環境が変わったり、仕事が忙しくなったりしたこともあって、すっかり走らなくなり、10年後にはすっかり太っていました(人生でたぶん最も体重が重くなってた時期)。運動といえば、たまに近所でジョギングをしたりジムに通ったりしていくらい…ほんと、たまにだけど(笑)。

再び、走り始める。

時は過ぎ、それから21年後の2015年に、新婚旅行で行こうとしていたオーストラリアを調べていたら、ちょうどシドニーマラソンが開催される日であることを知って、

 「せっかくだから、走っとこっか。」

と夫婦でフルマラソンに記念エントリー(再びノリでw)。

当時は二人ともかなり体重があった上に、急に練習を始めたこともあって、走行距離を増やし過ぎたことによる膝の故障を抱えたままレース当日を迎え、シドニーマラソン(フルマラソン 42.195km)がスタート。

途中で自分だけどうにも膝が痛くなって走行不能状態に陥り、38km地点の関門の制限時間にとうとう間に合わなくて、時間切れでDNF*(妻はうまくペーサーについていって制限時間ぎりぎりのサブ6**でゴール)。

中盤くらいからたくさんの警察車両を引き連れてシドニーの中心街でランナーの最後尾をびっこを引きながら走ってたら、沿道のみなさんが「ヒーロー扱い」してくれて、ものすごく声援を送ってくれたりするのがやたら嬉しくて、もう足が痛くて走るどころか普通に前に進むことができなくなっちゃってたけど、手だけブンブン振って声援に応えてたなぁ...そういえばw。

   *DNF = Did Not Finish(完走しなかったことを意味する略語)
  **サブ6 = フルマラソン(42.195km)を6時間以内で完走すること

失敗から何を学べるか

その2015年のシドニーマラソンの練習不足および故障による DNF* をきっかけに、禁煙・ダイエット・トレーニングをはじめ、それ以降は

・2016 シドニーマラソン 4:43:29 (完走) 
・2017 つくばマラソン 3:44:56 (サブ4)
・2018 つくばマラソン 3:19:57 (サブ3.5)
・2019 つくばマラソン 3:04:54

(ニューヨークシティマラソンの年代別の基準タイム3:05:00をクリア) 

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完走できなかった翌年のシドニーマラソンで大幅にタイムを縮めてゴール

といった感じで毎年順調にタイムを伸ばして、まったく運動していなかった駆け出しの市民ランナーとしてはボチボチの結果を残すことができました(5K、10K、ハーフマラソン、30K、駅伝、トレイルレース等も走ってますが、マラソン歴としてわかりにくくなるのでここでは割愛)。

いま振り返ってみると、

"レースの借りは、レースで返す(悔しさをバネにする)。"


年始の箱根駅伝と同じで、その年に思ったように走れなかったら、その悔しさを忘れないようにしてまた1年しっかりとトレーニングに励み、次の年の同じ大会で借りを返していく、という「悔しさをバネにする」スタイルで、毎年グイグイとタイムが向上していったように思います。
(フルマラソンは年1~2回くらいまでが一番タイムを伸ばせると思います)

東京マラソンとの出会い

じつは2019年のつくばマラソンまで、ニューヨークシティマラソンに向けて、2017年から2年計画で「ニューヨークシティマラソンの年代別の基準タイム 3:05:00以内(いわゆる準エリート枠)」を目指してトレーニングを続けてきてて、それを本当になんとかクリアできちゃったので(最後の方で目標タイムに間に合うとわかってからはもう完全に歩いちゃってたけどw)、次は

 「 
ニューヨークシティマラソン で3時間を切ろう」

と控えめな野望を抱いていたら、「東京マラソン2019」の一般枠にまさかの当選。

その後、感染症の拡大とともに東京マラソン2019はエリート枠のみの開催となったので市民ランナーの私は2019の出走権を「東京マラソン2022」に移行することになりました(最終的には東京マラソン2024まで持ち越し)。

やがて海外渡航もそう簡単にはできなくなって、渡航規制がかかる前の 2018年にたまたま観光メインで行ってた旅行先のカナダで出場したバンクーバーマラソンで(アキレス腱炎が治ってなかったのに「誕生日だから」という謎の理由で 8kmの部に出場、ジョギングするはずが)「年代別1位」だったとかいう理由で、

しばらく経ってからサプライズで大会事務局から次の年の大会の「招待ゼッケン(エントリーフィーのみ無料、旅費は自腹)」を送ってもらってた バンクーバーマラソン にも行けなくなっちゃったし、

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バンクーバーマラソンの招待選手ゼッケン(名前・順位・年代別が入っている)

2年間に渡って「年代別基準タイムをクリアした準エリート」としての出場を目標としてずっとトレーニングしてきたニューヨークシティマラソンは、結局「バーチャルレース」として開催されちゃったりして、かなり失意の日々(まぁ、結局それでもちゃんと日本で走ったんだけどw)。

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バーチャル・ニューヨークシティーマラソンの完走メダル


国内のいろんな大会が延期や中止となっていく中で、エントリーそのものもできなくなったり大会自体がなくなっちゃったりして、かなりたくさんの小さなマラソン大会の消滅を見送ったりしてたんだけど、東京マラソン2021だけはなんとなく今年だけプレミアムメンバー(抽選のチャンスが複数回となる有料会員)としてエントリーしておいたら、

「東京マラソン2021はプレミアムメンバー全員を当選とします」

というメールが2021年7月13日に届いて、すでに当選して走ることになっていた冬の「東京マラソン2022」の前に開催予定の、秋の「東京マラソン2021」にも当選。

すでに一度は落選のメールをもらってあきらめていたのに「海外から来ることができなくなった外国人枠を埋めるため」という棚ボタ当選で、いきなり秋と冬2つの東京マラソンを走ることになりました。

せっかくなので、

・東京マラソン2021への道
・東京マラソン2022への道

といった2つのシーズンにわけて、日々の練習ノートとして記録を残していきたいと思います。

"これから、よろしくお願いいたします。"



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