動き出した時計【5分で読める短編小説(ショートショート)】
ある日、滅多に鳴ることがなくなった自宅の電話が鳴り、その瞬間、私たち夫婦の未来が止まった。
休日であれ、仕事の電話なら携帯に掛かってくる。
普段ならば何も思わない電話も、あの日は何故か胸騒ぎを覚え、受話器を握る手が汗ばんだのを覚えている。
「はい、富田ですが」
震える声で電話に出た。
「●●警察ですが、息子さんが・・・」
それ以上は記憶がなく、気が付いた時には霊安室のベッドで横たわる変わり果てた息子の姿に泣き伏せていた。
あの日、高校卒業を目前に控えた息子は、アルバイトに出かけ、そのまま帰ることはなかった。
横断歩道でひき逃げにあい、数十メートル引きずられ即死した。
あの日から今日で10年、犯人の手掛かりが掴めないまま自動車運転過失致死罪の公訴時効が成立した。
殺人罪に時効はないのに、何故ひき逃げに時効があるのだろう?どんな形であれ息子は誰かに殺されたことに変わりはない。なのになぜ?
私たち夫婦は、どうしても現実を受け止めることができず、いつ戻ってきてもいいように息子の部屋をずっとそのままにしている。
妻は、毎日3食、息子の分の食事を作り、誕生日には毎年ケーキを買っている。
仏壇はもちろん、遺影すら置くことができずにいる。もしもその二つを目にしてしまったら、息子の死を受け入れざるを得ない気がしてどうしてもできない。
事件現場には一度も訪れていないし、どんなに遠回りになろうが迂回し、その場所を避けている。
家族三人で歩むはずだった未来・・・息子だけがいない家族の未来・・・
そんな時間ならば一秒たりとも動かしたくない。
毎日、息子の料理を作り、晴れた日は息子の部屋の窓を開け、週に一度は息子の布団を干す妻。
そんな妻に仏壇や遺影は残酷すぎる。
妻だけではなく、どんなに笑顔であっても息子の遺影など、私も見たくはない。
あの日から今日で10年、長かったのか短かったのか自分でもよく分からない。いや、止まった時間に長いも短いもない。
そんなことを思っていると家の電話が鳴った。
今だに家の電話が鳴ると私も妻もドキッとしてしまう。
妻と目を合わせ、軽く頷き電話にでた。
「はい、富田ですが・・・」
「●●署の尾形です」
電話の主は息子の事件を担当する刑事だった。
「先ほど、公訴時効が成立してしまいました。大変申し訳ございません。息子さんの無念を晴らすことが出来ませんでした」
電話を切った私は心配そうに見守る妻に時効が成立したことを伝えると、エプロン姿のまま、台所で泣き崩れてしまった。
その後、どれほどの時間が経過したのだろうか?
落ち着きを取り戻した妻と私は、初めて事件現場となった場所へ行き、線香を上げ、花を手向け、息子に心の中で謝った。
10年という長い月日が経ち、ようやく二人の・・・いや三人の時計の針が再びゆっくりと動き出した。
数年後・・・
「お父さん、全部食べないでハルトにもケーキあげてね」
「分かってるよ〜」
そう言うと一人分のケーキを取り分け、仏壇にお供えした。
そこには満面の笑みを浮かべる遺影があった。
「時効」
もしかしたら被害者家族の止まった時間の針を再び動かすためにあるのかもしれない。
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