胸の痛み【5分で読める短編小説(ショートショート)】
17歳になる息子とは、もう何年もまともに会話をしていない。
すれ違いの生活ではなく、ただ一方的に無視をされている。
「おはよう」「おかえり」などと言っても返事はなく、目も合わせてくれない。
とっくに親子の関係は崩壊している。
決定的に何かがあったわけではなく、思い当たることと言えば「母子家庭」ということくらい。
母と息子、二人だけの家族。これまで決して裕福な暮らしをさせてあげることはできなかったけれど、昼夜問わず働き必死に育ててきた。
昼はスーパーでレジを打ち、夜はスナックで酔客の相手をし、ヘトヘトになって帰宅しても育児だけは絶対に手を抜かなかった。
少ないながらもお小遣いを渡し、誕生日やクリスマスにはプレゼントを買い、小学校の頃は塾にも通っていた。
例え体調を崩し熱があってもカップラーメンやコンビニ弁当で食事を済ませたことは一度もなく、愛情を込めて毎日作り一緒に食べていた・・・それなのに・・・。
中学に入学すると、目に見えてグレ初め、息子の部屋から煙草のニオイがした時、頭の中で警報が鳴り響いた。
しかし、母子家庭であることの後ろめたさで注意できず、「たかがタバコぐらい、大人への通過儀礼よね」と自分に言い聞かせ見て見ぬふりを続けた。
でも、今思えばこれがいけなかったのかもしれない。
「注意しないこと」を、まだ幼かった息子は「関心が無い」と捉えてしまった。
そして、徐々に息子の私に対する関心は薄れていき、無視が加速していった。
結局、高校も1年の夏前には退学となり、その後も特に定職に就くこともなく、毎日昼過ぎに起きて夜になると遊びに出かける生活が続いた。
たまに財布の中のお金が減っていることがあり、その都度、胸の奥がチクりと針で刺される思いがする一方で、息子を疑ってしまった自分に嫌気がさし胸が痛んだ。
それでも私は毎日、食卓に息子の食事を作りラップをかけて置いていた。
何か月も手つかずで残っている息子への食事。それを目にするたびに胸の奥が痛かったが、息子への関心を示す唯一の方法と信じて、来る日も来る日も食事を用意した。
その日も、いつものように7時ちょうどに起き、顔を洗った後、リビングへ行き、テレビを付けて朝の準備に取り掛かった。
しかし、何かいつもと違う。
「あっ・・・」
食卓にあるはずの昨夜作り置きした息子への夕飯が無かった。
一瞬、「あれ?作るの忘れたっけ?」と思ったけれど、台所をみると空の食器が洗って置かれていた。
「食べてくれたんだ!」と嬉しくなり、涙が出そうになった。
その時、背後のテレビから「それでは5月25日火曜日、今日も最後までお付き合いください」というアナウンサーの声にハッとした。
「今日、私の誕生日だ」
自分でも忘れていた誕生日、結婚してから自分の誕生日を誰かに祝われたことなど一度もなかった。でも・・・
「覚えていてくれたんだ」
それは息子がくれた最高のプレゼントだった。
そう思うと胸がギュッと締め付けられ涙が溢れてきたけれど、いつもと違う胸の痛みは心地よかった。
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