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《新型コロナ》をめぐる差別はなぜ生まれるか?ハンセン病に学ぶ感染症と差別の因果


 新型コロナウィルスの感染が広がる中、患者や家族、医療従事者に対する差別や偏見が顕在化している。報道されているだけでも、コロナ対策の最前線で働く医療従事者が子供の通園や通学を拒否されたり、感染の疑いがある一般市民の家に石が投げ込まれたり、家の落書きがされたというケースが伝えられている(三重県知事会見より)。またある県では県外から来る人たちの車に「来るな」という張り紙が貼られ、車を傷つけられるという事件も起きている。ネット上では「自粛警察」と言う言葉も生まれた。メディアで報じられる以上に、新型コロナを原因としていじめや嫌がらせ、誹謗中傷、差別が社会全体に蔓延しつつある。さらに新型コロナでは、S N Sによって誤った情報が流され、拡散されるという新たな被害も出ている。

 歴史上、感染症が差別や偏見を生み出す事態は、何度も繰り返されてきた。ペスト、天然痘、コレラ、原爆による被曝症、最近ではH I V(エイズ)があるが、日本人が忘れてならないのが「ハンセン病」による差別の歴史だろう。筆者はこれまでハンセン病問題を取材し、岡山県や東京都のハンセン病国立療養所を訪ね、元患者らの声に耳を傾けてきた。昔の出来事のように思える「ハンセン病」を現在の新型コロナに当てはめるのは、やや唐突な印象を覚えるかもしれない。しかし、最近の新型コロナをめぐる差別を見ていると、かつてあった(残念ながらそれは今も続いている)ハンセン病への差別と、いま新型コロナで起きている差別がダブって見える。なぜいま新たな差別と偏見が生まれているのか?改めてハンセン病の教訓から学ぶべきがことがあるではないか?

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ハンセン病国立療養所「長島愛生園」(岡山・瀬戸内市)に残る収容所

ハンセン病の歴史
 
ハンセン病差別の歴史を分かりやすくざっと記しておく。古くは奈良時代からあったハンセン病は「らい菌」による感染症で、特効薬もなかった。その点で今の新型コロナに似ている。発病すると末梢神経が侵され、後遺症として手足や顔などの変形が起きる。感染力が強く「遺伝病」とも思われていたため、ひとたび感染者が出るとその家は絶望のどん底に突き落とされた。秘密裏に家の敷地内に幽閉したり、路上生活に追いやられ患者も多かった。国が隔離政策に本格的に乗り出したのは明治期。世界の一等国を目指していた日本政府が、路上生活する患者を外国の目に触れさせたくないという狙いから、患者の強制隔離を始めた(1907年、明治40)。昭和に入ると隔離政策はさらにエスカレートする。その中で主導的な役割を果たしたのが、日本癩(らい)学会会長でもあった医師の光田健輔という人物である。日本の「ハンセン病政策」の基本は彼が作ったと言っても過言でない。

光田健輔

光田健輔氏

 1931年(昭和6)、国内全てのハンセン病患者を強制的に離島や過疎地の療養所に隔離することを定めた新たな法律が公布される。患者の受け入れ先である岡山県の国立療養所「長島愛生園」の所長を勤めていた光田健輔は、全国の津々浦々まで患者を探し出し、隔離する仕組みを編み出した。いわゆる「無らい県運動」である。これは都道府県ごとに収容者の数を競わせ、「県内かららい病患者をなくす」という国を挙げての一大キャンペーンを展開した。当時、ハンセン病治療の第一人者だった彼の意見に政府も賛同。官民挙げた患者の捜索が全国規模で展開され、行政、警察、保健所、企業、病院、さらには一般市民もこれに積極的に協力した。当時、役所や保健所には一般市民から「どこどこの○○さんはらい患者と思われるので、調べてほしい」と言った通報が続々と寄せられた。まさにハンセン病に対する「総監視社会」が出来上がった。

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ハンセン病患者を通報する住民のはがき(大阪府)

日本のハンセン病政策の不条理性と残虐性は、戦後、アメリカで特効薬「プロミン」が発見された後も、隔離政策が延々と続けられたれたことにある。戦後に入っても「無らい県運動」は続き、ひとたびハンセン病患者がいるとわかると、その家は激しい差別に晒された。隣近所との交流を絶たれ、買い物に行っても商品を売ってもらえず、近所から後ろ指を刺され、石を投げられるなど執拗な嫌がらせを受けた。「あぶり出し」と言われる村八分だ。差別は患者が移送された後も続き、一家は離散したり、身の上を隠して生きざるを得なかった。1959年(昭和34)、世界保健機関(=W H O)はハンセン病患者への「隔離廃止」を唱えたが、日本では相変わらず隔離が続けられた。法律が廃止されたのは、それから37年が経った平成8年(1996年)。90年にわたって続いた世界に類を見ない隔離政策によって、今もなお多くの人が差別や偏見に苦しんでいる。

新型コロナとの共通性
 さて明治から平成まで続いたハンセン病への差別と、新型コロナへの差別や偏見に共通点はないのか?どちらも感染が疑われる者やその家族などを、可能性があるというだけで科学的根拠もなく忌避、排除しようとする。新型コロナでは医療従事者の子供が通園や通学を拒否されるという事件が相次いでいるが、同じような事件が実はハンセン病の時代にもあった。1953年(昭和28)、全国的にも有名になった「黒髪校事件」だ。熊本市内の小学校に、患者の子供で感染していない4人の児童が入学しようとしたところ、PTAから登校に反対の声が上がり、親たちが休校騒ぎを起こした。結局、子供たちの通学は許されたが、その後も保護者間の対立は続いた。この時、通学に反対した親の主張は「今は感染していなくても、今後感染しないとは限らない」という全く科学的根拠に欠けたものだった。それを考えると、新型コロナの医療従事者や家族に対する差別や偏見も、病院に勤めているから感染しておかしくない、という誤った推測によるものだ。黒髪校事件の亡霊が現代に蘇ったように映る。
 また感染症による差別では、加害者側が「自分は正しいことをしている」と信じ込んでる例が多い。ハンセン病時代に役所に患者を密告をした人は、ごくごく善良な市民意識から「自分は感染予防に貢献して、いいことをしている」と信じていた。差別する側に、加害者であるという意識が抜けてしまうところに、感染症差別の怖さがある。新型コロナではどうか?朝日新聞によると3月、長野県で陽性反応があった男性の立ち寄り先とされる店舗がネット上でデマ情報が拡散された。店には問い合わせが殺到するなどの被害が出た。その時、デマ情報を流した人はSNS上で「行政機関が情報を隠している」ので「死者が出たら一生恨まれる」と書いているそうだ(朝日新聞)。つまり地域の感染を防ぐため「よかれ」と思っての行動だった。他県から来た車に嫌がらせをした人たちも同じだろう。「県外からの感染を食い止めたい」という素朴な思いから行動した。これは差別を生んだハンセン病の構造と酷似している。なぜなら差別する側は「ハンセン病患者を見つけ出し、隔離することが社会のためになる。治療に専念できて本人も幸せだろう」と信じていた。役人もただただ上からの指示に忠実であろうとした。差別行動への根拠のない肯定感、思考停止が知らず知らずのうちに差別を生む構図。これほど恐ろしいものはない。それが社会全体の「同調圧力」となって大きな差別や偏見となって広がる。感染症が起こるたびに生まれる差別感情。近代日本の「負の遺産」と言えるハンセン病の歴史に学び、2度と同じ悲劇を繰り返さないよう「差別の構造」にいま一度敏感でありたい。(了)

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