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地球建築家vol.4 村野藤吾 Ⅲ

−バランス感覚に優れた建築家−


村野藤吾は商人的な感覚と、普遍的な美意識を両方持ち合わせていた、非常にバランス感覚に優れた建築家であった。

村野は「大衆受け」をしっかりと意識して設計活動を行なっていた。

「大衆受け」しないと、世間に受け入れられない。しかし、大衆受けばかりだと中身のない薄っぺらいものに成り下がってしまう。

この「大衆受け」とは、堕落した、薄っぺらい意味ではない。

村野が大学を卒業して渡辺節事務所に就職した時の言葉がある。

渡辺先生は端的にものを言う人で、「村野君ねえ、図面は売れる図面を描いてくれ」といわれた。”売れる図面”というのは、なかなか含蓄のある言葉で、一人よがりの図面を描いてはいかん、「ツー・マッチ・モダーン」はいかん、皆が受け入れる図面を、依頼者が受け入れる図面を描いてくれという意味だと私は思うのですが、なかなか意味深長な立派な言葉だと思います。解釈の仕方によると、大変堕落したような言葉にきこえるけど、最も現実的な、最も厳粛な言葉だと受けとっていいのではないかと思う」。

いい意味での「大衆受け」をしっかりと意識していたことがわかる。

私も、以前勤めていた設計事務所で、プレゼン用の図面を描いていた時に、似たようなことを言われた経験がある。

「美味しそうな図面を描いてね」

わかりづらそうで、わかりやすい言葉だった。美味しそうな、今にも食べたくなるような図面を書けば依頼者には魅力的に映る。そうすれば受け入れてもらえるから、プレゼンも通る。

お施主様と話さず、設計事務所で図面ばかり描いていると忘れてしまいがちだが、建築は膨大なお金が動くビジネスである。人々に受け入れられる建築でなくてはビジネスは成り立たない。

村野は、素人感覚を持ちあわせた巨匠であったと思う。世間一般の目を正確に把握していたのではないだろうか。


そして、村野は非常に普遍的な美意識を持っていた。

「欧州の建築界はさびしく感ぜられた。ただ、北欧諸国の、地についたような諸建築、たとえばストックホルムの市庁舎なり、音楽堂なり、図書館なり、また、フィンランドにおけるサーリネンの作風なりが、ドイツやフランスの建築と同じ程度に紹介されていないことは残念に思った。
「フィンランドを経てスウェーデンに行き、あのストックホルム市庁舎に感激してしまったわけです。私はこの建物をみて、これだなというようなものを感じました。私は、この建物から影響をうけたことは事実でありますが、この建物ばかりでなく、一般に北欧という風土からうけるしっとりとしたもの、落ち着いた暗赤色、カドのとれた感触といったものが好きです。」

北欧の建築や家具、器などは「IKEA」に代表されるように、世間一般に広く受け入れられている。

何を美しいと思うかは、その人の感性による。だからそれは自由である、というのはわかる。

しかし、建築家となったらそうはいかない。

建築とは私的なものであるが、どこまでいってもやはり公共のものである。少なくとも10年や20年は街の風景となり、人々に影響を及ぼし続ける。

建築がひとりよがりのものであってはならない。

建築家は「どこの誰にでも共通する美意識」というものを理解していなくてはならない。これは建築家に不可欠な資質であると思う。

今こそ、村野藤吾に学ばなくてはならない。



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