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「本当の効率的な時間の使い方」で「稼ぐ柱」を一本立てる。人生はそこから。

「効率的」の定義を変えよう


昨今、どこを見ても「効率的」の文字が踊っている。

ネットには「効率的に時間を使い、最速で最大の利益をあげる」といったような謳い文句が軒を連ねる。それが最も有意義な時間の使い方だと言わんばかりである。

しかし、私たちもこの言葉のシャワーを浴びて、いつの間にか「ムダな時間を使うことは損である」とどこかで考えてしまっている。

そもそも「本当に効率的な時間の使い方」とはいったいどんな使い方なのだろうか。

それは「一つのことに集中し、一つのことを継続する」ということだと私は考えている。

あなたが最も充実した時間を過ごしたと思える時はどんな時だろうか。

それは、好きなことに一点集中している時ではないだろうか。そして、そのことを継続して何かしら成果が得られた時ではないだろうか。

ゴルフが好きな人は、誰にも言われなくても1人で練習に行く。そして何度も何度も球を打ち、次第に上達していく。そして、少しずつ少しずつスコアが上がって行く。

そこには膨大な「ムダな時間」が発生する。

上達したかと思ったらスコアが下がり、落ち込む。それでもめげす再び練習して上がったと思ったら、また下がって落ち込んで。と全くもって「効率的」ではない。

しかし、当人にとってはそれが最も「効率的」なのである。それにゴルフのプロでさえその繰り返しなのだ。


人生においても同じことが言える。

最近「自分探しをしている」という学生が多いようだ。「自分が本当にやりたいこと」を旅などをして探しているということだ。

ネットなどにはびこる「効率的」の弊害がここにも出ている。

若者は自分の将来について切実である。ふとネットを見ると「効率的」という言葉が偉そうに幅をきかせている。まだ経験の浅い彼らはその言葉をまに受けてしまう。そして自然と自分がやりたいことをやっていない時間はすべてムダだと思ってしまうのだ。

しかし、自分探しなどしても自分が見つかることは永遠にない。

自分が見つかるのは、一つのことに集中し、悪戦苦闘している時である。悪戦苦闘してこれでもかというほどムダな時間を過ごすことで自分が見つかるのである。

それが好きなことであろうとなかろうと、とにかく悪戦苦闘し、一生懸命やってみることである。すると必ず結果が出る。それがちっとも好きでないか、少しは好きか、かなり好きかもわかる。

何かに集中し継続しない限りはそれさえも永遠にわかりっこないのである。

もうお気づきかもしれないが、最も効率の悪い時間の使い方は「効率ばかり気にして結局なにもしない」ということである。

昨今、どうも「継続する」ということを軽視する風潮がある。継続することは効率的でないと考えてしまうのだろうか。

私は「石の上にも3年」という言葉はそれなりに的を得ていると思う。なにかの分野でプロになりそれなりに稼ぐには10年はかかるということは、ある程度普遍的な法則であると思う。

やはり「最も効率的な時間の使い方」は結局「一つのことに集中し、一つのことを継続する」ということである。そして、それを10年程度続けると、食べていけるようになる。

一本の大黒柱が立つのである。

人生はそこからが面白いのだと思う。










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