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〜 終活 〜 本当に必要なことをかんがえる

終活という言葉が世に出てくるようになってどれくらい経ったでしょうか?今は終活をアドバイスしたりお手伝いするサービスもあるくらいですが
それくらいとても大切なことです。
人の人生においてさまざまな事を事前に考えておくことは残りの人生を有意義なものにするためであり
そうすることを一纏めに「終活」と呼ぶようになりました。

しかし、どのくらいの方々が本当の意味での終活ができているでしょうか?面倒なことと捉えられたり、一般的に60代後半から準備していくようなものだと言われていることから重い腰が上がらないというのが現実です。また、意外と費用がかかることでもあったりして余計に後回し感が増すものでもあります。人によるところではありますが、項目もたくさんありどこまでどうしていくかは人それぞれ生活している環境で変わります。



終活には終わりはない

終活において特に重要なことはやはり遺る人たちへ
しっかりと想いや準備してきたことを伝えているのかということだと私は考えます。

意外と自分勝手に進めてしまいがちで身辺の整理整頓はもちろんですが

例えば迷惑を掛けまいと納骨先を探して決めてきたり葬儀費用の積立をしていたり、遺る人の思いや考えは汲み取らないケースもあります。

相続のことや遺言など、家族・親族内での揉め事に繋がるような事例もたくさん見てきました。
本来終活はそうならないためにするものだったりするのですが、終活をすることでまた違った問題も生じるのです。

全く身寄りのない方の終活はとても大変で近所とのコミュニケーションも無いとなると考えるべきことやっておくべきことはとても多くなりますが家族親族の間でさえも希薄になってきた関係がもたらす問題は大きなものです。ひとりで亡くなるということ、始末しておくということの難しさを痛感することになると思います。

多様性の社会や益々複雑になってきた価値観変わりゆく世の中においてとても心配になることではないかと感じますし、その移り変わりのスピードがとても速い今の世の中において終活という想いや形を常にアップデートし続けていかないとならないものではないかと感じるようになりました。

どう遺し、どう遺さないのか
そしてそれらをどう託していくのかは
決して尽きることのないテーマだと思います。

終活は人とのつながりが鍵になる

終活とは家族やそれ以外の人とのつながりが重要なことでしっかりと想いや形を伝えておく、もちろん公的な文書で遺すこともアリなのかもしれませんがやはり行き違いやすれ違いがないように、対面で想いを伝えておくことは大切なことだと考えます。家族以外もそうです、後見人やさまざまな機関と制度多くを知って活用していただきたいと思います。

そうなると、推奨されてある60後半の年齢からというよりも情報の収集、人付き合い位は若いうちから少しずつ少しずつやるべきものなのかもしれませんね。


どうぶつとの別れ

人の別れよりも唐突にその日がやってくることが多いのがどうぶつたちとの別れですが(これはやはり病院や医療との関係性の違いから仕方のないことです)
どうぶつたちにとっての終活は飼い主、家族、パートナーとしての私たちが準備していくこと、そうしなければいけないことですよね。なかなかこちらもそういう意味で重い腰のあがらないことだったりしますが、向き合い方ひとつで先の自分自身の状況は大きく変わります。

人の葬儀、葬送よりも周りの経験談を聞いたり相談がし易いことだと感じますので少しずつ、ほんの少しでも考えておくことはとても大切なことだと思っています。なにより後悔することのないようにしてほしい、そう願って止みません。


※前述のようにアドバイザーや相談員は身近にいます専門家の話を聞いてみる機会もぜひつくってみてください。


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