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「課長!興味がなくなったので会社辞めます。」[ムービカメラマンまでの道]

システムエンジニアとして入社した都心の会社では、今で言うブラックな勤務時間が待っていました。

しかし、それは僕には苦になりませんでした。

学生の頃、大会のために空きがあれば自転車の練習をして、その為にバイトを掛け持ちしてを普通と考えていた僕には全然問題ないことでした。

それに仕事が楽しかったのです。

学生の頃のバイトはレストラン、ティッシュ配り、スーパーのレジ、配達、消火器の整備等様々なものでした。その中でも料理のバイトはとにかく楽しく、小さなイタリアン・フレンチのお店でしたが、料理も習えるし、店長練習に付き合って美味しいものも食べれるしとにかく楽しかったですね。でもそれ以外のものはお金を稼ぐと言うことでやっていたので、そこまで楽しんではいませんでした。

そこにきて、この仕事は色々な施設に入るあるものをコントロールするシステムや設備を売る会社でした。

あるものとは「水」なのですが、純水と呼ばれる人の手によって作られる工業製品の水でした。

詳細は置いといて、とにかくそれをコントロールするシステムをプログラミングし、タッチパネルなどとリンクさせると言った、完成度が目に見える仕事でした。

社内で遅くまでパソコンを叩き、時には大きなパソコンを持って配電盤を作っている電気屋さんに出向き、そして、設置するプラントへも出向く。

なかなか充実していましたので、僕的には楽しい時間でした。

ついでに競技者として育った脳味噌は同期などに差をつけることも生きがいにしてました。周りが嫌がる休日出勤や遠征の仕事も先頭切ってやっていました。

実際に同期の中では1番上司の出張に駆り出されていました。

しかし、1年が経つ頃、海外出航の話が出てきました。

同期トップとしての役割ですね。一気に出世コースのやつです。

しかし僕は断りました。 なんか仕事以外のことも増えそうだったもので・・

棲むところを自分で決めたり、海外の生活ってやつが面倒くさそうに思えてしまったのです。まぁ、行き先がアメリカやヨーロッパなど憧れた地でしたら行っていたかも知れませんでしたが、当時(20年以上前)の東南アジアの工業地帯。

危険地帯も多く、自由に動ける範囲は限られている。

しかも、前任者が不在という・・

うん、めんどくさい!

旅は好きですが、そんなところに閉じ込められるのはゴメンです。

で、それまで、社内で生意気ながらも、イエスマンだった僕が断ったのが意外だったのか、周りの空気が悪くなってくるのを感じました。

現に仕事内容も、機材の説明書作りなど急に地味なものに変わりました。

仕方ないですよね、代わりに行ける人材を育てないといけないですから。

僕は新しいものが大好きなので、機材の説明書作りも楽しく出来ましたが、それも、だんだん新しく無い物まで入ってくる始末でした。

知っている物の取説などいかんせん仕事が短調で刺激が足りない。

当時の僕のプライベートは熱帯魚にガッツリハマっていました。その影響もあり、ビオトープや自然の浄化機能など環境学の本など読みあさっていました。

そこで興味が膨らみ、どうにもこうにももっと専門的なことを知りたくなりました。

そして忙しすぎて余り手を付けていなかった給料などを見返し、誰にもいわずに、会社の休憩時間に近くの本屋で調べあげ、環境学の専門学校を自己推薦という形で受験してみました。

そして、合格してしまったんですね。入学金ぐらい溜まってましたし、月の生活費ぐらいバイトで稼げる自信もあったので、翌週には課長に退職を伝えました。

つまらないので辞めます。と言うとなんか言い返されそうなので、やりたいことが出来たので辞めます。と言い方を考えて伝えました。

まぁ、仮にも環境を守る水の浄化システムもやっていた会社なので、環境学を学びたくて!と言うと面倒くさそうなのでそれも伏せておきました。

そしてら、辞める頃には、料理人になりたいって言ってたなんて誰かが言ったらしく、そう言うことになっていたのでそのままにしときましたw

因みに、他の課の方などからも送別会をやっていただき、一ヶ月くらい送別会が続きました。バブル時代の破片が垣間見れた時代でしたね。

いい会社でした。

と言うことで、僕の好きなことを仕事にするの第一歩がスタートしました。

正直言って、この時点では何になるかは全然頭にありましせんでした。

好きなことを学びたい!そんな20歳のスタートです。






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