見出し画像

何故アパレルブランドを始めたのかvol.4

vol.3はこちら

みなさんお待ちかね「アメリカ留学編」です。
筋肉と英語と世界をまたに駆ける旅の一端をご紹介する回です。

2016年2月頭から6ヶ月アメリカ・ロサンゼルスへの語学留学をした。
前回も書いたが留学理由は
・英語が喋れるようになりたい
・トレーニングがっつりしたい

の2点だ。
今までは基本一人でヨーロッパを周遊したり、アメリカには友人が留学していた場所(ボストン)に一度行ったことはあったが、長期で滞在、住む(6ヶ月を住む、というのかはわかないが)のは初めて。
英語だって旅行だからどうにかなっていたのであって、住むとなると起こる問題も全て英語で解決していかなくてはならない。
そりゃ不安であったが、不安が勝つならそもそも留学に来ない。全くわからない電車やバスの使い方がわかってくるのが旅でも面白いところなのだ。

ということで飛び込んだロサンゼルス。
語り始めたらキリがないので、掻い摘んで話していくが、結果としては“人生が変わる”程、楽しかった。

会ったことある人なら大体わかるが、当方中々にアクが強い人である。
人によっては合わない人もいるだろう。
しかしアメリカで出会った友人達(スイス、ドイツ、イタリア、トルコ、サウジアラビアあたりが多かった。)、先生達(アメリカ人)は全肯定してくれた。

どんなに突拍子もないアイデアでも「いいじゃん最高じゃん!やってみなよ!」と言ってくれる。
この言葉がアパレルなんて何一つわからないド素人でも「アパレルブランドをやろう」と思えた大きな理由だ。

ここからなぜやろうと思ったか、の大事な2エピソードがある。

ロサンゼルスに一番好きな選手がいた。
その彼、Artemus Dolgin(アルテムス・ドルギン)は自分でアパレルブランドをやっていて、結構人気なブランドだった。
(アルテムスとのエピソードはまた別の機会に。人生で一番興奮した日だと思う。だからこそ別枠で書くね)
日本から買うと勿論送料が高い、なのでアメリカに来てから買おうとお金も貯め、来米して2週間程で早速注文してみた。

しかし、届かない。

日本に住んでる我々にはついぞ想像がつかないが、送った荷物が届かないなんてのが日常茶飯事のアメリカ。
もうなんで届かないんだ!なんて怒っても無駄。そんくらい雑なのだ。
ちゃんと届かせたいなら高額な発送料を払って民間の運送会社に頼むしかない。
それでも紛失する。それが世界標準の物流だ(マジでファ◯ク)。

システムだけはしっかりしているので、ネットで追跡はできる。
しかし既に配達済みのステータス。ホームステイ先のどこを探しても荷物なんてない。
投げ込まれてるかと思って裏庭もくまなく探したがない。

勿論このまま黙ってるわけにはいかない。
貴重な留学費用を切り崩して、日本にいた時から貯金して買ったのだ。
学校近くのUSPS(国営郵便)の事務所に殴りこんだ。

「俺の荷物が届いてない。探してくれ。」

「このナンバーはうちの管轄じゃない。近くの大きいとこへ行け。」

この野郎。
まあわからなくもないことだ。そこでも20分くらい待ったのだが渋々案内された大きいとこに行く。

「俺の荷物が届かない。どこにあるんだ。」

「うちじゃわからない。ダウンタウンにある本部に行ってくれ。」

「はあ??ここからダウンタウンまでどのくらいあると思ってるんだ!(2時間はかかる)そもそもここに来いって言われたからわざわざ来たんだぞ!」

「んなこと言われてもうちじゃわからない。」

これが普通である!!
「だってわからないんだからわからない」
『僕は悪くない。だって僕は悪くないんだから』

という球磨川禊ばりの言い分である。
前述したアメリカに住んでた友人に相談しても
「それがアメリカ」で一蹴。
本気で住んでたサンタモニカ付近からダウンタウンまで2時間くらいかかるので(ロサンゼルスは広い。とにかく広い。移動が非常にネックな街。これも東京住みの自分には度し難いアクセスのし辛さだった。)簡単には行けない。
しかもこの対応を見てわかる通り、ダウンタウンまで行ったとしても荷物が見つかるとは限らない。

この時にブランドの最初のきっかけが生まれた。

「どうしても欲しくてアメリカまで来たのに手に入らないなんて、、、」

「だったらもういっそ自分で作った方がいいじゃん。」

この時からボンヤリやろうかなという第一の気持ちが芽生え始めたエピソード1である。
(結局荷物は見つかりませんでした)(でもジムでアルテムスやトレーナーに相談したら気を使ってくれたのでその話は別で)


やると決めたエピソード2にいこう。

生活にも少し慣れてきて、語学学校の友達と連日連夜遊び回ってた。

これは個人的見解だが、留学中は出来るだけ遊びに行き、誘いを断らず、英語を喋る時間を増やした方がいい。
机に向かって黙々と勉強する人を勿論尊敬する。
でもやはり英語で会話しないと英語で会話できるようにならない。
留学中一番“喋れなかった”人達は「日本人同士“だけ”で遊ぶ人達」だ。
それで楽しいなら勿論良いのだが、そもそもの目的を忘れている気がしてならない。

連日連夜、他の国の友人達が例え俺が喋れない状態でも関係無く誘ってくれたので、どんどん英語は上達した(筆記以外)。
そしてお互いの国の文化や言葉を英語で教えあい、自国のゲームで遊ぶ。
これほど楽しい時間もそうそう無い。

そしてあるスイス人の友達に尋ねられた。

「ショウゴは日本に帰ったらなにするんだ?」

「(まだそんなにガチで考えてはいないけど、なんとなーく)自分のアパレルブランドを作りたいと思ってるんだ」

「めちゃくちゃいいじゃん!日本に帰るまで待つ必要ないよ!今すぐ始めなよ!!やれ!今!」

全く笑いもせず、真剣に推してくれた。
みなさんも少なからず経験がないだろうか?
普段の自分からは想像もつかないこと、一般的には難しいと言われることを始める、やりたいと周りの人に言うと、とりあえず笑われるのを。

自分だってしてしまったことがある。
今ある友人が小説を書いているのだが、初めて「今小説を書いているんだ」と言われた時、思わず笑ってしまった。
甚く反省している。
勿論その後すぐスイス人の友人に見習い「素晴らしい!たくさん書いた方が良いよ!」と心から言ったが。

話をスイス人の友人のとこに戻そう。

その場で聞いてた別の友人も
「とても良いと思う!」と背中を押してくれた。
そこには微塵も嘲笑など無かった。
心から「やりたいならやりなよ!」という気持ちが伝わってきた。

ここで「自分のアパレルブランドを始める」ことがほぼ固まった。

その後、どの国の友人、先生達に「ブランドを始める」と言っても皆口を揃えて

「素晴らしいアイデアだ!」
「めちゃくちゃ良いね!」
「ショウゴにとても合ってるわ!」
「すごく興味がある!なにか仕事一緒にやろうよ!」

と言ってくれた。
実際に韓国人の友達は初めてのブランドルック撮影をしてくれた。
モデルも見つけてくれた。
ドイツ人の友達とは2年後、一緒にブランドルックの撮影をした。
彼もモデルをたくさん連れてきてくれた。

一人もいなかった。留学中の日本人の友人も含めてだ。
「ド素人からアパレルブランド」を始めることを笑う人は。
繰り返そう、只の一人も笑う人はいなかった。

まさに彼らのおかげでIVTTは存在している。
今は疎遠になってしまった者もいるが、今だにしょっちゅう連絡を取っている者もいる。
自分の中のボンヤリしたアイデアを決して笑うことなく、心から応援してくれた友人達を愛して止まない。
そしてもしここを読んでいる人の中に、なにかを始めようとして笑われたことがある人には俺から言おう。
「今すぐやろう。周りが笑おうが俺が笑わない。あなたのそのアイデアは素晴らしい。」と。


こうして

「手に入らないなら自分で作る」×「やりたいならやっちゃいなよ!ショウゴならできる!」

で帰国後、アパレルブランドを作る為の準備に入るのであった。

前回vol.3で「凄まじいマッチョ達との出会い」と書いたのに全く出てこなくてすいません、、、
それはまた「アメリカ留学シリーズ」で書きたいと思います。
「何故アパレルブランドを始めたか」で欠かせないエピソードだったのですこの2つは。

次回、vol.4は帰国後、日本中を駆けずり回る(主に電話とメールで)、現実的などうやってアパレルを始めたか、になります。
何度も書いてる通り、アメリカ留学・ヨーロッパ周遊エピソードは別枠で!

次回も見てね

↓おーいけのパーソナルトレーニングはこちら↓

↓IVTTのウェブサイトはこちら↓


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?