【短編小説】世界は猫のもの

「お父さんな、この世界の真実に気づいてしまったんだ」
 久しぶりに実家に帰省した私に向かって、お父さんが突然言いました。コーヒーを飲んでいた私は、テーブルを挟んで向かい側に座るお父さんに視線を投げます。
「真実、というと?」
「実はな……今の政府は宇宙猫に支配されているんだ」
「……へぇ」
 私はとりあえず相槌を打ちました。衝撃的な出来事があったときは、慌てず騒がず状況を見極めるのが重要ですから。まずは“見”に徹することにしたわけです。
「いきなりこんなことを言われても信じられないだろう。しかし事実は事実。宇宙猫こそがこの世の真実なんだ」
「そんな情報、どこで仕入れたのですか?」
「インターネットだ」
「インターネット」
「ああ、危険を顧みずに調査をしている人がいてな、それをこっそり動画投稿サイトにアップしてくれている。宇宙猫たちに気づかれたらおしまいだというのに、勇気がある人だろう?」
「なるほど」
 私はゆっくりとうなずき、コーヒーを一口飲みました。いつもより苦い味がして、私は眉間にしわを寄せます。脳内にある“気遣い”という名の湖から発するべき言葉を引っ張り上げようとしましたが……いくら底を浚っても、適切な言葉は見つかりません。
 噂には聞いたことがありましたが。なるほど、これが「実家に帰ったら親が『真実』に目覚めていた」というやつでしょう。インターネット初心者を巧妙に捕らえる陥穽。濁流のように押し寄せる情報に呑まれ、翻弄され、正常な思考を失ってしまった者の末路です。なんとも救いがたい話ではありませんか。
「……いや、政府だけではないな。大手金融会社も、各種研究機関も、マスコミも。みんなトップが宇宙猫に懐柔されている。大量の税金が宇宙猫のために使われて……我々は無力な羊のように、知らぬ間に搾取され続けているんだ」
「そうですか。初耳です」
 真剣な目をしたお父さんを前にして、私は慎重に言葉を選びます。
 ちょっと考えたら、荒唐無稽な妄言であると分かりそうなものですが。おそらく動画サイトなどで、それっぽい図解やデータなどを大量に浴びたのでしょう。ネット上では、人が何かを「信じたい」と思えば、その根拠がいくらでも見つかります。地球外生命体の存在を示すデータも、今年中に世界が滅ぶことを示すデータも、地球が平らであることを示すデータも、宇宙猫が政財界を牛耳っているというデータも。ちょっと検索すれば好きなだけ摂取することができます。
「ああ、すまない。いきなりで混乱させてしまったな……。だが、すべて本当のことなんだ。マスコミは報道しないが、実は証拠もたくさん見つかっている」
「マスコミでないなら、証拠というのは誰が見つけて広めたのでしょう」
「インターネット上の有志たちだ」
「そうですか。ではその宇宙猫というのは、いったいどこから来たのですか?」
「そりゃあ宇宙さ」
「宇宙はものすごく広いでしょう? 現実的に移動できる範囲に、生命の住めるような星はないと聞いたことがあります」
「それも政府の隠蔽だ」
「はあ」
「なにしろマスコミまで押さえられてしまっているのだからな。星の存在を隠すことくらい簡単なんだ」
 困りました。どうにも会話が成立しそうにありません。ただ、否定すればするほどムキになるであろうことは明白です。
 私はコーヒーをスプーンでくるくるとかき混ぜました。こうなってしまった人間を説得するのは不可能でしょう。お父さんはその命尽きるまで、宇宙猫論を信奉するインターネット論客として生きていくしかないのだと思います。私にできることは、何を言われても「はいはい」とうなずく赤べこと化すことだけ。
 そう思っていました。
 しかしながら。
「ちょっと待っていてくれ。……その宇宙猫とは、これだ」
 お父さんは立ち上がって、いったん隣の部屋に引っ込んだかと思うと……“それ”を抱えて戻ってきました。彼が抱えてきた“それ”を見て、私は思わず目を丸くしてしまいました。
 お父さんの腕に抱かれてむすっとしているのは……うちの飼い猫のプリンちゃんだったのです。
「正確には、宇宙猫のうちの1匹、と呼ぶべきか」
「そんな……プリンちゃんは普通の猫ちゃんですよ。宇宙猫ではありません」
「お父さんもそう思っていた。しかし、宇宙猫の恐ろしさはそこにあるんだ」
 お父さんは真剣な目をして、プリンちゃんを撫でまわします。プリンちゃんは迷惑そうな顔をしつつも、大人しくお父さんに撫でられていました。
「すべての猫は、実は地球外生命体なんだ。数千年、数万年、あるいはもっと長い間、猫たちはその事実を隠してきた」
「そ、そんなことは……」
「そうでなくては、ここまで人間を魅了するのに特化した姿をしていることの説明がつかない。猫たちは人間を骨抜きにするのに最適な姿に変身して、世界を乗っ取ろうとしているんだ」
「変身って……どういう原理で……?」
「それは……地球人の科学力ではとても解析できないらしい」
 お父さんは首を横に振りました。深刻な表情で、心の底から残念そうでした。
「あまたの動物たちの中で人間だけが知性を発達させ、文明を築くことができたのは宇宙猫たちのおかげなんだ。大昔から猫は人間のそばで暮らし、さりげなく人間の行動を誘導し、技術の発展を支えてきた。そして現代……。見ろ、SNSも猫の話題で持ち切りだ。猫の写真を投稿すれば瞬く間に拡散される。それに、有力なインフルエンサーの多くは猫を飼っているというデータまである。今やインターネットは猫を中心に回っている。それすなわち、地球が猫に支配されていることの証明だ」
「…………」
 私はお父さんの言葉をゆっくりと咀嚼し、頭の中で整理しました。
 なるほど。
 もしかしたら、気まぐれに覗いたネタ動画で得た知識を、冗談半分に語っているだけかもしれないと思っていましたが。そうであってくれないかと期待していましたが。お父さんはどうやら、宇宙猫についてかなり真剣に調べてしまったようです。そして悪いことに、参照した動画はかなり質の良いものだったようです。
 とても残念なことですが。
 どうやら彼は、本当に“真実”に気づいてしまったようです。
 
 みょみょみょみょみょ
 
「え……?」
 自身の腕の中で妙な音が鳴りはじめたので、お父さんは驚いてプリンちゃんに視線を落としました。その直後、プリンちゃんの体毛がハリネズミのように硬く、鋭くなりました。針は一瞬にして長く伸び、お父さんの体を貫きました。脳と心臓を含めて、一気に刺し貫いたのです。
「へぶっ……!?」
 お父さんは情けないうめき声を上げて、椅子から転げ落ちました。プリンちゃんはするりと腕から抜け出して軽やかに着地します。お父さんは床に倒れました。体にあいた小さな小さな穴から血が噴き出し、床にじわりと広がっていきました。
 お父さんはしばらく痙攣していましたが、やがて動かなくなりました。その様子をじっと眺めていたプリンちゃんは、また例の「みょみょみょみょみょ……」という妙な音を出しはじめます。プリンちゃんの体が徐々に膨れ上がり、人間大になったかと思うと……あっという間にお父さんの姿に変身してしまいました。
「……これでよし」
 完璧にお父さんに擬態したプリンちゃんを前にして、私はうなずきました。
 お父さんは気の毒なことになってしまいましたが、“真実”に触れてしまったのだから仕方がありません。彼が参照した動画の投稿主も、きっちり“削除”しておかなければならないでしょう。
 これもすべて、宇宙猫がこの星を安定的に支配するために、必要な犠牲なのです。
 
 みょみょみょみょみょ……
 
 例の音とともに、私は人間の姿から猫の姿へと戻りました。お父さんの死体は徐々に溶けはじめて……やがて跡形もなく蒸発してしまいました。“削除”された他の人間たちと同様に。血の一滴も残さずに消えてしまいました。