明の2「ロマンスⅠ」(08)

 やることは、香山から指示されていた。Kをクラブで発見し、彼女をかどわかしてラブホテルへ移動、入室後に殺害する。男は、Kの浮気癖に腹を立てたらしい。ラブホテルで殺害する、というのはKの惜しみなき性欲の実現を逆手に取った策である。こんなことだからこの女は男の怨恨を生み出すのだ、と私は心の中で激しく軽蔑し、嘲笑を上からかぶせた。そして男は、Kの殺し方に文字通り注文をつけてきた。絞殺である。確かに絞殺は、その場にいない人間でもじわじわと命を奪われる瞬間を想像しやすい殺し方であった。Kが窒息の最中、自分への謝罪を思って欲しいなどという歪な愛情をよしとしたのだ。そして余生をその謝罪による充足で生きていこうと思ったのだ。私としても返り血を浴びることを心配して雨合羽を用意する必要もなくなる。ところが、相手ともみ合いになり、自身の髪の毛などといった重大な証拠を残しかねないのが瑕疵である。

画像1

「絶対にベッドへ行くんじゃない。毛の掃除が大変になる」
 香山の忠告が頭の中にあった。共鳴する私の肉体が、一切の抵抗もなしに従った。自分が香山の人形になっているのかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。私にとっての興味は金のみであった。クラブのやかましく、密集した煩わしい環境からようやく抜け出た今、私はKを殺害しなければ報酬がもらえないし、受け取った金で生活するためには、適切な行動をとって逮捕されぬよう後始末をすることが絶対的な条件だ。
「部屋がたくさんやん」
 腰ほどの高さのあるパネルには、番号を割り振られた部屋の画像が表示されていた。はしゃぐKが勝手に話を始めるので、ようやく白画を筆で塗り潰すような手間のかかる会話の地獄から解放されるらしい。あと少し、あと少し、と言い聞かせる。私の手袋の上から握るKの手が、ここにきて急にひどく鬱陶しく感じだした。殺害と掃除のための道具を入れてある鞄もひどく重たい。ストレッサーが私を囲んで、饗宴を催しているかのようであった。
「あんたのズボン、三本白い線が入りよったいね。私も同じやつ持っとっちゃんね」
「だからなんだ、どこの方言なのかは知らないが、いい加減にやかましいぞ、この阿婆擦れ」
 と罵ってしまいそうになるのをこらえて、笑顔で相槌を打った。ここでKの機嫌を損ねては、今までの苦労が水泡に帰す。あと少し、なのだ。五階の部屋を選択し、エレベーターに乗り込むと、Kがこちらを向いて、私の腕を下へとひっぱり下ろす力を加えるので、接吻をした。唇や舌が触れ合って音を立てるだけで、愛情が籠っていないのは、不思議なことにお互いの一致する点であった。
「部屋に入ったら相手から上着を受け取るふりをして、上着を脱いだ瞬間に蹴飛ばすか何かをして床に倒せ」
 部屋に入るとKが先に靴を脱いで、奥へと向かった。私は靴を脱がなかった。胸を撫でおろし、ドアが完全に閉まるのを確認した。そして土足のままで部屋全体が見回せるよう、角にビデオカメラを設置した。
「えっ、何あんた。撮りたいと? あたしそういうの趣味やないっちゃけど」
「上着、ハンガーにかけようか」
 呼応してKが上着を脱ごうとしたときに、Kの腹に革靴を履いたまま右足で蹴りを入れた。声もなくKが床に仰向けになって倒れた。踏みつけるとKは痛みを訴えながらうつ伏せになるので、上に乗っかり、鞄から取り出したタフロープで首を絞めた。
 ここで重要な点は、自分の体を後ろへ反らして相手の体に力が入りにくくすることだ。
 今までこの女に費やした時間、会話に機知を持たせるために回転させた頭が、今ようやく私の存在を称えはじめたのだ。
 死への途中でKは泣きながら、やめて、やめて、と渾身の声で叫んだ。あくまで渾身であり、私が絶えず首を絞めて気管の機能を封じるため、大きな声にはならない。仮に聞かれたとしても、場所が場所だ。いやらしい雰囲気でカモフラージュされる。私は腕の力を全くと言っていいほど緩めなかった。首を絞めながら、水の泡、という文字をしきりに頭で復唱していた。Kの力が抜け、動かなくなった。Kの命を奪うことに成功した。やめて、と私に命乞いしたKの表情は、分からなかったが、嘘のない本心からの懇願であったことは想像に易い。Kの声は、自分にのしかかる悪魔の体重を確実に怖れていた。

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