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付き合い始めた最初の日に私が誰よりも幸せにしてあげるねと言ってきた彼女

(こちらの記事の続きとなります)

けれど、最初にセックスしたあと、シャワーを浴びてからベッドに並んで横になっているとき、聡美が「私たちが付き合ってるって知ったら」というように話していて、それにはぎょっとしてしまった。

もうこれで付き合っていることになるんだなと思ったのだ。

そのときは話がすぐに流れていって、付き合うことにするのか確認することもないままになってしまった。

そして、それとは別に聡美から「付き合う?」と聞かれてもいない。

聡美の中ではすでにそういうことになっているのだろう。

今まで一緒にいて楽しかったし、触ってみたいなとも思っていた。

だから、実際に触り合って、まだ一晩だけれど、一緒に眠って、一緒に起きて、またお喋りして触り合ってという時間を過ごすことができて、うれしいなと思っている。

ただ、付き合うとかそういうことについては、まだ俺の中ではどうとも考えていない状態だった。

だから、もう聡美の中で付き合っていることになっていて、単純に驚いてしまった。

そして、そのままのんびりしていて、空っぽになったグラスにビールを注いでくれたりしながら、聡美はうれしそうにしていたのだけれど、他には何かないかと聞いてきて、俺がよくわからない顔をしていたら、「何でもしてあげるね」と言ってきた。

俺が聡美を見ていると、聡美も俺を見ていて、「私はね、好きな人と一緒にいられたら、その人を誰よりも幸せにしてあげられるって思ってるの」と言ってきた。

俺は何を言われているのかよくわからなくて、曖昧に微笑んでいたのだと思うけれど、聡美は「それは、私に任せてといてくれたら、そうしてあげるから」と言ってきた。

そんなことを女の人から言われたのは初めてだった。

私は幸せにしてあげられるし、私に任せてくれたら、幸せにしてあげられるんだからねだなんて、そんなことをいう人がいるんだなと驚いたし、聡美さんのような人がそんなことをいうのかと、余計に驚いた。

誰かが誰かを幸せにするなんてことができると思っているというのは、どういうことなんだろうと思ってしまう。

けれど、それは不幸だったことがないままで生きてきたからそう思うことで、聡美は自分のことを不幸だと思っているのだろう。

話を少し聞いているにも、嫌なことがたくさんあった人なんだなと思う。

聡美が自分のことを不幸だと俺に訴えたのなら、俺はそれに同意するのだと思う。

そして、聡美は不幸でなくなりたいと今俺に訴えているのだ。

聡美にとっては、幸せとは不幸ではないということなのだろう。

幸せにしてあげるなんて、幸せはこういうもんだとわかりきったように喋っているのにしても、自分を不幸せだと思っているから、そうじゃない状態になれたらそれが幸せだと単純に考えているからなのだろう。

傷付けられてきたから、傷付かずにすめばそれが幸せなのだ。

不安がないとか、脅かされていないとか、寂しくないとか、自分の居場所があるとか、そういうことが聡美の言う幸せなのだろう。

幸せにしてあげると言われるから意味がわからなくなってしまうけれど、聡美が幸せになりたいのだ。

俺を幸せにしてあげることで、自分も幸せになれるということなのだろう。

一緒にいて、いろいろしてあげて、何でもしてあげて、誰よりも幸せにしてあげる。

幸せにしてあげることは、幸せにしてあげていることで、幸せにしてあげられていれば寂しさを感じることはない。

そして、一緒にいてくれない人は幸せにしてあげられない。

幸せにしてあげられる人がいたら寂しくない。

そういうことなのだろう。

そして、俺を幸せにするためにできるかぎりのことをしてあげるつもりがあるのだ。

してあげたいことはたくさんあるし、してあげたい気持ちもたくさんある。

絶対に面倒くさがらないし、絶対に自分のことよりあなたのことを優先し続けられる自信がある。

だから、私は私を好きになってくれた人を誰よりも幸せにしてあげられる。

そういうことなのだろう。

幸せとは何かということは、映画でも本でもよくテーマにされていることだけれど、聡美からすればそういう話はただただバカバカしいばかりなのだろうなと思う。

不幸じゃなければ幸せなのに、どこの温室育ちが暇にあかせて頭の悪い話をしたがっているんだとしか思えないのだろう。

けれど、だからといって、眼の前の人間に、幸せにしてあげるからねと言ってしまえるほどに、幸せになりたいというのは、どういうことなのだろうと思う。

どうしたらそんな思い方で、幸せになりたいと思うようになるのだろう。

きっと、聡美は疲れきってしまっているのだろう。
単純に、元気なら、幸せになりたいだなんて思ったりしないものだろう。

けれど、傷付くことに疲れ、寂しさに疲れ、報われないことに疲れ、それでも頑張っていたのだ。

肉体的精神的な疲労に対しては、今までがむしゃらに頑張ってうやむやにしてきた。

けれど、それは人生に対しての疲労を着々と貯めこんできたということでもあるのだろう。

聡美は今から人生の休息期が始まると思っているのかもしれない。

もし、疲れたからそろそろ幸せになりたいというようなことなら、幸せといっても、疲れないような場所を確保したいというような意味でしかないのかもしれない。

苦痛がないことが目的で、何かがあることが幸せということではないのだろう。

何かが欲しいとしても苦痛がない場所が欲しいだけで、その場所で起こる楽しげな出来事なら何でもよかったりするのかもしれない。

けれど、苦痛がないとか、裏切りがないとか、何かがないだけなら、それは何もないということなんじゃないかと思う。

何かがないために一緒にいるのなら、そういう幸せな何もなさの中で俺は何をすればいいんだろうか。

俺は何もないための相手が欲しいわけではないのだ。

その人のその人らしさを感じていたいと思える人と、お互いの自分らしさを感じ合うために一緒にいたい。

けれど、聡美は苦痛を感じないために俺と一緒にいたいのかもしれないし、そうすると、俺はできるかぎり苦痛を感じることがない範囲をはみ出さないように接してあげないといけないのかもしれない。


(続き)


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