見出し画像

【小説】つまらない◯◯◯◯ 37

 多くの人は、具体的に褒めてあげたいとも、具体的に褒めてもらいたいとも思っていなかったりするのかもしれない。褒める側はよくわからなくても褒めておくものだと思っているし、褒められる側もよくわからないなりに褒めてくれているものだろうとわかっているうえで、それを当たり前に思っているのだろう。それしかないのが当たり前だから、ただ積極的に褒めてあげるだけで、褒める側も気分がよかったりするし、多くの人にとっては、そうやって積極的に褒めてくれる人は接していて気分のいい人だったりするのだろう。
 そして、それは恋人同士でも同じなのだ。褒めてあげれば喜ぶものだと聡美は思っているのだろう。その思い方はたいていの場合正しくて、それなのに、たまたま俺がそれには当てはまらなかったというだけなのだ。
 俺はあまり内容をわかっていないことに対して、あまりわからないけれどという但し書きを付けずに、頭ごなしに褒められるのが苦手だった。わかってないんだから褒めようとしなくてもいいのになと思ってしまうし、褒められたから喜んであげないといけないのかなと窮屈な気持ちになってしまうのだ。
 褒められるのをなんとなく苦手に思うようになったのは、二十歳を過ぎたくらいからだったのだろう。もちろん、ちゃんと褒めてくれればうれしかったけれど、大雑把に褒められたときには、そういう問題じゃないだろうと思ってしまっていた。きっとそういう気持ちになる人はそこそこいるのだろうと思う。俺は今までに充分褒められ足りていたし、まわりの人からも信頼されていたり、面白いと思ってもらえたりしていたから、わざわざ近しい人からどうでもいいことで褒めてもらう必要はなかったのだ。よく知らない人からそう言われるのなら、よく知らない人同士の社交辞令的なものだと思って流していられるけれど、近しい人から頭ごなしに褒められると、間近で無視されているような嫌な気分になってしまう。ふたりで時間を過ごしていて、別にそこまで忙しくないのだから、結果だけ見て大雑把に褒めてしまわないで、相手のことをもう少しは感じたうえで、自分が相手から感じ取ったポイントで褒めてあげればいいのになと思ってしまうのだ。
 俺が褒められたときにそんなことを感じているということを、聡美はまだわかっていないのだろう。そのうちわかってくれるのだろうか。けれど、そもそも、相手が何をやったのかという結果ではなく、相手のやったことの中身に反応するという感覚がなかったりするのなら、この先も同じような感じなのかなと思ったりもする。
 けれど、聡美の場合はそもそも俺の仕事に興味もなかったのだろう。そもそも興味を持つべきものだとも思っていなかったのかもしれない。同じ部署だったときに、聡美も宛先に含んで仕事のメールを送ることもあったけれど、それに対しての返信だとか、会議なんかでの発言からしても、あまりまともにメールの中身を読んでいないんだろうなとは思っていた。とはいえ、それは聡美だけではなく、部署全体がそうだったというのはある。他人の仕事にちゃんと反応しようと思っていそうな人は部署内にはほとんどいなかった。会議や打ち合わせがあるたびに、他人のやりとりしていたメールの内容や、他人の作った資料を読んでいなかったり、読んでいても目を通したくらいで内容について少しも考えてみようとした形跡もなさそうなことに、いつもうんざりしていた。それでも俺は、ここではそれが普通なんだろうと思いながらも、他人のメールにしても、他人の提案資料にしても、時間をとって確認して、自分なりの意見を考えたうえで、会議に出るようにしていた。けれど、その部署がやる気がないから異動したとはいえ、その部署にいた頃の聡美は、そんなふうにしてはいなかっただろうと思う。
 聡美にしたって、仕事相手としては、俺にとっては物足りなさのある人なんだろうなとは思う。もちろん、俺と同じ部署だったときの聡美は、部署のやる気のない雰囲気にある程度合わせて仕事をしていただけなのだろう。上司によるところはあるだろうけれど、自分がリーダーでないのなら、みんなで一体感を損なわずに楽しく仕事が進められるのが大事なことで、そもそも仕事のやり方についてあれこれ考えることは誰からも求められていなかったのだ。決まったことをやることだけが求められていたのだし、そういう意味では聡美は充分すぎるほどの仕事をしていたといえるのだろう。言われたことは前向きに対応するし、自分のやるべきこともせっせと進めるし、意見を求めれば積極的に自分の意見も出してくれて、職場にいるほとんどの人よりも、みんなにとって仕事のやりやすい人として働いていたのだ。
 きっと、聡美は仕事に対して、やり方は何でもよくて、やり方が決まったらそのやり方で頑張ればいいというくらいの考え方なのだろう。それでも、頭のよさとかサービス精神とか体力の問題で、決まったことを決まったとおりにやるというだけで、たいていの人よりは優秀だったりしてしまうのだろう。前の部署にいたときの聡美からすれば、まわりからバリバリ働くことを求められない環境にいたのだから、仕事なんて適当にやればよくて、適当じゃないふうにやろうとするだけ虚しかったりしたくらいだったのだろうと思う。けれど、そんなスタンスで働いているから、他人の仕事をなるべく理解してあげようと思うこともないままになっているのだろうし、褒めてあげようと思ったときにも、どう頑張っているのかをよく見ようともしないまま、褒めるときにしっかり気持ちを込めれば、それでちゃんと褒められていると思ってしまうことになっているというのはあるのだ。
 別に、仕事に対してやることをやるというスタンスでいることには、何とも思っていないのだ。この先一緒に仕事をすることもないのだし、それは何の問題もない。けれど、俺とあれこれと喋っていてもそんなノリだったとして、これからやっていけるんだろうかとは思ってしまうのだ。聡美と話していて、俺がどんな人間なのかということを、もっと知っていきたいという気持ちがあまりないのかなと思うことがあるし、仕事以外のことでも、どうして俺はそんなふうに感じるのかというようなことを話しているときなんかは、聞いている顔を見ていて、よくわからないなと思われているんだろうなと感じている。
 嫉妬しないと言われて「変わってんね」と言っていたけれど、お仕事大変だねと言ってあげたのに「よくない進め方をしてるせいで無駄に時間かかってるだけだから、頑張ってるってわけでもないかな」と返ってきたことにも、「そっかぁ」と言いながら、内心で「変わってんな」と思っていたのだろう。どんなふうに変わってる人なのかということに興味を持ってくれたわけでもなく、変な癖を持っている人に、変なのと思っただけで素通りしていくような、それくらいのことしか感じていなかったのだろう。
 そういう恋愛とか仕事とか、人格の中心的なところに対して「変わってんね」と切り捨てるようにして俺をわからないと思ったのに、どうして好きになったのかなとは思ってしまう。聡美が変わってんねと思ったのは正しくて、俺は聡美の基準からすると、それなりに標準から外れてしまっているのだろうと思う。
 手が降りてきて、俺の頬にそっと添えられる。俺が顔をあげると、聡美がほんの小さく笑って、口をゆるくすぼめながら、そのまま上から頭をこちらに近付けてくる。
 そのままではキスできないから、身体を起こして唇を近付ける。軽くキスされて、聡美はまたテレビに視線を戻した。唇が少しすぼめられたままになっていて、かわいいなと思う。
 グラスを取って、腰をずらして聡美の腰にくっつけてビールを飲んだ。聡美は俺を横目で見て、へらっと笑みを作った。
 聡美は俺と一緒にいると楽しいんだろうなと思う。楽しかったから、この人で大丈夫だと思って、俺のことを好きになることにしたのだろう。仕事には真面目で、あとはいいかげんで、ところどころ変な、楽しい人。そんなくらいにしか思っていないのかもしれない。仕事の話をいろいろしているときに、自分の話をちゃんと聞いてくれて、いいかげんじゃないように褒めてくれていたことも大きかったのだろう。けれど、そういうまともなところもあったうえで、楽しいから一緒にいようと思えたんだろうなと思う。俺はギャグのようなことはほとんど言わないし、自分から楽しそうにはしゃいで盛り上げようとするタイプでもなかったけれど、会って話しているときでも、メッセージをやりとりしているときでも、話の流れでふざけられそうなところはふざけていたし、聡美がふざけたことを言うのに対しても、ひとつひとつ反応していた。俺がふざけていたのを全部面白いと思っていたわけではないだろうけれど、聡美はずっと楽しそうにしていたなと思う。メッセージをやりとりしていても、「しょーだラインまじウケる」というようなリアクションが何度もあった。聡美は、女の人の中で見れば、かなりいつでも面白いことを言おうとしたりふざけようとしているほうだったし、それにちゃんとついてきてくれているとも思っていたのだろう。
 けれど、聡美が俺を楽しい人だと思ってくれているとしても、俺は自分のことを楽しい人だとは思っていなかったりするのだ。むしろ、俺は自分のことをつまらない人だと思っている。俺はつまらないことをしていても、たいして退屈することもなく、これはこんなふうなんだなと思って時間を過ごしていられる。面白かったり楽しかったりしなくても平気な人という意味で、俺はつまらない人なのだ。


(続き)


(全話リンク)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?