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「子供の将来」と「教員の働き方改革」のどちらを優先すべきか。

教員界隈でよく問題になることの一つに「子供の将来」と「教員の働き方改革」のどちらを優先すべきか、という問いがあります。

おそらく、日本中の多くの学校や教育委員会でこの問題は議論され、結局は結論の出ないまま放置されていることがほとんどではないでしょうか。

しかし、今回は私の個人的立場から、明確に主張をしたいと思います。

優先すべきは「教員の働き方改革」

多くの教員の反感を買うことになる可能性はありますが、これは一択です。

「教員の働き方改革」しか解答はありませんし、これが模範解答であり唯一の正解だと私は信じています。

なぜならば、労働基準法を超えた労働を強制することはいかなる崇高な理念や目的があろうとも違法行為に過ぎないからです。

生徒のためを思って時間外の労働を行いながら、残業の未払いを甘んじて受けている教員の方は全国に多数存在します。

彼らは生徒のため、という美辞麗句に騙され不当な労働を行っています。これは明確な違法行為であり、教員から時間や賃金を騙し取る詐欺行為に過ぎません。

仮に教員側がそれを認識している上で行っている、あるいは年少の教員に対しそうした労働を強いているのだとすればそれは悪質な詐欺の共犯行為を行っているに過ぎないのです。

「子供の将来」に全力を尽くすのが教員の役割

こうした考え方に対し異を唱える人が教員の中には多く存在します。
(教員以外の人でそうした考え方の人は、他人に強制労働を強いることで自分の利益を掠め取ろうとする盗人に過ぎません)

特に昭和や平成をそうした考え方を当たり前として受け入れてきた世代ほど多いのでしょう。

しかし、そうした全力での奉仕はあくまでも給与の範囲内で行うべきことに過ぎません。

仮に、一日中、24時間対応するのであれば、それ相応の金額を支払う必要はあります。

民間に24時間体制の教育相談や面談対応を求めた場合、どれほどの費用負担となるかを考えれば、無理難題であるというは自明のことです。

労働基準法を超えた労働を強いる行為は違法であるという認識が薄い

日本には労働基準法が定められており、労働時間は厳格に制限されています。

使用者1日に8時間、1週間に40時間を超えて労働させてはいけない、というのは努力目標ではありません。

労使協定、いわゆる36協定を結んでいる場合でも割増賃金を支払った上で平均で月80時間、単月では100時間以内と定められています。

そしてこれを超えて労働行為を強いた使用者には罰則が科されることになります。

当然保護者や生徒が追加のサービスを求めたとしても、管理者はそれを断る必要があります。

学校管理者は明らかにそうした刑罰に対する認識が薄く、遵法意識に欠けているのではないでしょうか。

管理職だけの責任ではない

仮に教育上必要である対応と考えられるのであれば、それを担任や担当教員一人に負わせるのではなく、学校など組織単位で対応する仕組みやシステムを作る必要があるでしょう。

現時点でそうしたシステムができていないのであれば、それは管理者の責任問題ではあります。

しかし、こうした事に対し教員一人ひとりも労働者としての意識を持ち、労働関連の法律的知識や労働問題に関心を持つ必要があるでしょう。

今のような労基法を無視が公然とまかり通る状況を招いた原因は、個々人の意識の低下であることは否定しようのない事実です。

教職員組合などの労組が政治思想問題に傾倒し、本質である労働条件や待遇改善をおろそかにした結果、加入者率も減少してその影響力を失っていったことに対しては、組合関係者だけでなくすべての教員、一人ひとりが大きく反省する必要があるでしょう。
(公立学校の教員が争議権を持っていないとしても、労働基準法すら適用されないと勘違いしている人がいます)

幸い、私の勤務校は労働組合がそれなりに機能しており、また管理者が遵法意識を持っていることもあり、ある程度きちんとした待遇で勤務をすることができています。

しかし、そのような比較的恵まれた勤務先であっても、労働意識に関しては教員間で差があるのが実情です。

自由な社会の実現は、労働による個人の財産権を保証することにその根源があります。

民主国家の次世代を育てる仕事を担う教員こそがむしろ、他の労働者よりも労働意識を強く持ち次世代へつなぐ必要があるはずです。

大人が正しく、健全に働く姿を見せることこそが「子供の将来」を豊かにする教育なのではないでしょうか。


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