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【題未定】人となりと文学【エッセイ】

 自分という人間の性格をきちんと理解できている人は少ない。傑出した人格者だとしても、自己理解がどこまで正確かは疑わしい。まして私のような凡才ならば言わずもがなだろう。誰がどう考えても好印象な人格者が自分の性格の悪さに苦しんでいたり、その逆に人間性としては首をひねるような人物が自分のことを懐の広い好男子と思い込んでいる話は度々耳にする。要は自分を捉えるというのは想像以上に難しいということなのだろう。

 ではそれが不可能かと言えばそうでもない。ある人間の人となりを理解するのに、その人そのものを見るよりもその人の見ている景色を見るというやり方がある。例えばその人の好きなもの、生活習慣、住んでいる場所や持っている車、様々なものがその人を捉えるヒントになる。朝食一つとっても普段何を食べるかでせっかちなのか、のんびり型なのかを判断する材料にはなるだろう。

 数多ある趣味趣向の中でも、その人の好む文章は人間性が表れやすいものだろう。特に小説などの文学の好みは人となりが表れやすいように思える。だからこそ、私自身のことを表現するには私が好む文学、作家を書くのは手っ取り早い手法だと考えて少しまとめてみることにする。

 私が文学作品に向き合った最初のきっかけは高校時代に遡る。当時、教科書に載っていた夏目漱石の「こころ」が面白く、学校の帰り道に古本屋によって文庫を買ったのを覚えている。それが契機となって、高校時代は夏目漱石をとにかく乱読した。漱石作品は大半が文庫化されていて、しかも毎年読書フェアなどで平積みされ、数年おきに装丁を新しくするため、ブックオフなどでは大量に在庫が余っているのだ。1冊100円という価格もあって、高校生に手が出しやすいということもあったのかもしれない。マンガも好んで読んでいたが、マンガは読書時間の割に1冊あたりの価格が高いため懐寂しい高校生にはマンガよりも小説の方がありがたかった。

 漱石の文章の何が面白いのか、と言われると正直それを口に出して表現できるほど私は感性が豊かではないようだ。1冊1冊はそれぞれがそれなりに面白いが、だから漱石作品の全体を通してどうか、と言われると言葉に詰まる。ただ、全体を通して好きなものが一つだけある。それは漱石の文章の言葉遣い、言い回し、文体である。漱石の文章は警句的でありながら軽妙洒脱な文で、舌鋒鋭い社会批風刺や問題提起をリズミカルに展開するのは見事であり、あの雰囲気に高校時分は酔ったものだ。背伸びをしたい年頃の少年にはうってつけだったのだろう。

 現在においても漱石を好む趣向は変わっていないが、その中で一冊というと「草枕」だろう。「智に働けば角が立つ」から始まる冒頭は何度読み返してもその指摘の鋭さとリズムのミスマッチに感心してしまう。こうしたことを考えると、私のこの文章の冒頭の長い文章も漱石の二番、三番煎じ、猿真似の類なのだろう。

 文豪を例に出しては憚られるが、あのような文章を書けるようになりたいものである。


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