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「大学受験に成功した先輩は部活をしっかり頑張っていた生徒だ」という幻想

私の勤務校では各クラスに常設で進路関係の書籍を置いています。

主に旺文社から出ている「螢雪時代」を購入しており、生徒も自由に読むことができるようにしています。

先日、4月号を読み返していると2つの記事に目が止まりました。

「部活・行事と両立! 難関大合格ストーリー」と「進学トップ校の先生に聞く! 受験生の「両立」生活」という題名のものです。

記事の大まかな内容

大まかには部活と学業の両立に関する内容で、以下のようなことが書いてありました。

  1. 部活動をしっかりすることで時間の大切さがわかる。

  2. すきま時間の活用ができるようになる。

  3. 進学への動機づけが明確化する。

  4. 教科の横断的な学びが深まる。

  5. 推薦選抜などのエビデンスとなる。

自分の高校時代での記憶と比較して

私は高校時代、公立の進学校に通っていました。当時の記憶を掘り起こしてみると、やはり上記のような内容を担任や進路指導担当者から聞いた気がします。

要は「大学受験に成功した先輩は部活をしっかり頑張っていた生徒だ」というものです。

この手の話は昔から教員が好むもののようです。ベ○ッセも当該内容の記事を教員向けの冊子に繰り返し掲載しています。

しかし、私はこの話に関して当時から眉唾ものだと思って聞いていました。

実際、先程の螢雪時代の5つのトピックについて考えてみたいと思います。

螢雪時代による、部活と学業両立者の長所に関する考察

1.部活動をしっかりすることで時間の大切さがわかる。

一見、正しそうに見えます。しかしそもそも部活動をするから学習時間を奪っています。

目標を上げれば、どれだけ勉強しても時間が余るということはありません。

そもそも、部活動をしないと時間の大切さに気づけないような人は難関大学受験に向いていないと思うのですが。

2.すきま時間の活用ができるようになる。

これも1と同じです。

そもそも、すきま時間に学習を入れ込むのは部活動をしているか否かに関わらずやるべきことです。

特に単語の暗記などは視界に入れた回数を増やす必要がありますから、すきま時間に回数を稼ぐのがコツになります。

むしろ、学習と学習の合間などすきま時間が多い、教材が手元に揃いやすいのは非部活せいだと思います。

3.進学への動機づけが明確化する。

部活動を通して、他者との協力などからやりたいことが見えてくるそうです。

例えばサッカーをして、サッカーや関連の職種以外に興味が出ることは少ないと思うのですが。

むしろ、学業に専念する方がよっぽど学びたいことや分野、領域などが明確化するのではないかと思います。

4.教科の横断的な学びが深まる。

これこそ、教科を多く学習することが最も横断的な学びになるはずです。

ということは、入試では出ない内容は横断的な学びに最適でしょう。

逆に、部活動しか横断型の学習をする機会がないというのは明らかに興味関心が不足しており、部活動以外の横断的な学びについて触れさせる時間が必要であり、部活動を熱心にしている場合ではないでしょう。

5.推薦選抜などのエビデンスとなる。

部活動に入っていたことで入試のエビデンスと成り得るか、と言う問いに関しては間違いです。

推薦や総合型選抜は、何にどのような目的、目標を持って取り組んだか、あるいはそれによっていかなる成長ができたか、といったことがまとまっていない状態では不十分です。

明らかに、「大学受験に成功した先輩は部活をしっかり頑張っていた生徒だ」という主張は無条件で認めるには難しいようです。

どう考えても、時間的にも学習機会的にも部活動をしていないほうが有利です。

なぜ、このような幻想が生まれるのか

このような幻想が学校現場で信じられている理由はどうしてでしょうか。

  • 日本的精神論

  • 生存者バイアス

おそらく上記の2つが大きく影響しているのではないでしょうか。

武道などにも通じる、肉体的精神的苦痛に耐えた人間こそが大きく成長する、上下関係や先輩後輩の人間関係を上手く構築できたものこそが人間として優れているという精神論においては、部活学業両立者こそが成功者でなければいけません。

これに、生存者バイアスが掛かり、成功した過去の事例ばかりがストックされて記憶のデータベースの中に保管されていきます。

部活動に熱心になったがため学力が不足して受験に失敗した事例は、熱心さが足りなかった事例に分類されるというわけです。
(部活をせずに受験に成功した事例は、卑怯な手段で合格したか、偶然の運に恵まれたレアケースとして処理される)

相関性と因果性

この幻想に関して、ふわっとした教員側の話のネタ的なものとしては聞いたことはありますが、その相関性を定量的なデータで見たことは一度もありません。

さらに言えば、因果性に言及するものは皆無です。
(部活を頑張った、という状態の定義が難しい)

他者比較ではなく、特定の一人に対して「部活を頑張りつつ受験勉強も頑張る」という状態と「受験勉強に全振りをして、塾や予備校にも通う」状態のどちらが受験に有利かを考えれば答えは自明なのですが。

部活動を否定しているわけではない

個人的には部活動に意味をあまり見出していませんが、部活の存在そのものや部活動生徒を否定しているわけではありません。

ただ、高校生が大学受験というフィールドで勝負をする場合において、幻想に惑わされることなく、不利であるという現実を受け入れた上で参加すべきだと考えているだけなのです。

そして教員は責任ある大人として、部活動が受験において不利になることを生徒に伝える必要があるのではないでしょうか。

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