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暗記とは「思考の付箋」

高等学校でも次年度から新課程のカリキュラムがスタートします。

学力の三要素が「知識・技能」、「思考力・判断力・表現力」、「主体性・多様性・協働性」と定義され、最初の要素を基礎としつつも、これまでよりも後者の二つに重きを置く指導方針が示されています。

文部科学省 公式サイトより
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1383986.htm#section4

「知識・技能」を軽んじるわけではありませんが、必然的にその習得に当てる時間は減少する方向にあるようです。

共通テストの変化

これに伴い、大学入試も大きく変化を迎え、共通テストの問題傾向も今までのそれとは大きく異なるものとなりつつあります。

昨年度の英語、本年度の数学の出題傾向の変更は実際にテストを受ける受験生だけでなく、教員や塾、予備校など指導者側にも衝撃が走るものでした。

文法的な暗記分野は無くなり、公式と解法暗記で解ける問題もほぼ無くなりました。読み取りからの情報処理、前提知識を使いつつも、その場での思考力を問う形式への変更は普段の授業の変化を否応無しに要求するものと言えます。

必然的に今回の共通テストの変更を機に、「暗記=古臭い、旧時代の学習方法」というイメージが強くなりつつあります。

調べれば分かることを覚えるのは無意味なのか

「今はスマホですぐに調べられる、調べれば分かることを覚えるのはナンセンスだ。」

といった言説をネット上ではよく見かけます。

その言わんとするところは理解できますが、果たしてそうなのでしょうか。

実際のところ、全く知識がない場合、検索を掛けることも難しくなります。

用語が分かって意味がわからない場合はすぐに検索が可能です。しかし、意味をぼんやりと掴みかねている状態で検索は可能でしょうか。

AIによって「もしかして」のような類語提案はできていますが、その精度はさほど高くありません。

この、「なんとなく思い当たる事象や事物を検索しようとして上手く引っかからない現象」に遭遇した人は少なくないと思います。

さらに、そのような場合に検索にはどれほどの時間がかかるでしょうか。

科学技術の進歩は暗記を排除するまでに至っていない

現代のスマホと私たちの頭脳はダイレクトに接続がなされていません。したがってネット上の外部記憶装置に記憶を委ねた場合、どうしてもタイムロスが発生することになります。

  • 頭脳 → 肉体 → スマートフォン → 外部記憶装置 :ロスが大きい

  • 頭脳 → 外部記憶装置 :ロスが最小限

「攻殻機動隊」の電脳化技術みたいなものですが、これが実現できるまでは検索が暗記を代替することは難しいのではないでしょうか。

最低でもあと半世紀、短くとも四半世紀は掛かりそうだと思います。
(個人的には10年以内に実現することを願っていますが…)

「思考の付箋」として暗記を運用する

おそらくは、丸暗記をして思考をショートカットする手法に対しNOを突きつけたのが今回の指導要領であり、共通テストなのではないかと私は考えています。

暗記の否定ではなく、暗記を運用することに重点を置くことが重視されているということです。

今までの暗記が「ページをそのまま覚えるイメージ」とすると、今要求されている暗記は「付箋を張った場所を覚えるイメージ」に相当する印象を受けます。

記憶として一字一句までは覚えていないが、どこにどんな内容があったかを押さえる、ということになります。

実際の問題解決段階において知識が必要ならば、大体の記憶から手を動かして復元する、という能力を求めているということではないでしょうか。

私はこれを暗記を「思考の付箋」として使うことの提案だと捉えています。


ということで、これからは暗記と、記憶からの復元の2つが学習の主軸になるように感じています。

記憶から思考力と判断力で矛盾の無いものを復元し、表現力を持って言語化、数式化する、といったところが現在の私の解釈になりそうです。

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