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生徒会選挙、教頭激怒事件の雑感と学校組織の「選挙」軽視問題


大阪府和泉市の義務教育学校でのトラブル

大阪府和泉市の義務教育学校において、生徒会選挙の演説を巡ってトラブルが発生したというニュースを見かけました。

 府教委によりますと、男性の教頭(46)は、去年10月、勤務先の学校で行われた生徒会選挙で、生徒会長に立候補していた8年生(中学2年)の男子生徒が演説をした際に、教頭のしぐさやしゃべり方をまねた内容を盛り込んだことに憤り、次の日に生徒を呼び出して「この件で休んだら休業損害を払ってもらう」「鑑別所に行く場合もある。高校に行けなくなる」などと言ったということです。生徒は涙を流して謝罪し、教頭は一度「許したる」と述べたものの、その演説で他の教員を揶揄するような発言をしていたことをのちに思い出し、生徒を呼び出してその教員に謝罪させたということです。

こうした教員を揶揄するような言動自体に関しては言うまでもなく生徒の責任ですし、指導を受けて当然の内容だと言えます。しかし記事を読む限りにおいては教頭は冷静さを欠いており、明らかに個人的な怒りを子供相手に爆発させたような印象を受けます。正直なところ、この指導が適切とは到底言えないものだったと言わざるを得ないでしょう。

「選挙」というシステムの軽視

しかし、このニュースにおいて私が気になっているのは指導を受けたというメインストリームの部分ではなく、その周辺部です。

 その後教頭は、男子生徒を生徒会に関わらせるべきではないと考え、校長が出張中に生徒会役員として当選したことを伝える結果表を勝手にはがし、男子生徒の名前が消されたものに貼り替えるとともに、終礼で教職員に対し、男子生徒が生徒会から退くことを周知しました。

教頭は当該生徒が生徒会役員に当選したが不適格だと判断し、結果表をはがし退くことを周知したということです。

一見すると学校あるあるの対応に見えますが、これは当該生徒だけの話に収まらない、より大きな問題点をはらんでいると考えています。

それは「選挙」というシステムを軽視してよいという姿勢を生徒に見せてしまったという点です。

「選挙」というシステムの軽視

教員あるあるですが、教育や礼節を優先し「選挙」というシステムを軽視がちな傾向があります。

今回の事件における、教頭が選挙結果を独断で覆す行為はまさにその典型と言えます。では、この教頭だけが極端なのかというと、実はそうでもないのです。

ヤフコメにもおそらく教員と思しきコメントがそれを示すようなものがいくつも存在します。

中学教員です。まず、演説の内容を生徒会担当や担任がチェックして不適切な内容や単なるウケ狙いのような内容であれば訂正等させてから演説するべきだったと思います。

私自身、学校現場に身を置く立場として考えても、事前の指導自体は決して否定をするつもりはありません。不適切な内容があれば変えた方が良い、と指摘をします。きちんと言語化出来ない生徒も存在しますし、アドバイザーとして教員が付くことはむしろ適切でしょう。しかし果たして無理やり訂正をさせてまで演説をさせるべきか、というとそこは疑問です。

本人が望むものが話せないのならば辞退をすべきだし、演説当日に仮に問題になることを本番で話した場合は「公衆の面前による不適切な言動」などを理由に個人的は指導を行うべきでしょう。(何が不適切化の判断は難しいのですが)

しかし今回のように選挙結果を無理やり変更したり、事前検閲で言論封鎖を行うことは現代における選挙制度や民主主義の否定であり、教育の場においては決して適切な対応であったとは言えないように感じます。

「選挙」が無理ならば初めからするべきではない

教員サイドの視点からはこうした批判に対して「生徒は安易なパフォーマンスに流される」「適切な判断ができない未成年だから」といった反論が上がるでしょう。

しかし仮にそうだとした場合、そもそも論として初めから「選挙」をすべきではないのです。生徒会は教員側の指名制にすればこうした問題は発生しません。

学校における「選挙」は大人の社会における民主主義を体験する極めて重要な機会です。自分たちの代表を自分たちで決め、その責任を自分たちで負うという意味で価値があるのです。

この最も重要で教育効果の高い部位を切り取って「選挙」の真似事をするぐらいならば、「選挙」など止めるべきでしょう。学校における「選挙」はそうした民主主義の精神を学ぶ最良の、そして最初の機会です。それを軽視する学校や教員の姿勢は民主主義の根幹を揺るがしかねないのです。

学校の教員にはよくある傾向ですが、教育熱心であるがゆえに教育活動において理想的な効果を求め過ぎて、プロセスをおざなりにすることがあります。

一方で現実の民主主義や「選挙」というシステムは、プロセスを最重視する代わりに結果責任を被選挙人に負わせる仕組みであり、必ずしも効果が伴うものではありません。

しかし、そうしたマイナスの側面を体感することがあるがゆえに学校という場において「選挙」を体験する価値があると私は思うのです。

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