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「友達」いますか?

教員という仕事をしていると、友人関係の問題などを相談されることがあります。

高校生になると、それほど多くはありませんがSNSなどのやり取りなどで誤解が生じるケースもあるようです。

そうした相談を聞いているときに、生徒から質問を受けたことがあります。

「先生は友達がいますか?」と。

「僕は友達が少ない」

この題名のラノベが一時期流行っていましたが、このフレーズは個人的に刺さる表現です。

端的に言えば、私にはほとんど友達がいません。

40代になった今となっては友人と出かけるという話はあまり聞きませんが、20代から基本的に友人と出かけるということはほとんどありませんでした。

趣味が読書、音楽鑑賞、自宅で見る映画やドライブなど一人でするものが多いのもあるのでしょう。

元を辿れば、学生時代からプライベートで遊んだ人はほとんどいなかったように思います。

出不精で、一人遊びが好きだったうえに、社交性が低い性格でなかなか周囲の人とうまく交流を深めることが苦手です。

これは今も変わりません。

小中高時代の知人がいない

小中学校時代の知人(当時も友人だったかは微妙ですが)の連絡先は全く知りません。

私の小中学校時代、平成の初期は携帯電話も無かったので個人の連絡先を交換する習慣はありません。

また、同窓会に誘われることもないのでその後のやり取りも皆無です。

高校時代の知人は、その後の大学時代の交友関係を通して連絡がつく人が数名います。

しかし、これまでまともに連絡を取ったことはないですし、今後もないでしょう。

大学時代は友人が存在した

それと比較すると、大学時代には親しく交流をもった友人が数名いました。

一緒に遊びに出かけたことも多少ありますし、食事に行ったり、人生相談を受けたこともあります。

空き教室などで試験勉強をしながら数学の議論をしたこともありました。

今でも、LINEで年に数回ほど連絡や近況報告を行うことがあります。年賀状代わりといったところです。

さて、ではどうして人間失格に近いであろう私にも、大学時代には友人が多少なりともできたのでしょうか。

大学は興味や関心などの共通する人間が集まる

大学は通常、学部や学科単位で学生を募集します。

これは、同一学科内の学生はある程度同じものや方向に興味を持つ傾向があるということを意味します。

そのため、同じことについて話し合える上に、学力層が同じこともあり受験に向かって努力した量がある程度近い人間が多いようです。

そのため、話や議論に深みが出やすく、腹を割って話すことから親しくなりやすいのかもしれません。

今、悩む必要のない「悩み」

友人とうまくいかないというのはストレスのかかる状態であり、解決をしたいというのは当然です。

しかし、小中学校での友人というのはたまたま生まれた場所や育った場所が近所というだけで、特にそれ以外の要素のある人間ではありません。

高校にしても、100%にかなり近い率で進学する現代においては、普通科などの生徒の場合、受験学力がある一定ラインを超えていたという以上の共通点はないのです。

そうした相手と友人になれなかったり、人間関係がうまくいかず思い悩むことに意味があるのでしょうか。

では、大学はどうでしょうか。

おそらく学科内の多くの人が同じ学問に興味を持ち、そのために進路を選択したという必然性の高い集団です。

また他の地域など広い選択肢の中から選んだという選択肢の幅や選ぶ基準に近い部分があり、相互理解しやすい人間が多い印象です。

代ゼミの有名講師の荻野先生の雑談に、予備校生達に対して「今の自分の友達に相当する人にこれから出会える君たちが羨ましい」と話す場面があります。

非常に共感できる内容で、私自身も大学時代の友人が最も「友達」という概念に近い存在だと感じています。

そして社会人になってからは、利害関係が絡んでしまうこともありどうしても「友達」を作るのが難しくなるとも思います。

結論は人それぞれ

こうした問いに絶対的な答えは存在しません。

社会人になってからの友人にしても、人によっては交友関係を広げて友人が増え続けている人もいるかもしれません。

もしかしたら今後、私にも友人が増える可能性も微粒子レベルで存在はしますし。

とはいえ、友人関係に悩む中高生に対して、大学時代の友人が一生ものになる、という経験を話すことは気休めであれ、意味のあることのように思います。

そして、私のように友達が少ない(いない)のですが、けして不幸ではないという存在を示すことも生き方を考えるヒントになると思うのです。

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