くんちんぬ
くんちんぬフィルター無しの『中の人』が 日々の出来事を割とストレートに表記。 回想あり、感想ありの、ほぼ独り言の延長線です。 有料記事集。
毎日日記したいが故にこさえたマガジン。 短いののまとまり。自分メモ。
なんの変哲もない、くんちんぬの日々のこと。ただの日記。 おもしろ味もない自分記録。 読むの?(笑)
自分の心が向く方へ、 気ままに気楽にダラダラと。 書/くんちんぬ
くんちんぬの曲制作垢 くんち.Nの活動や思いを文章化。
【Special Thanks】 おろちんゆー YouTube channel Rofu♪ YouTube channel SHOW-GO YouTube channel SARUKANI YouTube channel SO -SO YouTube channel KAJI / Chiwon YouTube channel Kohey🍊 YouTube channel RUSY YouTube channel openerその頃、ひたすらハマっていた。 TVの番
人間は色々なモノを発展させてきた。工業、商業、文化、コンピューターからAI、医療に至るまで。人々が、より便利に暮らせるようになった。かも知れない。が、その裏側で、常に問題が山積みになっている。 先人が遺してくれる贈り物は、いつもそうなのかも知れない。 ある種の理想と引きかえに、爆弾がオマケについてくる。 賢いのか賢くないのか、優しいのか優しくないのか分からない人間の、理想、夢、希望。 字面を見ると実に美しく、心の隅っこをつつかれるような、くすぐったい気分になる。 でも、それら
何て久しぶりなんだろう、こうして文字を打つのは。 とにかくね、忙しいだけじゃなく、 体力維持が難しいお年頃になっている(笑) 1日のうちでも、定期的に休まないと、起きていられない。 寝てしまう(笑) 少し小慣れてはきたものの、身体、脳内共に、日中結構ハードに駆け回っているので帰宅時にはヘロヘロで、とりま遅〜い昼めしをゆっくり喰らってると、いい時間になってしまう。 前日が遅寝だと、そのまま『ちょっと横になる』で、気付いたら日が暮れているとか。赤ちゃん並みの昼寝時間だ。 そっから
世の中の動きをまるでキャッチしていない。 アジトではTVもつけることなく、無音過ごしてる。 音楽やBeatboxを聴くのも、週に何回何時間あるかな。 ハマっていた去年一昨年は、たらふくBeatboxを聴いていた。 音楽が血液だった時代はとうに過ぎて、何の変哲もない生活音が、自分の音楽スタイルとなった。 機器から流れ出る音楽やBeatboxは、生活のスパイス。 時折り聴くことで、その魅力を倍増させてる。 これが自分の音楽との関わり方らしい。 生活音の隙間から、時折り漏れ出る
忙しくなると、日々の生活に追われ、曲書いたり、Blog書いたりが、本当にできなくなる。 っちゅうのは、やはり言い訳なんじゃろか(笑) 『やる人はどんな環境下でもやる。』 今のような、小忙しい状況になると、必ず何処かから聞こえる謎の言葉。 この言葉の意味が、まだ去年ぐらいまでは分からなかった。 「まあ、そうかもしれないんだけどぉー。」 と、頭では分かっていて、手ごたえはまるでなかった。が、最近は 「確かに。」と納得するようになった。何かキッカケがあったかは不明だが、多分、徐々に
やっと脱ニートした。 身体を壊し、離職してから1年半近く、驚くほどの色々があった。 結構、波瀾万丈な人生を送っては来たが、今回は群を抜いている(笑) まるで、人生においての代表的な出来事を、ギュッと凝縮して一気に放出したかの1年半だったな。 療養中は、自分中心に考える事を訓練したが、体調が良くなりだすと、自分以外の何かを優先させてしまうようになる。 ちょっと手を貸すつもりが結局やってしまって、気が付けば自分の方が勝手に 『やらなければならない事』 に認定している。 これは完
やっと脱ニートは出来たものの、今度は日々の生活に追われBlogにまで手が届かなくなっている。 あるがちな言い訳(笑) 時間があればあったで、お家ごとを優先してしまって書けないよ、と言ってみたり。 全くもって言い訳しかしない人だな我は(汗笑) 骨折を含めた1年半近くのブランクが、流石に響いている。 今日は、帰って直ぐに横になるしかないくらい、ふらっふらでバタンキュー(死語)だった。 こんな感じは、いつぶりだろうか。 割と最近では、疲れを早く感じるようになったので、そんな時は無
どこかで何かを修正していかないと。 このままでいいのかな? これではいけないのかも? と思う事は、試しに1度実行してみるのがいい。 やってみないことには、実感や感触がつかめないでしょ? ちょっとした事でも今1度、行動してみる軽さっていいな、 でも今日はもう眠いよ…
古くからある喫茶店。 ここは木にちなんだ店名なだけに、木々が多い。 明るめの窓際に席を取った。 緑が視野にある風景は目が休まる。 疲れ目の時は、無意識に緑を探している。 どんなに文明が発達しても、人は最終的に自然を求めるのかも。 人間も動物だと感じるひとときだ。 1番近い木に目をやると、大小様々な蜘蛛の巣が、同じ形状で張られている。よく見ると、隣の木も、その隣の木も。 (これだけの巣があって、どれだけの蜘蛛がご飯食べられてるんだろう。) ふっと思った。 自然界は弱肉強食。
studioのなんちゃってベッドの安定が悪すぎて、寝るのが辛いから、別の和室の枯れた畳に布団敷いて寝たんだけど、安定感があり過ぎて。 それを寝てる間に度々実感し過ぎて、あんまり眠れてない気がする(汗笑) ここまでくると、もう睡眠環境の問題ではなく、自分の精神の問題だ。 良くても悪くても気になってしまうのか。 いい意味でも悪い意味でも敏感なんだろう。想像力があり過ぎるし。まだ訪れてない未来の事を予測して脳内に映像が直ぐ流れてしまうし。ここら辺は自分の癖だ。時にこの想像力は可能性
新しいことが生活の中に入ってくると、それが定着するまで、身も心も持っていかれる。 何年かぶりに、その体験をしている最中。自分が経験したことが後に活かされる、と言うより、活かすことができる自分になれた事を、ちょくちょく実感出来てるのが嬉しい。 宝の持ち腐れ体質が腐らせずに育てていけるといいんだろうなあ。 それによって自分の深みが増すことを知るのはずっと後。フッとした時に出てきて驚く。その時に初めて経験が活かされたと実感する。 自分の中にはまだまだ自分が知らない可能性が沢山詰まっ
枠が増える訳でもないのに、時折その枠を超えて、色んな事柄が自分にやってくる時がある。 『予期せぬ出来事』と、思っていても、実は自分が呼び込んでしまったり、結果的に手招きしてる事もしばしば。 心当たりない? そーゆー場合の大抵は、 『どこかの誰かの為』が理由だったりする。 誰かの為に…って言っていても、結局は自分がそうしたい、そうするしかないと認知してしまう限り、自分で好んで選んでる事になってるの、気付いてなかったりする。 「あの場合は断れなかった。 」とか。 いや、どんな場合
思いもよらない時間が出来た。 これから自分がその時間をどう使うか。 状況や、その時の波にのまれてしまうか、 そそくさと、また誰かのために動いてしまうか。 我の時間を作ろう。我の時間を確保しよう。 我がやりたかったことをしよう、本当に、それ。 『自己中心、自分勝手、自分さえ良ければいい』を公言して、 それでも良ければ友どちになってよ、と言った、 わがまま放題の10代後半から20代。 誰かを主導にして、自分を合わせにかかる生活が、いつの間にか、 わがまま時代を上回り、他人軸で
今回は、作文のような形態で書かれています。(他人事) なぜかと言うと、そーゆー気分だったからです。 するっと出て来た書き出し文章が作文だったので(笑) 今は studioに住み着いています。 音楽はしていません。 空いていた空間は、ダンボールの山と寝床で埋め尽くされています。 この部屋には
憧れに追いつきたいとか そーゆー初々しさは、とうに越え切ってしまっている。 そもそも、今のそれが、憧れと言えるのかさえ分からない。 そーゆーのも、もう無くてもいいと思う。冷めてるとかじゃなくて、誰かになびいたり、突き動かされないっちゅうこと。 そこはもう、自分本位でいいと思う。 いや、むしろ自分本位がいい。
X(Twitter)とInstagramにも上げたが、今日怪我をした。 大した怪我ではないが、道具が違っていれば指にソコソコの穴開けてたかも(汗笑) 今日は作業着を着たものの、気分は『一応』。 作業着を着る時はいつも、覚悟して着る。 (今日は作業をする。今日は作業をするんだぞ〜) と、心の中で循環させる。 と、言うより、循環してしまう。 もちろん、作業をして、物を作る・壊す・直す・などの事を進ませようという自分への促しもあるが、それと同時に、安全に慎重に作業をしようという、