Rofuには感謝してる。
【Special Thanks】
おろちんゆー YouTube channel
Rofu♪ YouTube channel
SHOW-GO YouTube channel
SARUKANI YouTube channel
SO -SO YouTube channel
KAJI / Chiwon YouTube channel
Kohey🍊 YouTube channel
RUSY YouTube channel
opener
その頃、ひたすらハマっていた。
TVの番組がスマホで観れるのを知り、空いた時間があれば、直ぐにアプリを立ち上げ、喰い入るようにドラマを観ていた。
TVは、自分の足を引っ張る悪しきものとして、距離を置いていた時期が長かったので、自分の中ですっかり時代が止まっていた。
知らない俳優さんだらけで、知ってる俳優さんは白髪になってしまい、老人役をしていたりで、驚きが止まらなかった。
物語の傾向も、記憶の中にあるドラマと全然違って、珍しいし面白いしで、ワクワクした。
そんな気持ちになったのは何年振りだったろう。
それまでの数年間の自分は、生きていてるのに、死んでいるのか生きているのか実感もなく、空気中に浮遊しているかのような、実態が定かでない生命体のように思えた。
自分が持つ、ほとんどの物を捨て去さる環境が訪れ、身体中に水道ホースくらいの大きさの穴が無数にあき、サラッとした風が容赦なく吹き抜ける。
そんな感覚が始まる。
これまで大切に抱えてきた料理やデザイン、子どもの頃から側にいた音楽や歌などの創作活動の全てを捨て去り、それらに対する感情も無になり、音楽が聴こえると耳を塞ぐほど恐れ、毛嫌いするようになった。
枯れ果てた小さな責任感を搾り出し、辛うじて仕事には出掛けたが、帰宅すれば這うように床に入り、ただただ転がり続ける。
休日もずっと床から出られず、死んだように眠り続けた。
人との接触も避け、やむを得ず外出する時は、身を縮めて下を向き、隠れるように歩いた。
特定の人にしか会いたくなくて、身内が訪ねて来ても、布団を被り居留守を使い、震えながら去るのを待った。
気力も体力もなく、ただただ生きる。
これまで相当数な危機を経験したつもりだが、自分がここまでになるとは全く想像していなかった。
そんな状態に居ながらも、
「人間は容量オーバーを極限に越えると、こんな具合になってしまうんだなぁ。」
と、妙に冷静な自分も居たり。
そうやって浮遊しながらも、ひたすら今の環境を生きながら、何かを楽しめる精神状態に、なりつつある頃だった。
Human Beatboxとの出会い
若手家族がネット関連の情報をくれるようになった。
「ねぇねぇ、これ見てー」
そう言いながら、自分が興味あるYouTubeやInstagramを見せてくれた。
YouTubeなんて、ほぼ観たことないし、それこそTVより更に邪道とまで思っていた時期もあったが、無気力に近しい その頃の自分には、若手家族の情報提供が優しさに感じられ身に沁みた。
若手家族は何度も何度も自分が興味のあるYouTubeを見せに来る。
色々な動画を観せてくれたが、何度も何度も見せに来る動画が
おろちんゆーとRofuだった。
自分は幼少の頃から生き物に興味があったので、おろちんゆーには同志のような気持ちが湧いた。
自分の思い込みなのか、彼女?彼?(笑)の演出なのか、真実は不明だが、自分とよく似た環境と心情が見えてからは、追いながら、さか上るようになった。
その頃、TV番組を観あさっていて、マツコ関連でSHOW-GOが取り上げられていたが、その時は彼の凄さが全く理解出来なかった。
人間が全部演っているとは、認められなかった。
音楽を演っていた人間なのに、Beatboxは よく解らなかった。
そのうちに、若手家族が何度も観せにくるRofuの動画に、心が動くようになった。
Rofuの動画はHuman Beatboxを知らない人でも楽しく観られる。
FugaクンとHIROクンのキャラや、人柄が滲み出ていて、耐えられず笑ってしまったり、心にグッとくるシーンがあり、気付いたら魅了され、次々に観ていた。
Human Beatboxerの解説動画が多いのだが、素人でも分かるよう、敷居を下げまくって説明してくれるので
「本当に人間が演っているんだー。」
と、理解できるようになった。
それからはSHOW-GOの凄さ、 momimaruさんの繊細なビートや講座に近い動画、SARUKANIのお子たちなど、全てRofu動画を通して知るようになり、海外含め、色んなHuman Beatboxerの動画を観るようになった。
きっかけ
音楽を毛嫌いしていた自分が、少しづつ音楽を受け入れられるようになったものの、耳に入ってくる楽曲に惹かれても、歌詞に目を向けると違和感を感じ、結局、聴くことが出来ず、諦めていた頃に出会ったのがBeatbox。
歌のように、情景や心境を表現する歌詞のようなものは少なく、時折り言葉が入るものもあるが、基本はビート。
ビートを刻み、それを楽しむ。
しかも、そのビートは全て人の口から出ている。
それがHuman Beatboxの基本。
そもそも、音楽の原点はビート。
どんなに素晴らしいメロディーでも、リズムがないと人に伝えることも出来ないし、メロディーとして成り立つことさえ出来ない。
その柱となるのがビートだ。
忘れていた。音楽の根本を。
これが音楽の原点。
初めてDTMに携わった頃は、機械音より生楽器を好み、人が織り成す十人十色のニュアンスが表現したくて、音色作りとリズムの逆クオンタイズに、何十時間も時間を注ぎ込んでいたことを思い出した。
無気力で憔悴し切った心、文章を読むこと、書くことを恐れていた その時期の自分には、機械的で整ったEDMではなく、人間そのものの人間らしい暖かさと、唯一無二の個性の塊のHuman Beatboxがピタッと心に張り付いた。
Human Beatboxは、音楽の原点であり頂点であると感じ、欠けていた自分の構造に、きっちりハマってしまった。
それからは、あさるようにBeatboxerの動画を観ながら、ちょっと真似事をしたり(笑)
そうやって楽しんでいるうちに段々と
「曲をつくりたい。」
と、思うようになった。
もう2度と音楽を創ることはないだろう、そう思っていたので、過去に制作した数少なき曲は、音源も歌詞も譜面もデータも全部捨てていたし、音楽に関する機材も、ほぼほぼ残っていなかった。
歌詞も書けないし、曲づくりは無理だろうな…と、ぼんやり思っていた頃、SARUKANIが、新曲リリースに当たり、
New Single「HUMANBORG」Remixコンテストを開催。
手元に残っていたMacBook Airと睨み合い、
「新ヴァージョンのガレバンでも何とかなるかなあ…。」
「いや、オーディーインターフェイスないぞ、どないするん???」
と悩んだ末に、マジかお前、なんと丸腰で参加することを決めた。
結局、期限オーバーでコンテスト対象外にはなったが、過去に持っていた全てのこだわりとプライドを捨て去り、それなりに楽曲を仕上げての投稿が出来た。
自分的には中途半端な仕上がりではあったが、参加することによって、新しい自分を見出せると思っていたので、それでいい。
自分でも信じがたいが、”SARUKANI「HUMANBORG」Remixコンテスト”をきっかけにオリジナル曲をつくり始めた。
何度もブランクがありながらも10歳から音楽に携わり続け、何十年も音楽を心から楽しめず、悩み続けていた自分が、今、音楽を楽しいと感じられる。
我ながら本当に、これは凄いことなんだよ!
感謝しかない。
結論が出ないまま、音楽から離れ、音楽を捨てた自分を、もう一度音楽に引き合わせ、向かい合わせてくれたのは、紛れもなくRofuだ。
この場を借りて、言わせて欲しい。
Fugaクン、HIROクン、本当にありがとう。
Rofu、本当にありがとう。
Rofuには、マジ感謝しかない。
きっかけを与えてくれた、SO -SO、KAJIクン、Kohey、ルシおクン(RUSY)のSARUKANIの皆んな、ありがとう。
刺激をくれた日本を含む世界中のBeatboxer、ありがとう。
もちろん、おろちんゆー、感謝してるわ♡
そして、選択権無しで、いつも側に居て、何度も何度もRofuを観せてくれた、最年少若手家族に最大限に感謝。
もう一度、音楽に引き戻してくれて、マジ、ありがとうね。
書き始め/2023年3月22日 17:34より