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如何にして正しく言葉を伝えるか。如何にして正しく言葉を受け取るか。

自分自身が素晴らしい文章の使い手だとは考えていません。しかし、毎日 note を書いています。3年ほど技術誌への連載も執筆していました。共著でちんまり出版もしています。Web記事もいくらか書かせていただいています。ですから、少しは文章に自信があるつもりです。

思い込みと、伝わらない気持ち

しかしながら、どのように伝えても。どのように記述しても。なぜか伝わらないことがあります。「思い込み」というヤツです。先入観ともいうでしょう。なお、かっこよくいうと認知バイアスです。

人は多くの思い込みというバイアスを通して、相手を色眼鏡で見ています。完全にバイアスを排除して何かに取り組むということは、不可能ではないでしょうか。それでも私は、自分がある程度の思い込みを捨てて感情に身を任せずに論理的に話を聞きたいと考えていますし、その文章の内容を理解したいと常々考えています。

逆に。私から他の方へお伝えする際にも、できるだけまちがいのないようにわかりやすい言葉を使ったり、目立つようなデザインを使って何とかしようといつも考えて実行しています。

しかし、どんなに丁寧に表現しても相手の思い込みを完全に削ることはできません。結局のところ、相手が理解したかどうか、対話して正しく理解できたかどうか確認するしかありません。これが多くの人たちへの一斉通知になると、いわゆるテストを実施することになります。そんな風にテストが入ってくると、今度はテストのための学習になり、本当に伝えたいことが伝えられないということにもなります。ツライ。

著者と折り合いを付ける

私、最近は「本を読む本」の分析読書を続けています。

「分析読書」なるものは、この「本を読む本」で定義されている読み方の一つで、著者の伝えたいことを正しく理解するための読書法です。著者はそのことを「折り合いを付ける」とも表現しています。

この本を読めば読むほど「本を読んでいない」ひいては「文自体を読んでいない」人の多さに気づかされます。著者との折り合いがついていない人ということです。

また、私のまちがいにも気づかされます。それは「IT業界におけるIT用語の不明確さ」です。

テクニカルアーキテクトとして働いている私ですが、わたし以外に正確にこの「しょっさんの役割としてのテクニカルアーキテクト」を説明できる人はいません。他にもテクニカルアーキテクトはいますが、私と細かいところでは認識に齟齬があると考えています。一応、グローバルで定義自体は決まっていますが、日本は独自路線の国家なので、わたしは日本人向けにアレンジをしています。このアレンジされた定義を説明できるのは私だけなのです。

従って、他の方々は、私の役割によって仕事をどのように支援してもらえるか、正しく伝えられていない可能性があります。大失敗です。広く、どのような役割でどのような仕事をしてどのようなアウトプットが提供されるのか、は広くあまねく伝えてはいますが、どこかで解釈が変わります。名辞がお互いに異なるのです。

わたし自身、気がつくと他人の所為にしがちではありますが、自分にも問題がある点を含め改善していかねばなりません。

相手のバイアスを排除させていくことは不可能でままなりません。バイアスがあることを大前提に活動はしているつもりです。一方的にならぬよう「対話」が生み出す円滑で、確実なコミュニケーションの手段を適切に使っていけるよう、これからも改善をはかろうと心に誓うしょっさんでした。

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