「アジャイル」の射程距離の広さ
最近折りに触れて考える、「アジャイル」という思想について、ざっと考えていることを書いてみます。
きっかけはXで以下のポストを見たことです。
詳細は把握していないのですが、どうやら東浩紀が最近ずっと言っている「訂正可能性」というのは、「アジャイル」に言い換えられるようです。
ちょっと前に自分が以下の記事を書きましたが、宇野重規と若林恵の対話の中でも、特にプラグラティズムを巡る話の中では「アジャイル」の思想を想起させるような内容があちこちにありました。
個人的に注目している方々が全く違った視点から、「アジャイル」の思想に触れているという事実から、「アジャイル」の可能性を感じます。
しかし、「アジャイル」という思想もかなりふわっとしていて、人によって結構解釈が違うように思います。
改めて、そもそも「アジャイル」とは?とChatGPTに聞いてみました。
おそらく100点の回答なのでしょう。
一応私もエンジニアの端くれなので、ある程度理解がありますが、そんなに違和感ありません。
ただ、今この文脈で話したい「アジャイル」とは少し違いそうです。
一行目から「ソフトウェア開発やプロジェクト管理などの分野で使用される一連の原則や手法の総称」となってますからね。
自分の感覚だと、ここがそもそももっと広く捉えられる可能性があるのではという気がします。
「アジャイル」の話をする時に必ずと言っていいほど出てくる「アジャイルソフトウェア開発宣言」を見てみましょう。2001年に公開されたものです。
アジャイルソフトウェア開発宣言の読みとき方なんてPDFもあるので興味があれば目を通してみると面白いと思います。
宣言自体はとても短いです。全文引用しちゃいます。
システム開発の話にはなっていますが、システム開発がわからなくてもなんとなくわかると思います。
この文章をベースに考えると、東浩紀の「訂正可能性」もよく馴染みそうですし、宇野重規や若林恵が話しているプラグマティズムとの距離もかなり近いように思います。
対話の重要性に関しても、東浩紀・若林恵ともによく言っている話だと思います。
また「アジャイル」は形容詞なので、「Do Agile」ではなく「Be Agile」だと思っています。
つまり具体の行動というよりは、もっと信念や思想に近しいものだと考えています。
こうやって考えれば考えるほど、「アジャイル」は原則や手法の枠には収まらず、もっと根本的な思想として扱うことで、色々な問題を前進させられる可能性があるように感じます。
しかし、自分の勉強不足の可能性が高いのですが、人文方面から「アジャイル」のような思想を語る際に、あまりこれまでテック領域で培ってきた「アジャイル」の話は出てこないように感じます。
「アジャイルソフトウェア開発宣言」が出たのは2001年なわけですから、実際に社会の具体の事例に実装していく中で、成功も失敗も、それなりに蓄積した何かがあるはずです。
その知見を活かすことで、何かにつながるような気がするのですが、どうでしょうか。
この辺り、考えている本などあれば、ぜひ読んでみたいところです。
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