「呪術の日本史」~呪術廻戦から考える"呪い"~

日々の読書に記録を、メモ程度の備忘録として残していきます。

呪術の日本史 / 加門 七海(監修)

もやは説明不要のコンテンツと化した「呪術廻戦」だが、映画「劇場版 呪術廻戦0」の興行収入も大台の100億を越えそうな雰囲気で、なかなかの勢い。私は、漫画の1話を週刊少年ジャンプで読んだ瞬間から、この作品のファンで、アニメや映画は追っていないものの、毎週この漫画を楽しみにしている。

この本は、その「呪術廻戦」について、作品と軸なる呪術の視点から、実際の日本史も踏まえつつ考察していくというもの。興味深い話が多く、作品のファンであれば、作品をより深く考えるきっかけとできる内容だったが、この記事では、特に面白かった、"呪い"についての考察部分について、考えていきたい。

ちょうどこの記事にて、その箇所の一部が記載されていたりもするが、「呪術廻戦」における"呪い"とは、

辛酸・後悔・恥辱といった負の感情のこととし、公式ファンブックでは、「呪いは言い換えれば〝ストレス〟」と記されている。

と記載があった。なるほど。特にストレスというのは面白く、本ではこの後、同調圧力が呪いを増大させるという話も出てきて、実感をもって理解できる。上記記事でも、SNSと呪いを結び付けた語りが行われており、現代を呪いという観点から捉えなおすことで、見えてくるものがあるように感じている。

"呪い"。"のろい”とも、"まじない"とも読めるが、確かにこの字面からは、負の感情であることも納得がいく。しかし、果たして本当にそうだろうか?自分自身は、「呪術廻戦」という作品を通して、呪いという言葉に込められた、果てしなくごちゃ混ぜの感情を感じとっている

例えば、"愛"。King Gnuは、今回の劇場版映画に寄せた2曲で、ひたすらに愛を歌っている。そして、「逆夢」には直接的に、『この愛が例え呪いのように/じんわりとじんわりと/この身体蝕んだとしても』と、愛と呪いについて触れられる。これは、愛も度も過ぎれば、呪い=負の感情になるということだろうか。この物語を踏まえても、確かにこれならば道理は通るように感じるが、あえてここは、少し違うように捉えてみたい。

つまり、呪いとは、負の感情に限らず、もっと多様な感情を含む事柄であるというように捉えてみる。愛は、呪いであるが、それは必ずしも負の感情ではない。そのように捉えなおしてみると、愛以外でも、色んなものを呪いと交えて考えることが出来そうだ。さらに言えば、この世の中を呪いを中央に添えて、考え直してみると興味深いように思うのだ。

『世界は贈与でできている』にて、近内悠太は、使い方を間違えれば、贈与が呪いになってしまうという話をしている。そしてその呪いとは、

「思考と行為の可動域」に制約をかけるものの総称

世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学

と定義している。呪いをこう捉えるとどうだろう。
もはや、人間の社会生活は、呪いの連なりではないか。血や価値観、習慣、文化その他諸々。決して負の概念に限らず、あらゆるものは、呪いとなって、我々の身近なものに根付いている。
つまり、我々はその中で、呪い、呪われ、生活している。呪術は廻り、日々戦っている、そんな風にも言える気がする。

ここまで、非常に乱雑かつ表面的に、呪いについて考えてみたが、呪いの概念を拡張することによって、果たして何が見えるのかについては、まだだま考えが及んでいないのが正直な所だ。しかし、一つ確実に思っていることは、呪いを負の感情というマイナスの方向に縛らないことで、「呪術廻戦」の物語に未来が開かれるのではないか、ということだ。

何が言いたいかというと、この物語は、明らかに暗い。暗すぎる。「呪術廻戦」について書かれた論考の中でも圧倒的なクオリティを誇る高島 鈴の文章にもある通り

『呪術廻戦』は明るい未来を獲得するための物語ではなく、未来の暗さに耐えながら「今」を生き延びる者の物語

であり、

未来のなさ、指針のなさ、労働の苦しさ、残酷に接近し続ける死、他者に対する責任の重さ、生き延びるための自閉、これらにまとわりつく不安が作品の隅々まで充満している

ことは間違いないと思う。果たして、なぜこの作品がこれほどまでにマスにウケているのか、全く理解が追い付いていない。それほどに作品の根幹は、現代社会の暗さを再構築したようなものであると思っている。(そういった暗さ故にウケているというのもあるとは思うが、ここまで浸透するのはびっくりなのだ)

特に、夏油の語りは、個人的にあまりにしんどすぎる。ただ、ここで終わりなわけはないだろう。というか、ここで終わらせてはいけないとすら思う。私は、もはや夏油をいかに救ってくれるのかという一点のみについて、この漫画に最も期待している箇所であると言っても過言ではない。
そう考えた時に、呪いを単なる、負の感情と捉えずに、拡大して捉えることで、あまりに暗い先行きに、何か一筋の希望を見出せるのではないか。そんなことを考えて、この記事を書いたのである。

呪いを廻る物語はまだまだ終わらなそうだ。作品の展開に合わせて、引き続き、呪いについて考えていきたいと思う。

参考

「呪術廻戦」に描かれた"呪い"のルーツを紐解く | ゲーム・エンタメ | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

一途な愛、不屈の信念……King GnuやEveが音楽で提示する『呪術廻戦』における“呪い”の解釈 - Real Sound|リアルサウンド

「他者と正しくつながる」には「贈与の作法」を理解する必要があると思います – Page 2 – 集英社新書プラス

第2回 罠の外を知っているか?――『呪術廻戦』論(1)|くたばれ、本能。ようこそ、連帯。|高島 鈴|webちくま(1/3) ※(1)から(3)まであり。上記引用は(3)より。 

『劇場版 呪術廻戦 0』夏油傑という “悪役”を考える  五条との別れ、逆夢になった志|Real Sound|リアルサウンド 映画部


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