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食べなくても生きられる身体が欲しいって、身勝手ですか

わたしは食べることが嫌いだ。空腹を感じれば何かを食べるし、好きな食べ物だっていくつかある。それでも私は、食事という行為に嫌悪感を抱いている。食事を拒むという意味では文字通り「拒食症」と言えるかもしれないが、太ることに対して恐怖心を感じているわけではない。寧ろ私は俗に言う太らない体質の人間だから、ダイエットを目的に食事制限をしているというわけでもない。「全部食べ終わるまで帰さない」という厳しい給食の教育を受けたことが理由でもない。



ならどうして私は食べることを嫌っているのか、それは「少食である」ことが大きく関係している。

私は小学生の頃から少食で、低学年の頃は毎日のように給食を残していた。全部食べなければならないことはわかっていたけど、どうしてもお腹に入らなくて、皿におかずが残ったままで片付けをしていた。毎回残してしまうことへの罪悪感と自己嫌悪と、そして周りからどう思われているかわからない不安とで、当時は苦しい日々を送っていた。自分が周りと比べて食べられる量が少ないことを知ってからは、自分の分の給食は自分で配膳するようにした。「少なめに入れてもらっていい?」と当番の人にお願いをして、出来るだけ完食できるように自分なりに工夫をして過ごすようになった。

しかし食事の量を自分で調節にできるようになって気が楽になったのも束の間、今度は「それだけで足りる?」「もっと食べないと!」という言葉を浴びる機会が増えた。それは二十代になった今も変わらずで、バイト先の先輩や久々に会った友達には度々「ちゃんとご飯食べてる?」と心配されている。無論、私の身体を気遣って言ってくれているのだろうということはわかっているのだが、「今こうして動けてるんだからいいじゃん」「私自身がこの食事量で満足しているのだから口を挟まないで欲しい」と思ってしまうのが正直なところである。

ちゃんとした飯を食え、自分の体を大切にしろって、言う、それがおれにとっては攻撃だって、どうしたら伝わるんだろう。

おいしいごはんが食べられますように / 高瀬準子




私にとって「少食である」ことは、日常生活において大きなハンデとなっている。食べられる量が少ない=胃が満たされるまでの時間が早い、というわけだから、空腹に耐えて待ち望んでいた食事の時間がやってきたとしてもにすぐお腹がいっぱいになって苦しくなってしまう。つまり、私からすれば食事をしている時間の八割は苦痛を感じていることになるわけで、だから食事を楽しいものとは思えなくて、結果的に「食事が嫌だ」という感情が芽生え蓄積されていく。


けれども、この苦しさを理解してくれる人はいない。「いいな、羨ましい」「私の胃も小さくならないかな~」とリアクションする人がほとんどで、「可愛い子ぶってるの?」と心に無い言葉を投げられることもある。勿論、食事の量が多い人に比べれば食費が抑えられるというメリットがあるし、ダイエットしたいと思っている人にとっては羨ましくなる胃の小ささかもしれない。でもそれ以上のデメリットがある、ということにも気付いて欲しいと思う。特に外食においては、壁ばかりと言っても過言ではない。バイキング形式の食事なんて元が取れないから金の無駄になるし、メニューを見ても「食べたいかどうか」ではなく「食べられるかどうか」で選ばなければならない。私から見れば食べ切るのが難しい量を提供する飲食店がほとんどだからこそ、基本的に外食自体を避ける羽目になっている。


しかもそれは、人間関係やコミュニケーションにおいても厄介な問題だ。友達や好きな人と会うとき、決まって予定には「ご飯」が組み込まれる。人と人が会う口実にもなるほど食事は大切で欠かせないもので、でも私はそれが苦痛で嫌で避けたいことだから、スムーズに計画を立てるのが難しくて、皆んなのように上手く人間関係が築けないでいる。

もしいつか恋人が出来たとして、相手と外にご飯を食べに行ったとき、相手が手料理を振る舞ってくれたとき、そんな状況でも私は苦しさを感じながら食べることになってしまうのかと思うと胸が痛い。

 相談をするとき、報告をするとき、謝るとき、よろこびをわかちあうとき、親交を深めるとき。食べ物はいつもかたわらにある。小説でも映画でもそうだ。食べ物を介して、人と人は絆を深めてゆく。同じ釜の飯、を食べて仲間になる。食べ物をおいしいと言って食べる、ふしぎなひとたちが築く、しあわせで、ただしい世界の話。
 私はその世界に参加できない。したいとも思っていない。でも、それは間違いで、悟られるのは危険で、致命的なことで。

人間みたいに生きている / 佐原ひかり




私にとって食事は苦痛な行為であること、でも生きている以上避けられないこと。その事実が更に私の首を絞める。私がもっと食べられるようになれば全て解決するのかもしれないけど、それが日々の生活において大きなメリットになるようにも思えない。

満足に食事が摂れない人もいる中でこんな悩みを抱えるのは贅沢で失礼かもしれないけど、わたしは、食べなくても生きられる身体が欲しいと思う。

 生きたくないなんて、私は一言も言っていない。栄養もサプリメントで摂るようにしているし、戻すとわかっていても、お腹が空いたら食べるようにしている。体重も、落ちすぎないようこまめに測って把握している。生きたくないんじゃない。食べなくても、生きられる体がほしい。

人間みたいに生きている / 佐原ひかり

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