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過疎化地域に30年住んで〜その1

 私はいわゆる過疎地域に住んでいる。過疎地域といっても過疎化の速度は非常に緩やかな方である。先日、下記のポストでお祭りの減少について一文だけ触れていた。30代後半の私にとって過疎化で感じることを書き記しておきたい。

 私の住んでいる地域は、人口のピークが約1万人だった。これは昭和30年代の話である。現在(2024年)は、昭和で換算すると「昭和99年」にあたるとのことだから、現在は、人口ピークから約70年が経過しているようなものだ。この年月で人口は減少して、現在の人口はピークの半分程度だ。

 なぜ、人口が減っていくのか。単純に仕事がないからだ。私の中学校の同級生は、約100人いた。20歳を越えて、地元に残った人数は20人前後だ。つまり、同級生の2割しか地元には残っていない。これでも私の学年は多いほうだ。結局、地元に残りたくても仕事がない。通勤できる仕事であれば、実家に親と同居する。私の住む地域は、超車社会のため、自家用車で通勤60キロ程度の移動を許容する人は多い。

 しかし、結婚すると話は別になり、だいたいは職場の通勤に都合のいいところに転居する。特に共働きしている人たちは、お互いの職場の中間を取る場合が多数派だ。

 今の70代の方々に上記の「同級生が2割程度ぐらいしか地元に残らなかった」話をすると、昔からそうだったとのことである。結局、地元に残りたい人たちの受け皿が全然足りなかったということだ。

 話を戻すと、中学校を卒業すると2割程度の人しか地元に残らないから、今度は、子どもの数も減っていく。つまり、100人の人が地元に残って子どもが生まれる数と20人(2割)の人が地元に残って子どもが生まれる数は雲泥の差がある。保健師を30数年されている方と実際にお話したところ、町内の1年の出生数は半減したと言っていました。

 30数年前は町内の保健センターで集団予防接種がありました。しかし、今は、「助成金(補助金)を出すので、中核都市に行き、各自予防接種をしてください」という状況です。医療関係は中核都市に行かざるを得ない。そして、中核都市の大きな病院は紹介状がない状態では初診料を負担せざるを得ない。それで、地元の病院に行き、紹介状をもらうという手続きが必要となる。救急医療でも都会なら助かったんだろうなっていう話も多く聞くことがある。

 長く健康でいたいから、退職後や老後に中核都市に移住するか、都会に出るか、という話も聞くことがある。しかし、実際に実行している人は少数派だ。なぜか地元コミュニティを捨てられないからだろう。

 仕事がなければ、地域から人はいなくなる。生きなければならない。生きるためには食べなければならない。食べるためには仕事がなければならない。。。仕事のために地元を離れなければならない。集落はこうやってなくなっていく。

付記
1.住宅事情について
結婚してからの転居については、子どもの医療費等の助成(ふるさと納税の活用)や転居者に対する優遇の影響があり、中核都市近隣の自治体よりも少し離れた通勤圏(60キロ前後)に居住する人たちも増えている。地価が安く新築が建てやすいという利点が大きいようだ。

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