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世界が終わる夢

「明日大きな嵐がきて、世界は悲惨に終わるらしい」と、誰かが言った。ある局はそれを大々的に取り上げたが、全く気にしないメディアもあった。

人々は、信じる者と、信じない者に、分かれた。前者は大抵が「生きづらい」と形容される人たちで、もれなく繊細で、心配性で、やさしかった。後者は楽観的で明るく、誰からも愛される人たちで、こういう人たちが、世の中のトップに立って、経済を支えていた。

私と、私の家族は、前者だった。世界終焉の知らせを、心から信じた。こころなしか、空が濁っている気がしたし、空気も淀み始めた気がした。死んでしまうのだ、と思った。私たちは明日、みんな、死んでしまう。だから、今日が最後なのだと悟った。

私はまず、家族と、抱き合うように過ごした。記憶を愛おしむように、世界から隠れるように、ただひっそりと、時間をともにした。母も祖母も泣いていた。終わりに向かっていく予感に、到底耐えられる気がしなかった。私はここで生まれて、ここで育って、ここで死んでいくのだと思った。

そのあと、むかし好きだった男の子に、連絡をした。彼も、世界が終わることを信じていた。いつも、真夜中に、弱音を吐いてくれる人だった。私たちはよく、死にたいねと言い合った。死ぬ勇気もないくせに、世界から逃げるように、弱さをささやきあった。私は彼が好きだったが、一生口にすることはないと思っていた。彼は、あまりにも私だったから。

死にたがっていた彼は、さみしそうに笑っていた。こわいね、と言った。震えているようだった。

「さっきスーパーに行ったら、みんな何気なく、買い物をしていた。明日が来ることを疑ってなんかいなかった。みんな幸せそうだった。世界が終わることを信じていない人たちのほうが、幸せなのかもしれない」

彼の言葉から、彼の輪郭をなぞった。彼の声を、姿形を、抱きしめたかった。明日全部終わるとしても、彼に何も言えない、私は愚かなのかもしれなかった。それでも私は、ただ彼を感じていたかった。彼を永遠に好いたままで、死んでいきたかった。

そのあと、友人に、連絡をした。私が親友と呼べるひとりだった。彼女は世界の終わりを信じていないようだった。またいつものホラだよ、と笑っていた。だって2000年にも、世界は滅びなかったでしょう?


でも、本当は、滅びていたとしたら、どう。
本当はあのとき、私たちはみんな滅びて、それに気づかないまま、懲りずに1999年も生きてしまっていたとしたら、どう。


私たちは、見える今しか信じられない。そのほうがきっと、幸せで。見えない可能性が見えた瞬間、呼吸のしかたを、剥奪される。誰に?かみさまに?

最後に私は、恋人に会いたいと思った。死ぬなら彼の腕の中がいい、と思った。彼はきっと、世界が終わることを信じていない側だと思った。気にしすぎだよと言ってやさしく笑うのだと知っていた。だとしても私は、彼に会いたかった。彼のことを信じられないままでいい、ただ彼の腕に守られながら、死んでいきたかった。


そのあとの記憶は、ひどく曖昧で。大切な人を失った気もするし、阿鼻叫喚を聞いた気もするし、やっぱり滅びなかったじゃん、で終わった気もする。目覚めると私はベッドの上で、ひどく汗をかいていて、遠い余韻がまだ残っていた。ああ、私は、世界の終わりを見てきたのだと、思った。誰も信じないとしても、私は一度、あの世界で、大切な人たちと一緒に、死んできたのだと思った。さみしかった。もう二度と、みんなと会えないことが、さみしくて仕方なかった。


あの夢のなかで生きていた私に、幸福であってほしかった。世界最後の日、大切な人たちを思い出せる私に、報われていてほしかった。


夢、は記憶の整理だとして、それ以外のなにものでもないとして、でも、時折、忘れてはならない、と感じるものもあって。

世界が人知れず滅びては再生している可能性など、誰も考えない、よく晴れた木曜日。全部フィクションです、とうそぶいて、起き上がる。世界が、始まる音がする。また私は、別の世界を忘れていく。




眠れない夜のための詩を、そっとつくります。