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『服部良一と笠置シヅ子:花開く大阪音曲』大阪大学 中之島芸術センター 企画展


日本中を明るいリズムが、かけぬける。戦後の大ブーム「ブギウギ」。音楽からみた展覧会。

文中敬称略・本展示は撮影禁止。
人物の画像はフライヤーから引用しています。
(1549文字)



『服部良一と笠置シヅ子:花開く大阪音曲』

朝ドラの人気もあいまって、ジャズ・スイング・ブギウギ……リズムや当時の楽曲にもスポットがあたります。大阪うまれの服部良一と、大阪そだちの笠置シヅ子。コンビの背景は。

 近世以来、大阪は日本の娯楽文化の首都でした。とりわけ1920年代から30年代のいわゆる「大大阪時代」には、在来の芝居や演芸や花柳界を基盤に、カフェや映画やダンスホールなど舶来の要素が接ぎ木されて、親しみやすく、かつモダンでした。

フライヤーより


道頓堀どうとんぼりのジャズとレビュー

作曲家・服部良一は、大阪の玉造たまつくりで育ちました。玉造といえば「日之出通ひのでどおり商店街」。戦前は、東の心斎橋といわれ演芸場や映画館があり娯楽の商店街でした。

展示では、服部良一が鰻屋・出雲屋(いづもや)の、おかかえ楽団「出雲屋少年音楽隊」に入り音楽家のキャリアをスタートする。道頓堀のスケッチや芝居町のひとこまを。

現在の戎橋(えびすばし)


また、笠置シヅ子は、家業の銭湯の脱衣所でお客さんに歌を披露しながらパフォーマンス能力を身につけてゆく。そして歌劇団へ、レビューの舞台に。


そんなふたりの「音楽のベース」は、教室の机上ではなく、ひとびとの生きる社会で、つちかわれ磨かれたものでした。

現在の道頓堀 大阪松竹座

作曲家・服部良一は、それを「道頓堀ジャズ」と呼びました。服部は、大阪や阪神間のダンスホールとラジオで存分に腕を磨いた後、東京に移住し、流行歌でも成功します。

フライヤーより




東京ブギウギ以降

大阪から東京に拠点をうつし、戦前はスウィングの女王として。
戦後は、廃墟の日本を明るく元気に。ブギのリズムをひっさげて舞台に登場する笠置シヅ子。


大阪の「音楽のベース」が実をむすぶ。
ふたりとも、音楽一家・演劇一家といったような芸術のエリート家系の出身だったら、躍動感あるブギウギは生まれなかったかもしれません。
東京・ジャングル・ヘイヘイ・大阪・買物……。


直筆の楽譜がありました。
赤と茶色がまざった紙。
戦争で流れた血液や鉄のような、かたい何かのリズム。
叫びや悲しみ、よろこびの破壊力をもった声を楽譜は聞いていたのでしょうね。

展示品は、新聞の記事・書籍など「音曲」にまつわるエピソードがあふれています。
(わたしは、失礼にも舞台の写真展示ぐらいと思っていました)


下がり眉、紅をひいたおおきなくちびる。
雑誌の切りぬきには、ひとりだけコミカルな大阪の女性がいる。
それが、おもしろい。


笠置シヅ子の衣装がモニターでおどる。
カルメンの赤と黒。
白地に花がうたい 元祖・ヒョウ柄。
それも、おもしろい。


芸能文化のまち大阪。
道頓堀どうとんぼりにネオンがきらめく。
恋や歌えや、さんざめく戎橋えびすばし


アドリブあふれる西洋音楽。レコードを輸入し、外国人バンドのジャズは大正時代のおわりに花ひらく。

100年前の大阪で。


花開く大阪音曲。




まとめ・大阪大学 中之島芸術センター

「服部良一と笠置シヅ子:花開く大阪音曲」
2024年2月20日(火)~3月9日(土)

10:30~17:00
入場無料 月曜定休


◆会場 大阪大学 中之島センター4階 

大阪大学中之島芸術センター企画展

大阪市北区中之島4丁目3-53

もより駅は……
●京阪中之島線・中之島駅…徒歩約5分

●JR大阪環状線・福島駅…徒歩約12分
●JR東西線・新福島駅…徒歩約9分
●阪神本線・福島駅…徒歩約9分

黒いたてもの 大阪中之島美術館
となりです


◆関連イベント・演奏会もあり。
くわしくは……



毎週火曜日は
「フォト・イラスト」の日


いつも こころに うるおいを
 水分補給も わすれずに


さいごまでお読みくださり
 ありがとうございます。

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