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大阪・四天王寺・絵堂 【聖徳太子の一代記】

毎月21・22日は、四天王寺の縁日。
この2日間は伽藍拝観が無料です。

伽藍の東、聖霊院・絵堂に行かれたことはありますか?壁面に聖徳太子(厩戸王)の一生が描かれています。
絵堂は、22日のみ一般公開です。
(2361文字)



四天王寺

はじめに
◆四天王寺の公式サイトでは「聖徳太子」と表記されています。
「太子会(聖徳太子忌)毎月22日」など。
当記事も「聖徳太子」にしました。ご容赦ください。


和宗総本山 四天王寺
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
お堂の外からは24時間拝観・開門

お堂・中心伽藍・庭園
4~9月・8:30~16:30
10~3月・8:30~16:00

もより駅は……
●大阪メトロ(谷町線)・四天王寺前夕陽ヶ丘駅…徒歩約5分
●JR各線・大阪メトロ(御堂筋線)・天王寺駅…徒歩約12分

四天王寺西門前・石の鳥居




お大師さん・お太子さんの発音「おだいっさん」

境内地図


■毎月21日は「お大師さん
    (弘法大師の月命日)
■毎月22日は「お太子さん
    (聖徳太子の月命日)

両日とも大阪人の発音は「おだいっさん」。
いいやすいでしょ。大阪らしいというか。敬意と親しみをこめて「さん」づけします。もちろん四天王寺は「四天王寺さん」です。

■毎月21・22日は四天王寺の縁日。屋台・露店 (古着や骨董品など) がひらかれます。


■四天王寺式伽藍配置がらんはいちとよばれる伽藍の拝観料300円(大人)が「おだいっさん」の2日間は無料になります。
お堂のなかは撮影禁止です。

5月は暑すぎず、おでかけにちょうどいい季節。前日の21日に露店の人気商品は、ほぼ完売。22日は、比較的ひとがすくないのです。

骨董市のようす




聖霊院・絵堂

四天王寺式伽藍の東にある聖霊院(通称:太子殿)

聖霊院・唐門
講式・法要がはじまります
聖霊院太子前殿
奥殿
右手に絵堂入り口のカンバン
敷石をたどります
絵堂
太子殿東側
黒駒厩舎
黒駒(愛馬)と聖徳太子


守屋祠  柳の木の裏


絵殿・経堂

正面に入口はありません。左手にまわります。壁画の保護のためか、ちいさな入り口です。靴をぬいで上がります。
ご注意・堂内撮影禁止です。

絵殿入り口
右手奥に黒駒厩舎



聖徳太子・一代記


北側の用明殿からも入れます
絵堂内部
和宗総本山 四天王寺公式サイトより
引用


説明文・入り口で配布されます。「四天王寺 聖徳太子 絵伝」1枚の紙。これがわかりやすく、興味ぶかいのです。

カラー説明文


四天王寺 聖徳太子絵伝
四天王寺絵堂の歴史は、さかのぼること奈良時代、天平勝宝二年(七五〇)太子の没後約一三〇年を経過した頃に聖武天皇の手によって「四天王寺障子伝」がつくられました。

(中略)

現在の絵伝は昭和五十八年に再建され、西の間の第一面から東の間の第七面まで、ほぼ時系列で描かれています。

  この新しい絵は杉本健吉画伯が着手から6年の歳月をかけて描かれました。(以下略)

説明文より引用


すごろくみたいでワクワクします。壁一面の聖徳太子・一代記。
「ここから」🐎はじまります。
(説明文の絵を拡大しています)

五七一年(生前)
母后の夢に輝く救世観音が現れる

五七二年(1歳)
馬小屋前にて聖徳太子ご誕生

馬小屋前とは(細かい)


五七五年(4歳)
騒いだ兄弟の為に太子、
自ら進んで父のムチを受ける

衝撃!これいまなら、ダメです。幼児が騒ぐのは普通ですよ……。こんなエピソード知りませんでした。

五八二年(11歳)
遊戯では卓越した能力を発揮する

太子、36人の童子らの話を
同時に聞き、漏らさず返答す

どんな遊戯をしていたのか興味がありますね。蹴鞠(けまり)でしょうか?
7人の話を聞き分けた、ではなく36人です! すごいですね。
童子だから文節は短くて良かったかも。

五八三年(12歳)
馬飼いに変装し賢者 日羅に会いにゆく

 大胆な聖徳太子の姿。
さすが行動力があります。


五八五年(14歳)
堀江の川に仏像が投げ込まれる

五八七年(16歳)
父・用明天皇が流行り病に!
太子は香を焚き看病に励む

流行り病に、!(ビックリマーク)がついてますね。太子も人の子です。用明天皇はお亡くなりに……。


五八七年(16歳)
崇仏派の蘇我軍と
排仏派の物部軍の合戦!
太子も馬子らとともに参加する

蘇我・物部・馬子、歴史が動きます。
たてもの・壁画は左手から右まわりに物語がすすみます。画の描写は細かく生き生きとしています。

その後仏教と文化が入ります。

19歳で太子は元服。
◆22歳で四天王寺建立。

五九三年・日本で最初の官寺として現在にいたります。

摂政皇太子
よく見る肖像画のお顔です

五九八年(27歳)
太子、黒駒にまたがり天空を駆けて富士山へ

◆六〇六年(35歳)
法興寺(現・飛鳥寺)の門が小さく大仏が入らず

ここの部分は伝説のようですね。
金ピカの飛鳥大仏?門を壊したのでしょうか?大変でしたねトリ。コミカルな壁画の部分です。

六〇九年(38歳)
斑鳩の夢殿にこもり三経義疏の執筆に励む

六一一年(40歳)
猟をする推古天皇を太子が𠮟る

夢殿におこもりの太子。
たいしてアクティブな推古天皇。殺生はいけません。が、推古天皇もストレス解消したかったのですよね。女帝ですもの。

ラスト・極楽浄土へ

六二一年(50歳)
太子とお妃様、斑鳩宮にて薨去。
人々、嘆き悲しむ。

(没後)
太子のご薨去にあわせ皆既日食が発生する

END

ドラマチックな聖徳太子の一代記。壮大に描かれています。


絵堂で、ぜひ実物の壁画をごらんください。伽藍とくらべ、聖霊殿(太子殿)はあまり訪れるひともなく、ゆっくり観覧できます。

太子殿・猫の門



【参考サイト】
和宗総本山四天王寺公式サイト




四天王寺
毎月22日に絵殿へ
聖徳太子に会いましょう。

毎週水曜日は
「たてもの」の日

いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに


さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。




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