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生きづらさと折り合いをつけるために文章を書いている

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今年に入って毎日何かしらの文章を投稿している。書き始める前はどんな内容になるのか自分でも想像付かなかった、けど、今のところ、愛とか性についてがテーマになってきている。なかには過激な性描写もあるけれど、今の自分にとって必要だから書いている。書きたくて書いているというわけではなくて、必要に迫られて書いているのだ。

人はいくつものパーソナリティを持っている。それは何万通りとある。自分で意識していないパーソナリティというのもあって、彼らは何かの拍子に表に出ることを深い場所で眠りながら待っているのだ。
文章を書くという行為のなかで、私はいくつかのパーソナリティを起こしてきて彼らのことを知ろうと質問してみたり対話させてみたりといろんな実験を試みる。特に、自分のなかに存在していることすら許せない、ゾッとしてしまうというくらいのパーソナリティを呼び起こすことに挑戦していきたいと思っている。創作はそのためにやっていると言ってもいいかもしれない。

理解の及ばないほど遠い存在に感じるパーソナリティと対話することで何か得られるものがあると信じている。たとえばだけど、親に対する煮え切らない思いがあったとしよう。その思いは大人になったとしても、親がいなくなったとしても消えないかもしれない。かと言って、抱えたまま生きていくのも辛い。次第に、親以外の誰かにその煮え切らない思いを投影して、攻撃してしまうかもしれない。じゃあどうしたらいいか?自分のなかのパーソナリティたちに対話をさせることで、何か気づけることがあると信じている。親たちにだって、それぞれの物語があったはずだ。それぞれが被害者だと思っていたかもしれない。そんな想像力を働かせる。許すとか許さないとかの問題でもない。ただ目の前の状況をそのまま受け止める、ただそれだけ。それを続けていけば、悪とか正義とかそういうものすらない境地を味わう瞬間が訪れる。それが至福の瞬間と言えるものなのかもしれない。

それでも、また現実の暮らしに戻っていけば生きづらくなってくる。だから毎日、創作を続けるのだ。飽きるまで、満足するまで。せっかく生まれた作品たち。作品には必ずせかいのどこかに一人は、それを必要としてくれる人がいる。なので、できるだけ一人でも多くの人に見てもらえるようにしたい。共有できるということはそれだけで素晴らしいと思うから、できれば分かち合いたい。作品をお金で分かち合ったり、物でも行為でも何でもいいからその人の持つ何かと分かち合うことができたら、素敵な循環が生まれてなお良い。そんな流れでみんなが生きていけたらと理想郷を描いている。


自分の内側から発せられる何かを、掴んだと思ってもすぐに消えてしまいそうなそれらを、1枚でも多く作品にしたい。同じ感性や同じ心象風景を持つ人たちの元に作品を届けたい。と願って日々描いています。またサポートして下さることでいのっちの電話に使える時間も作れるので助かります!