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誰かに作ってもらった料理を、食べる。

先日、友人の話を聞いて驚いた。

聞くまで知らなかったけれど、彼女は無類の料理好きで、毎日2時間程かけて夕食を作るのだそうだ。
それが彼女の健康のバロメーターで、もはや趣味なので全く苦にはならないらしい。「食に貪欲で、時間もお金もかけたいタイプなので」となんてことないように笑う彼女。
ちなみに彼女はフルタイムで働いており、残業して帰りが遅くなっても同じように料理を作るらしい。むしろそんな時こそ、ちゃんと作った料理を食べると、満足して元気になるのだそうだ。

出来合いの食品は全く買わず、素材を買って一から料理するとのこと。
写真を見せてもらうと、稀に見るほど立派で彩り豊かな一汁三菜の和食がテーブルに並んでいた。揚げ物でも、冷凍食品は一切ないらしい。

楽しくて苦にならないというのだから、それは良いことに違いない。
こんな人もいるんだなとしみじみ感心した。

最近の我が家の料理事情を省みると、必要最低限の手間に圧縮されている。平日の夕食準備時間は、およそ30分以内だと思われる。

夫と一緒に買い物や料理をし、日々の夕食を準備する。
主菜はその日に作る。副菜は週末に3品を作り置き、それを1週間で少しずつ消費していく、というのが基本スタイル。
ワンプレートに主菜1品、副菜2品を盛り付けて、ご飯を炊いたら完了。

主菜は焼くだけの味付きのお肉や、その日買ってきたお刺身も食卓に上る。週の後半は、お惣菜を買ってきたり、外食したりすることもある。
毎日それなりに美味しいと思うものを、それなりにバランス良く食べている。

手間をかけすぎないことで、お互いに会話や休憩の時間を捻出し、生活に余裕をもたせることが、私たちにとっての重要事項だ。今のところ、良いルーティンを維持している。

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ある日の夕食。

昨今、母親がお惣菜のポテトサラダを買うのを他人に批判された、冷凍餃子を食卓に出したら夫に手抜きと言及された、といった出来事が話題を呼んでいる。

言われた女性側の気持ちを察するに忍びなく、複雑な気持ちになった。
女性、あるいは母親に対する手作り料理への期待が、社会的にすごく大きいことを改めて感じた出来事だった。

個人的には、どちらの場合も、女性側の行動には何の問題もないと思う。

そもそも料理が好きでも得意でもない人にとって、毎日1人ですべて食事を作ることを求められたら、相当な精神的・身体的負担だろう。
私は料理は嫌いではないけれども、冒頭の友人のごとく疲れた時でもやりたいくらいの趣味の域に達してはいない。どちらかと言えば、作るより食べる方が好きだ。

社会通念上「料理は女性がするものだ」という観念が植え付けられ、女性側には一種の諦めが生じているだけで、男性側よりも料理ができるという有利な素質があるわけではない。それを証拠に、シェフは男性の方が多いもの。
料理は洗濯や掃除と同じで、人によって得意不得意はあれど、やればそれなりにはできるようになる家事の一つだ。

ところで以前付き合っていた彼は、手作りの料理をとても重要視する人だった。
「料理は毎日作ってほしい」というのが彼の強い希望だったし、彼にとってはそれが普通のことらしかった。
できれば応えたいけれども、私が残業して遅く帰って来た日はどうするのかと聞いたら、「待ってる」というのが彼の答えだった。お惣菜を買ってきたり外食したり、あるいは彼が代わりに作ったりするのは、想像しようとしても難しいようだった。

毎日私にどうしても料理をさせることを望み、譲らなかった彼のことは、優しかったはずなのに、まるで鬼のように思えてしまった。
2人ともフルタイムで働いていて同じ条件なのに、知らないうちに私は家事の主担当に任命され、家庭を守ることが仕事の継続より重要だと説得されていた。

私ではない、彼と合致する女性と理想の家庭を体現していってほしい、と今は願っている。そして私は、自分の目標に向かってこの先も仕事を頑張り続ける。

「誰かに作ってもらった料理はなんでも美味しいんだよ」
と、母親は言った。
私が久々に実家に帰って、美味しい美味しいと言いながら、母親の作った料理を次々食べていた時のことである。

専業主婦だった母親は毎日毎日、2時間程の時間をかけて夕食を作っていた。
子供の頃はその夕食が出てくるのが当たり前で、母親の苦労は知らなかった。
単純に母親の作った夕食が好きだったから、外食したいとも思わなかった。

父親は、母親の作った料理に関して、基本文句を言わず完食する人だったから、母親にとってそれはありがたかったようだ。
一人暮らし時代は料理をしていた父親だったが、「料理はお母さんにはもう敵わないよ」と言っていた。時々、休日の朝食に、母親なら作らないような巨大なオムレツを、父親と一緒に作ったのを覚えている。

料理とは、不思議なものだ。
ある意味特別視されている、重要な家事の1つであることは間違いない。

“You are what you eat.”
とよく言うように、人の健康は食生活によって決まる。
だから、家族が食べるものを決めて準備していく過程に、重要な意味があることは確かだ。

社会は日々移り変わって、共働きの家庭も増えてきた。家庭事情は様々な要因があるから、他の人にはわからないことがたくさんあるだろう。
食品も、お惣菜から料理キット、宅配サービスまで幅広く充実してきた。
少なくとも家事分担はその家庭で決めることだし、売っている食品を買うのは何ら悪いことでもない。
「食事を準備する」ことが必要な家事であるはずで、「手作りする」ことは必須ではない、と考えたら気が楽になる。


「誰かに作ってもらった料理は美味しいな」と皆が思える方が、ずっと幸せな生活ではないだろうか。




(余談)
料理ができる男性は、カッコイイと思うけどな。



Schönen Tag noch! 😄