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人生は不要不急 他にどういう影響を与えるかだけ

解剖学者の養老孟司さんがコロナ禍の社会について語った記事を読んでとても賛同いたしましたので、私の意見とともに綴ってみたいと思います。以下、抜粋要約しました。

コロナの影響で不安を感じる人が増えているけれども、そもそも未来は予測不可能。不安は決して悪いことではない。老いるのも死ぬのも不安。ですが、老化しない生物も死なない生物も存在しない。折り合いをつけるしかない。それを「成熟」という。
なぜ、人は死を不安視し、成熟することができないのか。ひとつには、今の日本社会全体が経済的利益を生み出すことに価値を置きすぎてしまったことが挙げられます。”勤労=お金”という特定の価値から見ると、老いていくごとに価値がなくなっていくわけです。
しかし、人間は経済的利益を生み出せなくなったから意味を失くすのではなく、もともと”誰もが不要不急の意味のない存在”。それどころか、自然界にとっては迷惑な存在でしかない。
外に出れば、どんなに注意を払ってもコロナがうつる可能性はある。お互いさま。生きているだけで迷惑な存在同士、そうやって折り合いをつけていくしかない。ただ、勘違いして欲しくないのは、人間には意味はないが、人生には意味がある、ということです。
病気になってどう対処したか。不安にどう立ち向かったか。どんな風に死んでいったか。それらの態度すべてが、他人に力を与える。これは病人に限りません。私たちのすべてが、他の人に影響を与えている。だからあなたが不安にめげず、折り合いをつけながらも面白そうに生きていることが、最も人のためになるのです。

養老孟司さんがおっしゃる、「成熟」という言葉は、人の価値はお金ではなく、他にどういう影響を与えるかということの価値を示し、それが人生の意味だということになります。本当にそう思います。個人としてお金をどれほど残したかよりも、成熟した人になること。その人の存在が及ぼす影響というものに価値を置く世の中になると、生き方が変わってくると思います。

経済的利益が至上だという考え方が一般的な中で、それに違和感を覚える私のような人は生きにくい世の中が続いていました。私も、何故好き好んでネパールで昔ながらのやり方で服を作るのか、儲からないものに人生を費やすのか。おそらく周りは理解できない、頭のおかしい人でした。(笑)

でも、コロナ禍がその古いの価値観をかき混ぜるような事態になりました。

どのような未来を作るのか=サステナブルな未来一択になりました。なぜなら今までのやり方では地球が保たないことが明白だから。そして、コロナウイルスによって事実上グローバリズムも一旦強制終了させられています。

このコロナ禍で、皆が不要不急なことをしない過ごし方を身につけました。本来、人間は不要不急な生き物だという視点は、これまでの熱狂をあっさりと否定するような残酷さがあります。今まで何のために急いていたのかが明らかになってしまいます。つまり、お金を稼ぎお金を消費することです。

一方で、不要不急な生き物である点は自然界の他の生物と一緒。だとすると生きることの意味を成熟に変えて生きる面白そうに生きることだけでも人のためになるという価値観は、これからの時代の過ごし方に大きな示唆を与えてくれます。

文章を読む、文章を書く。note に集う方は身につけている、考える習慣は一つのスローで成熟した過ごし方かもしれません。本当に一人一人がお金ではない価値を大事に、面白そうに生きることができる社会ができれば最高だなと思います。本来の豊かな社会とは、そうあるべきだと思います。

私は、コロナが与えてくれたスローな社会にはむしろ居心地の良さを感じています。人間がもう少し謙虚に、自然界の一員として地球に一時だけ存在するものとして、他の人に役立つことを提供しあうような社会が理想だなと思います。




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