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京都を巡り繋がる

〜雨の夕刻、翌朝の道中〜

 急遽決まった京都への旅で真っ先に思いついた目的地は日本画画材店『放光堂』だった。ずっと想ってきたが、ようやくお店に伺うチャンスが巡ってきたようだ。
 お店に初めて行ったのはちょうど10年前だった。今回は2度目になる。岩絵具の入った袋に貼られたシールの店名が目に入る度にお店に行っている気がしていた。岩絵具は鉱物等でできていて何年経ってもほとんど変わらないのもあり、あれから10年も経っているとは驚いた。
 どんなに熱い想いがあっても、所詮はほぼ一見さんの客の1人、京都の名門店に入店するのはやはりとても緊張した。
 日が暮れかかった頃にお店の前に辿り着き、傘を畳みながらお店の入口を見ればロープで閉鎖されていた。入店制限をしていたが、インターホンを押して入口を開けていただけた。
 前回と同じように感じられる店内は心地よかった。柔らかくて優しい雰囲気のお店のおばあちゃまがゆるりと絵具を計って袋に包んでくださった。店主もやはり前回と変わらない雰囲気だったが、なんだかとても距離が近く感じた。きっとあれからお互いに丸くなったからなのだろうと後から気づいた。

 岩絵具は全て職人さんの手作り。ひと瓶ひと瓶当たり前のようにそこにあるけれど、小麦粉のような細かい粒子まで静かに整っている。いつ見てもその色も粒子も美しく、深い感動に感謝で涙が流れそうになる。
 日本画画材店は私にとっての聖地なのだ。そんな想いでいられるのなら、やはり自分には日本画の特性があるのだなあと自然に受け入れられた。改めてこの聖地に感謝の一礼をしてから傘をさして出た。
 画材店巡りにあと半日かけるつもりがこちらで用が足りてしまった。翌日は朝から午後まで時間が空く。どこに行こうか。

 朝目覚めた時に心も決まった。気持ちも新たに、前日に購入した絵具と硯を背負ってホテルを後にした。
 すぐ側の平安神宮に参拝して神苑を巡れば、池の畔には鴨の夫婦が二組、丸くなって休んでいた。時折美しい朝日が射しこみ苔を照らしたが、撮ろうとすると陽が陰る。
「今日は鴨、ここでゆっくり撮っている場合ではない…」
 神苑にそんな言葉をみつけて、本日の目的地のひとつ、下鴨神社へと急いで歩いて向かった。今日はできるだけ徒歩で廻った方がいいような気がしていた。

 地図を頼りに歩いていくと京都大学のエリアに入った。その昔目指した大学で、名前は懐かしいけれど、この地に住むことはなかったから町の匂いに親しみは感じられなかった。
 高校生になった頃に憧れた職業は庭師、友禅染めの職人、哲学者、日本画の修復等で様々なイメージを夢に描いていた。「どの大学に行くの?」と聞かれても、親に提示された『美大NG』という条件から先に進めなかった。憧れた職業にどうしてなりたいと思ったのか、そんな深掘りが必要なことにも気づけないままで時は流れた。それから行きついた考えは、当時の私にとっての幸せは全て皆が幸せであることで、それが私の人生の目的だということだった。それでもどうしたらいいのかなんて全く分からず、自動的に総合大学を目指して学力を上げるためにひたすら問題を解くばかりの日々だった。
 大学は研究するところだと、そんなことさえよく分かっていなかった。自分なりに考えた末に辿り着いたのが京都大学だった。とにかく実家を出たかったし、京都は子どもの頃から憧れた場所で飛び込んでみたかった。高齢の祖母が住む山陰地方にできる限り近い場所で暮らしたいという思いも手伝って、志望校に決めたのだった。
 さあ受験勉強だとハチマキを巻いてみたが、東京の真ん中に住んでいたこともあるのか、周りには誰もハチマキに『京大』と書いていないのに気づいて驚いた。そして戸惑いながらも東大専門の塾に通って自宅では孤独に京大受験のための勉強をした。独学で合格するほどのアタマもなく中途半端な実力をどうすることもできず、それでも選んだ道は歩き続けてその先を目指す以外に考えられなかった。
 高3になり、通っていた塾の生物の人気講師、タベ先生に出会ったのが人生の転機のきっかけとなった。タベ先生に最終進路を相談する機会があって、その時一度だけ先生と直接お話しした。京大へはこの時点でもどちらに転がるか分からないような成績で、「前期は京大、後期は京大を受けても多分無理だから浪人したくないなら北大にしたら。」というアドバイスをいただいた。北大?北海道といえば「北の大自然」、いいかも。そんな直感的な選択で後期を北大に出願した。
 浪人せずに進学したかった。京大への挑戦は一度きり、しかし試験初日の数学で驚くくらいの惨敗、これは終わったなとすぐに合否判定できるくらいの手応えの無さだった。重なるようにタクシー運転手の冷たい接客で京都に住むモチベーションも無くして帰路についた。
 問題集でしか見たことのなかった「北海道大学」、後期試験を受けるために初めて入った北大構内の銀世界ではカマクラが陽の光に輝いていた。のんびりとした雰囲気で一気に脱力した。後期試験は生物と化学で受けて、あっという間に解き終わって3回くらい見直した。見直しながら、「ああ、あんなに勉強したけれど、これならもっと遊んでおけばよかった。」正直そんな感想を持ったが、中学から数えれば6年間、悩み立ち止まり遊んで歩いて走って走って、自分なりにやり切った。そして、家を出るという想いが成就したのもあるのだろう。全く悔いなく高校を卒業して北の大自然への期待を胸に北大に入学した。
 この大学受験の記憶から改めて思い出したのは授業でのタベ先生の言葉だった。
 「人間とは何か?」そんな受験生からの質問に対して、タベ先生は「人間は動物であり遺伝子の乗り物である。」と答えられた。ざわつく会場の中で、私も当時は全く理解できなかった。

 京大にはご縁がなかったというご縁でそんな存在には相変わらず眩しさを感じながら、いったいこの大学受験への道で何を身につけたのだろうかと改めて振り返る。この時期だからこそのスポンジのように染み込む柔らかな脳には想像以上に膨大な情報が入るものだ。四半世紀も経てばすっかり忘れてしまったようだが、表面に出ていない、見えない部分に全て残っているようにも感じる。この6年間で私自身は受験勉強が主な出来事だったが、世の中には数えきれないほど様々なジャンルがあるものだ。それぞれが立つステージで何らかの限界を突破する経験ができたのなら、その後の人生でたとえ挫折しようともすぐに立ち上がれなくとも、いつかまた立ち上がれる、そんな力となるのだろう。
 その時々でもしも目的がはっきりとみえなくても、周囲の目や社会から離れた孤独な状態で降りてきた直感は振り返ってみれば正しいものとなる。
 勉強、作業、デッサン、座禅、瞑想、運動…どんなことでも選んで行動すればやがて直感を信じる心にも繋がってゆく。要はやりたいと思ったことをやればいい。動けば拓く。


〜下鴨神社と上賀茂神社、旅の後〜

 歩きながら、京都は祖母と母の記憶に重なる懐かしい場所なのだと思い出した。2人が憧れた場所だから私も憧れたのだろう。憧れだけなのだろうか。知りたいことは目の前に広がる世界に散りばめられている。
 目的地の2社は河北倫明氏の生家でもある楠森河北家住宅と縁ある賀茂神社の起源と聞いてからずっと気になっていた。
 下鴨神社に辿り着いて静かな糺(ただす)の森に入った途端に時間の感覚が無くなり、当時と今が重なった。当時がいつなのか分からないが、いくつもの時間が合わさってひとつになったようだった。参拝する機会をいただいたことへの感謝、日頃の感謝とともに手を合わせ、深呼吸をしたらバスですぐに上賀茂神社へ向かった。
 上賀茂神社では特別参拝にて神話について伺い、お祓いののち内庭に向かった。本殿を仰ぎ内庭に佇む間、美しい屋根に真っ白なあられが何度も降ってきた。先ほどまで広がっていた青空に突如現れた雪雲がこの一帯を清めたかのようだった。
 この光景から降りてきたのは白い雷のような龍、名を問えば『春雷』、あられが音符のように踊り、米津玄師氏のリズムにのってみえた。

 この旅で大切なのは絵具と硯を背負って巡ることだったのだろう。帰宅後は日本画の制作も進んで仕上がった。
 タベ先生の言葉、2社でみた古来からの樹々とあられ、春雷、全てはひとつとなり絵具とともに画面に広がった。


〜関連和歌〜 

いかにして いかに知らまし 偽りを 空に糺の 神なかりせば
(清少納言.枕草子)

君をいのる ねがひを空にみてたまへ 別雷(わけいかづち)の神ならば神
(賀茂重保. 別雷社歌合)


〜関連リンク(記事掲載順)〜

・放光堂(日本画画材店)
〒604-0847
京都市中京区烏丸二条下ル西側
TEL. 075-231-0817
FAX. 075-252-1060


・楠森堂(楠森河北家住宅) 


・賀茂神社(福岡県うきは市)


・賀茂御祖神社(下鴨神社)


・賀茂別雷神社(上賀茂神社)


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