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久高島での時間(上)6:30-11:00

Finally, I can’t stop dreaming…
願い続けた日々が…


出港の重低音が響くエンジン音と共に染みわたる音。。。
いよいよだーーという気持ちと同時にまだどこかフワフワしていた。

これから、憧れの久高島へ行く。

早朝のツイッターで本日の「久高島フェリー運航状況」を確認し、小さくも強い確信を得て、モノレールに乗る。車窓から、それはそれは真っ赤な空から昇る、真っ赤な朝日を拝んだ。これからお仕事に行く方や学生さんと一緒に。6:50だった。到着した朝の那覇バスターミナルでの空気も心地よい。ランチバッグを腕にかけた仕事へ行く女性の方が多いような気がした。それを見るだけでもなんだか元気が出る。この土地で生活を営む方たちの、平日の一日の始まりの時間に溶け込ませていただいた後、バスは7:30に出発し、そこから1時間かけて、安座真港へとやってきた。


実は、2か月前に来た時は、台風18号の直撃により、4日間来る日も来る日も出港がなく断念していた。その代わりに、前回は同じバスルートで安座真港から2,3駅先の「斎場御嶽」まで行くことにした。だから、このルート往復も2回目となる。

バスは、沖縄南部の田舎道を中央から西の海岸へと、沖縄らしい景色の中を進む。とはいっても、私は那覇と南部しか来たことがないため、それが本当に「沖縄らしい」のか断言できる自信はない。しかし、それは那覇にはない景色で、バス停や信号で停車する度に、車高の高いバスの車窓から、色のハゲた白やオレンジの瓦の家々の上にちょこんと乗ったシーサーたちと幾度となく目が合うのだ。門の上にも、屋根の上にも、古くから風雨に耐えてきた、経験と貫禄のあるいろんな表情のシーサーがちょこん。発車、停止、ちょこん。ときには緩いお顔であったり、鬼の形相だったり。素敵だな、ってクスっとしちゃう。それから、コンクリートの家々も目立つ。色が塗られていない灰色のくすんだ家が多いのには静かに驚いた。バス車内の左側から見える建物は南側になる。玄関の正面2階には一見変わった穴が開いた壁のようにコンクリートで出来たものがあつらえられた作りの家々が多い。「花ブロック」ということを帰ってから知る。それらが必ずしも新しくは見えなかったためか、未知の沖縄の家の姿を知った。南向きの玄関と花ブロック。

オフシーズンになり、バスの時刻表も一新されてしまったためか情報が少なく、帰路につけるのか多少の不安はあった。しかしそこは得意のプランB。島の誰かにアイディアをもらえばいい(笑)帰る時間を考えながら行くのはちょっと苦手。


8:50に港に着いて、海とは反対側をふと振り返ると、そこには稜線の濃い黙々とした(木々とした)斎場御嶽の山と崖がそびえていた。心の中で震えを覚える。いってきます。
フェリーの往復きっぷを手に入れ、9:30出発を待つ。すると同じバスにいたらしい関西の一人旅の女性に声をかけられる。少し億劫だなと思いつつ、あまり距離を縮めないようにした。

さぁ、いよいよ出港。そっとイヤホンを耳に入れた。

ーーーそして冒頭の安室ちゃんの「Finally」をエンジン音で負けない少し大きめの音で聴いたのだ。やっと、行かせていただける日がきたのだ、と。

上陸しても、なんだかソワソワした。神々しい島でたくさんのルールがあることを読み、無礼をしてしまわないかと不安な気持ちがあった。まずは、島の人に「徳仁川拝所」という拝む場所を聞いた。その場所に向かって、自分の気持ちを鎮めるかのように、出来るだけゆっくりと心の中でご挨拶をした。

船から出た人は続々とレンタサイクルを借り、各々出発するが、私は誰もいなくなるのを待つ。そして完全に一人になってから歩き出した。港でいただいた情報によると、港のある南から最北端まで徒歩で約1時間。東西は20分。周囲8キロ。普段からウォーキングでの距離感覚があるので、徒歩でゆっくり回りたいと思った。私にとっては、走るより、自転車より、車より、「歩く」スピードが最適だと思っている。そもそも歩くことがとても好きなのだ。もちろん自転車旅も何度もしたことがあるけれど、今回のこの広さの島ならば、もっと、ゆっくり、ゆっくり感じたい。座ったり、道を戻ったり、目を閉じたり、本を読んだり、空を見たい。

スタート地点の南から東と西、どっち周りで行こうかと思ったが、太陽が高くなるお昼ごろに西側の海を見たい!と思ったので、まずは東のピザ浜方面へ踏み出す。歩き出してものの5分ほどで、足元に見つけた「ピザ浜」という意外とハイカラな名前の小さな案内に沿って小道を抜けた。そこがいわゆる「沖縄の海」の色ではないのに気づき、期待してた自分がなんだかとてもとても恥ずかしくなった。当たり前じゃないか。本当に恥ずかしかった、フィルターがかっているようなその自分の眼に。あるがままを見れば見るほど水が美しいことに気がつく。手前が黄色がかった濃紺の海だ。穏やかで海面が白銀でキラキラ眩しい。懐かしい気持ちにさせられた。その南から北へ続く道は、細かいサンゴでいっぱいの細く長い砂浜と、砂浜のすぐ隣は満潮で削られ続ける荒々しい岩。干潮時の今だけ現れているサンゴ道かもしれない。そのさらに左は少し高くなり、ずっと奥まで沖縄らしい生命力あふれる緑色が続いている。さえぎるものの一つとないフルパワーの朝の光に照らされて、それらの「色」の濃さに圧倒された。「朝」ってこういうことなのか。私にとってここの景色が、全てのスタート地点となる。

多くの人が、自転車で砂浜付近まで下りてきて、写真を撮ってまた舗装道路へ戻っていく中、私はそのまま砂浜をグングングングン、ここ歩いてもいいのかな、と不安になりながらも北上してみたくなった。打ち寄せる波はサラサラととても静かで耳障りが心地よい。

少し前を裸足でゆっくり歩く男性がいた。追いつかず、の距離を保ち、彼の足跡を時々見つけながら、サンゴ道を行った。しばらくすると、その彼が足を止め戻ってきた。
私「こんにちは!あれ?行き止まりですか?」
男性『うーん、なんか行けないっぽい』

缶酎ハイを手に歩いていた彼は、本島の方だった。名前も聞かず、でも沖縄なまりが妙にしっくりきて、私もできるだけゆっくり話すようにした。「あれ?地元の方ですか?」『本島です。あれ?地元の方ですか。』と聞き返されたときは、嬉しくなった。出来るだけ地元に溶け込みたい、というのはいつの旅も憧れているからだ。

『あっち行ってみますー?』と、二人で上の砂浜から抜け道を探す。朝日は全てを照らしているのに、抜け道は照らされない。ビーサンで痛々しい岩場をヒョイヒョイ進む彼と、いつビーサンになろうかと迷いながらもシューズで後ろを追いかける私。そして岩場の上の砂浜に足跡を見つけ、「これ辿ってみましょう。」と。

『なんで久高島に来たの?』「えっ、、、なんとなく呼ばれてて。前回は来れなくて、なので2回目です。」と言うと『オレ、3回目でやっとだよー』と彼は言った。「歩くっていいですよね」『ねぇ~っ。最高だよね。裸足になるともっと最高だよ。』「えっ、ここ歩いていいんですか」『えっ、オレ全然わかんないけど』とヘラっとしたかと思えば、『沖縄の料理には薬草が使われてていいんだよ~オレ一回沖縄出てそれに気づいたんだよね』『首里城、オレ行ったことなくて。久高島もなくて、だから今なら行けるって思って』「それって、静岡で言う富士山と同じかもしんないです」『本土の北の方の御嶽、めちゃやばかったからーもしよかったら行ってみてよ』「まだ南部しか来たことないので、呼ばれたら今度行きますね」と沖縄の話も少ししたり。そんな他愛もない話をしながら抜け道を探す。その彼の裸足を追っていくにつれて、ルールで不安だった頭が解けていくようだった。キラキラした純粋な旅の気持ちが蘇り、次第に私の旅の「スタート」の音が聞こえてくるような気がした。

ようやく地図にある道に出た時、彼の隣に並んだ瞬間に彼が聞いた。『えっ、これからどうしますー?いっしょに行きます?一人で行きます?』と。そう、まさに私が聞こうと思っていたことをちゃんと聞いてくれた。察するとかではない。中立的にきちんと聞いてくれたのはきっと、彼もまた一人旅も出会いもどちらも好きで、せっかく来た初めての久高島だから、という互いへの尊重だ。
彼はそのまま北へ進んでいくと言う。私は同じ北へ向かう、島の真ん中あたりで西へ向かおうと思っていた。「ほな、ここの分かれ道まで一緒に歩きましょ」


続く


静水庭🌿


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