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よくばりな私たち

保護犬、保護猫。

この言葉を見るたびに胸が痛む。

家族として迎え入れられてからもついてまわる、この忌まわしい呼称。人間で例えるなら、施設で育った人を紹介するときに、毎回施設出身者と言っていることと同じだと思ってしまう。

施設という言葉はどこかタブーを含み、なるべく触れないよう配慮が働く。大人の都合で施設に入らざるを得なかった。子供一人の力では、この世の中を生きていくことはできない。育ちではなく、人間性が大切だとわかっているから。

一方、犬猫に関しては、保護犬・猫を飼っていることが、どこかステータスとして扱われているように感じてしまう。

日本は未熟だ。
彼らが経験した過酷な過去を広く知らしめるためではなく、そんな彼らを引き取った人間を満足させるために使われていることが多い。

なぜ保護される犬猫がいるのか。
その原因には当たり障りのない表面的なことしか触れず、根本については触れない。ただ、心あたたまる物語としている。

家族の一員として受け入れ、彼らを本気で愛しているのなら、育ちは関係ないのではないだろうか。
名前だけで呼んでほしい。

どれほど過酷な経験をしたのか、私は想像することができない。人間の都合で生み出され、人間の都合で捨てられた。心に深い傷を負っている彼らを、それでも、まだ私たち人間は傷つける。かわいそうな彼ら、そんな経験から生き残った健気な彼ら、すてきな飼い主に出会えた幸運な彼ら、そうラベリングしている。



ボランティアとして活動している人たちには、本当に頭が下がる。終わりの見えない闘いのようなものだろう。頑張っても頑張っても、新たな彼らがやってくる。時には無力感に襲われるかもしれない。それでも、諦めない強い信念を持っている人たち。


「パピーミル」という言葉を、私は知らなかった。

この本で、初めてその存在を知った。
イメージ出来ず、ほんわかとした感触で読み進めていったが、この時はなぜか知らないといけないという思いに強くとらわれた。

私は腰が重い。
調べようと思いつつ幾日も過ぎ、忘れていたということはざらにある。だが、この時は違う人間にでもなったようだった。すぐさま調べた。

衝撃だった。
言葉もなく、ただ写真を見つめることしかできなかった。こんな世界が存在することが理解できなかった。何が行われているのか、すぐには分からなかった。心は乱れ、知ってしまった現実を受けいれるには、それなりの時間を必要とした。

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その時見た写真は、この写真とは違う。

そこには、この写真と同じように木枠で首を固定された雌犬が写っていた。彼女は、全てを諦めたあまりにも物悲しい目をしていた。絶望ともいえる深い悲しみをたたえた瞳をもつ犬を、私はそれまで見たことがなかった。

首を固定され身動きがとれない状態にされたところに、薬で発情させた雄犬を放り込む。子宮から出血していても、関係ない。どんなに傷を負っていても手当てを受けることはなく、ただ生むことだけを求められる。
商品価値の高い子供を。

みんな女からしか生まれることができないのに、女の尊厳を踏みにじる。

奇形が生まれることも多いらしい。
だが、そんな子供は売れないから捨てられる。

そんな一度は捨てられた彼らの、人間への復讐の物語だ。

描写がかなり激しいが、祈りながら最後まで一気に読み進めてしまった。


この本を読んでから、散歩している犬を見てもその背景を考えてしまうようになった。どこで生まれ、どのようにしてこの人の元にやってきたのか。知らなかった頃のように、ただかわいいというだけでは見れなくなった。

ペットショップは、一番嫌いなお店になった。ペットショップにペットを見に行き、ペットショップで気軽に買う人間を軽蔑している。


私たち人間が欲し、本来なら生まれるはずのなかった命が、強制交尾という形で生まれてきている。そして、野菜などと同じように競りにかけられる。奴隷制度があったころ、同じように競りにかけられている人間を映画などで見たことがあるのではないだろうか。

同じことが、人間ではないにしても日本で行われている。

ペットショップでの生体の販売は禁止にし、信頼できるブリーダーを育てることに力を注がなければいけない。


人は欲張りすぎる。
あれもほしい、これもほしい。

わびさびの世界に生きることは、物に溢れた現代では難しい。それでも、縁があり手にした一つのものを、大切にしていきたいと思う。

殺処分なしにする取り組みは素晴らしいが、入り口を閉じなければ、いつまでも同じことが続く。出口のところばかりに焦点をあてるのではなく、もっと入口に焦点をあて、ペットショップのペットがどのようにして生まれ、並べられているのかを周知する必要がある。
そうしないと何も変わらない。

なんでも欧米をまねることが大好きな人たちが、これに関しては腰が重い。どす黒い闇を抱えた世界を、光の下に連れ出そうとはしない。単に関心がないのか、つついてはいけない世界なのか。

日本は、見たくないものから目を逸らし蓋をする悪いところがある。国だけでない、私たち一人ひとりもそうだ。暗い現実を目にすることは、辛い作業になる。心に負担もかかる。だが、いつか浄化しなければ闇はどんどん深くなるばかりだ。

今、世界がどんどん変わりつつある。
今こそ古い殻を脱ぎ捨てる時なのだろう。
このチャンスを逃せば、もう脱皮できる機会は訪れないかもしれない。

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