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1人で家族を養ってくれた父

定年退職おめでとう

令和5年3月31日
父親が60歳で定年を迎えた
これからも引き続きお仕事はするみたいだが
ここで一旦の区切り。

この日を目標に今まで父は
ずっと1人で戦ってきてくれた
体調を崩すこともあった
行きたくないと思った日もあったと思う
というか行きたくないと思う日しかなかったかもしれない


でも指折り数えてこの退職日まで
家族のために耐えてくれた
本当に感謝している


寿退社しなかった母が専業主婦に

両親が結婚した30数年前は
まだ寿退社する人も多かったと思う
でも母は結婚しても仕事を辞めなかった

結婚当初は母の方が収入が多く
共働きとしてスタートしたうちの両親は
家事分担もしっかりしていた
母は当時できたばかりの育休制度を使い
今でいう「ワーママ」になって
私は保育園に行き仕事を続ける予定だった


が、私を妊娠中にいろいろと状況は変わって
退職することにしたらしい

育休制度ができたのは1992年
私が生まれたのは1993年なので
当時育休制度を使って仕事復帰した人なんて
ほんの一部で産休後に復帰か
ほとんどは妊娠・出産と共に退職し
こどもが大きくなったらパート復帰という
流れのお母さんが私の周りには多かった

ただ母は相当悩んで退職を
決断したようで
以降は仕事をしていない

覚悟を持って「専業主婦」という道を
選んだんだと思う

主婦になりたくないと思っていたのに

私はそんな母を見て育ち
父が1人で家族のために頑張ってくれていた姿を見ていたから
母も働けばいいのにと思ったことも多かった


私は絶対に専業主婦にはならない
そう決めていたはずなのに
結婚から1か月後
職場のパワハラに耐えられなくなった私は
「専業主婦」になってしまった
※1か月半後には新しい仕事見つけて
今の職場で働き始めたけど


新婚当初に専業主婦を経験した時は
なんて暇なんだろう
早くお仕事したい
そう思ったけど
その後3年間の在宅勤務を経験してみて
また考えが変わった




社会人になってから
適応障害と転職を繰り返してきた私にとって
「在宅勤務」という無理のない働き方のおかげで
とても生きやすくなったし
今後私が理想に思っている通りの「ワーママ」に
なって仕事と生活を両立させるのは難しいかも
と思うようになった

共働きすることや
個人で収入を得ることが
生活の安定と安心を作ることは間違いない
だから働くことをやめないが
夫が仕事を変えたいと言うかもしれないし
私もまた今の仕事をできなくなる日が来るかもしれない
そうなった時にも臨機応変に
対応できる自分で居たいと思っている




ここまで育ててくれた親に感謝

昨日「東京貧困女子」という本を読んだ

この本を読んでかつての私であり
今の私ではないかと思った感想は
standFMで語っている↑


家賃もカードの支払いもギリギリで
いつもお金がなかった20代の貧困女子だった時代に
私がいつも心に思っていたことがある


それは
「18歳まで何の苦労もなく
貧困を感じることなく
育ててくれてありがとう」
ということ。

親に下宿代を払ってもらっている
友達が羨ましいと思ったこともあったけど
親の方針として大学は
奨学金とバイト代でやりくりすると決められていたので
学費だけでも出してもらっていることに
いつも感謝するようにしていた

今となってはこの貧困女子時代があったから
堅実な妻として家庭をやりくりできていると思う


決して無駄遣いはさせず
でもやりたいことは挑戦させてくれた
親の用意した環境を恨んだ時期もあったけど
今はこの環境で育ってきたことに感謝している


お父さん今日まで必死に
私たち家族のために働いてくれて
本当にありがとう
お疲れ様でした


第二の人生も元気に楽しく
長生きしてください


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