日本刀女子高生。
「いいでしょ? ちょちょっとさ、ちょちょっと」
「……」
「ね? 行こう? ちょちょっとだから」
「……」
「痛くない痛くない。ちょちょっとだからさ」
「……よく……ないです……」
どぶ臭い路地裏。
筋肉質の男が、壁の前に立つ誰かに話しかけていた。
夜の暗さでよく見えず、近付いてみる。
男の前には、俯いた女子高生がいた。金髪でツーブロックの男に迫られ、彼女は動けずにいた。
すぐに分かった。
こいつはこの街の人間じゃない。
よく来るのだ。湿気と憂鬱に苛まれた女で、性欲を満たそうとする獣みたいな輩が。
「気持ちいいんだよ、君も俺も。ちょちょっとさ。ほら、あそこのキラキラしてるところでさ。やっちゃおうよ、ちょちょっとさ」
湿度の高いこの街には、鶯谷のような、ラブホが乱立しているエリアがある。だから、余計に性欲化け物が寄ってくる。
俺は、この街の救世主だ。
濃紺色のペストマスクを被って、湿気に侵された街の住人を救う役目がある。
「あの……嫌がってるよ、その子」
突然俺に話しかけられ、びくっと肩を震わせる男。見かけとは異なり、意外と小心者なのかもしれない。
「えぇ!? 嫌がってないよ。なぁ?」
男は女子高生の左肩に左手を回した。
更に俯く女子高生。
「一緒にさ、ちょちょっと、気持ちよくなろうって、そういう話をしてたのよ」
何故だか、物凄く不愉快な気分になった。
「頷いてないじゃん。ずっと俯いて困ってるじゃん。見て分からない?」
女子高生は綺麗な顔立ちをしていた。大人びた雰囲気を纏っていて、お洒落をしたらそこら辺の男なんてすぐに射止められそう。
だからだ。
だから、余計こんな男に汚されたくないんだ。
「何? 君は何が言いたいわけ?」
男は女子高生から離れ、こちらに顔を向けた。
背筋が少し、冷たくなった。
「つーか、やっちゃおっか、ちょちょっとさ」
男が首をぽきぽき鳴らしながら、近付いてくる。
まずい。
「ちょっ、ちょっと待った!」
明らかに体格が違う。殺られる。まともにやり合ったら、確実に殺される。
紫色の蛙が、騒がしく鳴き出した。
どぶの臭いが更に強くなり、室外機のファンの回転音が嫌に耳に響く。
「待つわけないじゃん。ちょちょっとやっちゃうよ」
にやぁ、と笑った男の歯は全て金色だった。目は左右別々の方向を向き、股間が膨張していた。
まずい。まずい奴に話しかけてしまった。
「じゃあ、行っきまーす」
男が走り出そうとしたと同時に、彼の両胸の間から刃が飛び出した。
目を見開き、信じられないとでも言うような顔をする男。つつつーと、彼の口から流れ出た赤黒い液体が顎を伝った。
ぬちゃっ。
刃が抜け、男の身体に空いた縦に細い穴からどくどくと血が溢れ出す。そのまま力を失ったかのように、勢いよく前のめりに倒れた。
泥濘んだ地面に広がっていく、粘着質の池。
男の後ろに立っていたのは、あまりにも美しい女子高生だった。
美しく、鬱くしい。
艶やかな黒髪で姫カットの女子高生の右手には、血塗れの日本刀が握られていた。
彼女を知っている。
室外機が並ぶ路地裏に現れる、憂鬱の守護者。
「……『日本刀女子高生』」
日本刀女子高生。
「湿気の街」特有の憂鬱を害そうとする者を、日本刀で制裁する女子高生。簡単に言えば、憂鬱を抱えた街の住人を危険から守ってくれる。
都市伝説かと思っていた。本当に存在していたなんて……。
*
地面に転がる男の死体を無感情に眺める、日本刀女子高生。
あれ程必死に叫んでいた蛙は、楽しそうに歌っていた。
ばくばくと騒ぐ心臓を宥め、何とか声を絞り出す。
「あの、いくら何でも……殺すのは、どうかと思うけど」
そう言って、口を噤んだ。
俯く女子高生が、微笑んでいた。
そうだ。彼女を救ったのは俺じゃない。日本刀を持った女子高生……彼女だ。
「ごぼっ……」
男が血を吐き出し、息を吹き返した。
「ふふ……ふはは……」
苦しそうに呻く彼を嗤いながら見下ろす、憂鬱に侵された女子高生。
「ほら、どう?」
そう言わんばかりに俺を見る、日本刀女子高生。
ここには、俺の居場所なんてない。
彼等に背を向け、異様な空気が漂う路地裏を後にした。
今夜の湿気は、やけに重い。
【登場した湿気の街の住人】
・ペストマスクの男
・憂鬱な女子高生
・日本刀女子高生