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スピンオフ:殺戮忍者【ニノ巻 住人狩り】

 気が付くと、僕は走り出していた。
 立ち止まったら、殺される。あの、鬣犬のお面を被った女に。


 辺りが明るくなり始めていた。
 休憩をする為、近くの路地裏に入る。


 呼吸を整える。
 頭の中で状況を整理する。
「湿気の魔女集会」を見ていた。そしたら、鬣犬のお面の女が現れた。彼女を殺そうとした5人の「紫派魔女」達。逆に虐殺されてしまった。長は鬣犬のお面の女の蹴りで、その他は毒の塗られた手裏剣のような凶器で。


 ちょっと待って。
 長以外は誰に殺されたんだ。鬣犬のお面の女は長と戦うまでプルパーカーのポケットに両手を突っ込んでただ立っているだけだった。
 って言うことは、他にも……。


「……ん?」
 そこで、泥濘んだ地面の上に何か大きな物が転がっていることに気が付いた。
 こんな小汚い路地裏だ。塵ぐらい沢山落ちている。それでも、無視出来ない大きさだった。


 恐る恐る、近付いてみる。
 街路灯に照らされていたのは、男の死体だった。白Tシャツのちょうど胸部辺りが真っ赤に染まっていた。


 まずい。ここも安全じゃない。
 僕は元きた道を引き返そうとした。
 ……いや、待て。落ち着け。こんな街の路地裏じゃ、人の死体なんて日常茶飯事だ。1つや2つぐらい……。


 どちゃっ。
 立ち止まる。
 数メートル前。死体が降ってきた。今度はパジャマ姿の女の死体。同じく胸部辺りが赤黒く染まっている。


 ふと、上を見た。
 建物と建物の間を一瞬、黒い影が飛んだ気がした。
 ほんの少しだけ見えたあの光は、刃に写し出された月の光か……?


 ぱりんっ。
 前方から窓硝子の割れる音。
 どちゃっ。
 そして、何かの落ちる音。


 怖くて、見る気になれなかった。


 ぱりんっ。
 どちゃっ。
 今度は、真後ろから。


 僕は走り出していた。


*


 いつ終わる? いつまで続く?
 体力は限界まで来ていた。
 現在時刻、16時25分。
 あれからずっと逃げ回っている。


 街中、死体だらけ。
 未だに警察や自衛隊はやって来ない。
 ただただ、街の住人が虐殺されていくだけ。


 荒れ果てたコンビニ。
 菓子パンとお握りを貪り食う。喉が詰まりそうになったのでコーラで流し込む。
 ゲップの音でさえ、響かせるのが怖い。


 分かったことがある。これは1人による犯行じゃない。鬣犬のお面を被った集団による、街の住人狩りだ。


 目的は分からない。
 ただ、聞いたことがある。鬣犬のお面の暗殺部隊、「忍」。不都合な存在を消す為、秘密裏に国が作った組織。「現代の忍者」とも呼ばれている。てっきり、陰謀系の都市伝説だと思っていた。


 でも、何故この街に? 街の存在が国にとって不都合に? 湿気と曇り空と憂鬱と狂気。確かに、プラスな面なんてないけど、こんなやり方で? 物理的に消す以外に方法はなかったのか? だって、こんなのあまりにも……。


「だ、誰か……た、助けて、くださいっ……」
 男子高生だろうか。左肩を押さえながら、道の真ん中を歩いていた。目に大量の涙を浮かべて。
「誰か……」


 目が合った、気がした。
 いや、確実に目が合った。
 男子高生がこちらに顔を向け、右手を伸ばした。


 子供が助けを求めている。いつ殺されるかも分からない、街のど真ん中で。
 僕はコンビニの中で棚の影に隠れながら様子を伺っている。いつ殺されるんだろうと、他人事みたいに。


 動けなかった。
 どうしても、動かなかった。


「糞!」
 立ち上がり、ドアを開け、彼の手を引き、コンビニに戻る。
 何度頭の中でシミュレーションをしても、両手両足に力が入ることはなかった。


「ぐっ……うぐぅっ……」
 背後から男子高生を鬣犬のお面の男が忍刀で刺した。貫通し、左胸から顔を出す刃。


「んんっ」
 思わず悲鳴を上げそうになるが、右手で口を押さえる。


 ずちっ。
 忍刀が抜かれ、倒れる男子高生。
 どこかへ飛び去る鬣犬のお面の男。


 お握りと菓子パンを全て吐いた。


*


 いつになく乾いた闇が、街を包んでいた。


 現在時刻、23時15分。
 いくつもの死体が転がる路地裏を歩く。


 一通り吐いて、水分を取り、少し休んでからコンビニを抜け出した。
 ずっとあそこにいたら、いずれ鬣犬のお面の暗殺者達にバレてしまう気がした。


「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」
 奥の方から声が聞こえた。幼い声だった。


 目を凝らす。
 こちらに背を向けるようにして、鬣犬のお面の男が立っていた。彼の右手には忍刀が握られている。


 その奥に、2つの人影。紙袋を被った少年と縦長の張り紙を額に付けた男がいた。男の紙には「私は生きるに値しない者です。」と縦書きされていた。


「だ、誰か……た、助けて、くださいっ……」


 近くに落ちていた鉄パイプを拾った。
 手にしたはいいものの、漫画や映画の主人公のような勇気なんて持ち合わせていなかった。


 ……ご、ごめん……。
 左横に続く路地に逃げようと思った。
 先程の男子高生の死んだ光景が頭の中で何度も再生されるも、何よりもまず死にたくなかった。


 左足を左にずらした。同じ要領で右足もずらす。左側の道に入れるまで、後1メートル。左足、右足、約60センチ、左足、右足、約20センチ、左足……。


「あぶばばばばばば」
 突然、背後から呻き声が聞こえた。


 振り返る。
 目の前に、鬣犬のお面があった。
 背後からは紙袋の少年の悲痛な叫び。


 終わった。


 悲鳴を上げる暇すらなかった。
 鬣犬のお面の男が忍刀を振り上げ、


 ぱんっ、ぱんっ。
 乾いた銃声が、2発。


「うおっ」
 鬣犬のお面の男がこちらに倒れ込んできた。そのまま一緒に地面へ。


 視界の隅で、真っ黒な鳥が乾いた夜空を切り裂いた。


「んぐっ」
 下敷きになった僕は鬣犬のお面の男の身体を両手で抱いていた。左手に生温かい粘液の感触。


「うわぁっ!」
 動かなくなった鬣犬のお面の男の身体を退かし、急いで立ち上がった。左掌にはべっとりと赤黒い液体が付着していた。


 鬣犬のお面の男が死んだ。誰かに銃殺された。
「あ……はっ、はは……」
 死ぬんだ。そっか。殺せるんだ、こいつ等を。


 分かった途端、耳が研ぎ澄まされていく。


 呻き声、悲鳴、硝子の割れる音、何かが落ちる音、懇願……。


 不思議と冷静になっていた。
 そっか、僕達は静かな絶望の中にいるんだ。


 あいつ等も普通の人間。超能力なんて持っていない。まず、そんなものあり得ない。なら、どうする? この鉄パイプは何に使う? 散々逃げてきただろ? 男子高生を助けられなかったのはしょうがない?
 ……違う。違うだろ。そんなんじゃ、僕は……。


「だ、誰か……た、助けて、くださいっ……」


「……や、やって、やる……やってやる」
 状況を理解出来ても、怖いのなんて当たり前。でも、それでも……。


「次は、こっちの番だから」
 右手の武器を強く握り締める。


 あの銃声が、反撃の合図のように感じた。



【登場した湿気の街の住人】

・湿度文学。
・男子高生
・紙袋の少年
・張り紙の男


【暗殺部隊、「忍」】

・鬣犬のお面の男達

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