父がこの世を去って、それから

どうも、あたしです。
今朝、父の四十九日法要を終えました。
今日は父が息を引き取る前後のお話をさせてください。
(本当の四十九日は4月1日です。)


末期癌と宣告された父は一週間入院して、一週間自宅で過ごして…と交互に過ごしていました。そんな面倒なことを、などと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、残りわずかの父の命、本人が入院したい時にして、帰りたい時に帰してやればそれでいいと思っていました。私もなるべくであれば父の側に居たかったですし。

…遡ること数日前、あまりに痛い痛いと訴えるのでその頃にはもう自力では立ち上がることも出来なくなっていた父を素人の私が介助できるわけもなく、病院に電話をして相談をした結果救急車を呼んで良いと言ってくれたので早速連絡をしてそのまま入院してもらいました。

2月11日の午後、病院から「今夜かもしれないので連絡がつくようにしておいてください」と電話がありました。
私はその日、不安で不安で夜通し起きていて、それでも連絡がなかったので朝日が昇って少し安心していました。
朝の8時になって、こちらから病院に電話をかけると「状態変わらないので何かあれば連絡します〜」とゆるい返答があり、そこでもまた安心していました。

その約30分後…

8:26、病院から電話を受けてすぐに向かった。
病室に入ると父の顔色がとても悪く、一点をずっと見つめていた。
「様態の方は?」と看護師さんに聞くと
「すでに呼吸は止まっています」と返ってきた。
電話を受けてすぐに向かったのにどうして、、
なんでもっと早くに連絡をくれないの…と思ったが、それを看護師や医師にぶつけても意味がないのでぐっと飲みこんだ。

お父さん、お父さん、聞こえる?お父さん、会いにきたで、お父さん、お父さん…

何度呼びかけても返事はなかった。
夜中に連絡がつくようにと言われていたので、夜寝てないこともあり、少し視点を変えると父がぼんやり動いてるような気がして
お父さん!とピントを合わすとそれが気のせいだと気づく。
頬に触れるととても冷たい。
私はこの瞬間からこの世界に父がいない人生を送らなければいけないんだと静かに覚悟を決めた。

お父さん、わたし、強く生きるね。

その後少し経って、義理の兄夫婦も到着した。
「どんなん?」「顔色わるいな」
そう言ったふたりに私は「もう呼吸してないんやって」と話した。
心電図のモニターに目をやると0のまま一直線を描いていた。
間も無くして医師がきて、鼓動と目の確認をして、

9:22ご臨終ですと言った。

痛みもなく、すっと亡くなりました。と話す医師に兄夫婦は納得の表情を浮かべていたが、私はずっと父のそばにいて痛みを訴えていたことを知っている。麻酔が効いたのかもしれないが、本当か?と疑問を抱きつつそれを確認する術はなく、医師にぶつけてもそこになにも意味は生まれないことを悟り、
なにも言わず静かに父の顔をずっとずっと見つめていた。

母が死んで5年。
たったそれだけしか生きてくれなかったの?
もっともっと生きて、(母のことを)悪いことをしたら早死にする、いいことをしたら幸せに長く生きられるって証明してよ。
なんで私をひとりにするの。
なんで24年間しか一緒にいられなかったの。

心の中で泣き叫んでいた。
人で溢れる院内で私はひとりぼっちだった。

父は生前、父の両親(私のおじいさん、おばあさん)の葬儀をきちんと責任を持ってやり通しました。その誠実な背中をちゃんと見ていてくれていたようで、その後の通夜と葬式、そして逮夜逮夜の法要などの全てを義理の兄夫婦がしてくれました。私一人だとどうなっていたか…本当に本当に感謝しています。

(しつこく“義理”とつけるのは、今回の件で初めてまともに会話をしたのでまだ慣れていないのと、いくら血が繋がっていても甘えることは出来ないと思っているからです。)

葬式が済んで家に帰るまで、忙しくてあまり感情の起伏がありませんでした。
式中、涙は出たけど一筋すっと流れる程度でした。
だけど、家に帰ってきて写真を見た途端、堰を切ったように涙が止まらなかった。子どもみたいに声をあげてわんわん泣いた。
ちょうど見ていた写真が私が幼い頃、父の腕に抱かれている写真で、この写真に限らずどの写真を見ても父の表情や私を見る眼差しから大切に大切にされていたことが分かりました。

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そういえば、父が死ぬ前、せん妄症状も進行していてもうほとんどまともな記憶は残っていないのに、私の名前すら分からないのに、夜中に目を開けると父が私に毛布を掛け直してくれて、笑顔でじっと見つめてくれていた。まるで子どもの頃のように…と思ったけど、父は私がこの歳になってもずっと夜中に私の部屋にきて寝ていることを確認したら電気を消して寝ている私の布団をかけ直してくれていた。本当は時々起きていて気づいてたよ。
自分はふりかけとご飯だけで食事を済ませても、私にはステーキを焼いてくれた。ハンバーグを作ってくれた。
ずっとずっとそんなお父さんだったんです。

父と義理の兄は親子の縁を切っていて疎遠になっていました。だけど、兄は父のことをちゃんと大切に思ってくれていました。一般的な家庭がどうなのかは分からないけれど、一言では説明できないくらいの複雑な物語があるんです。今回、義理の兄夫婦と初めて関わって、知った話もたくさんあるのでそれもいつかお話できたらいいなと思います。

(いつかプロのインタビュアーの方に是非取材してほしいです。連絡先→akujo.xxx@gmail.com)

今回の記事は日記形式でしたが、私の感情の変化のお話も既に執筆してあるのでまた投稿したら読んでやってくださいね。

画像2

※この写真はまだ生きてくれている頃のものです。

枕芸者しと

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