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自己紹介|東大中退→45日で京大に合格した話

はじめまして。数学講師ごとうです。普段は兵庫県で大学受験のための数学、理科、化学などを教えています。

これからこのnoteには、難関国公立受験の数学受験に役立つような知識、数学問題の「面白い」アプローチ・解法等を書いていきますが、それにあたり、まずは自己紹介を掲載します。


数学を使って人類はどこまで行けるのか?

大阪生まれ大阪育ち、高2のときに、航空宇宙工学という分野があることを知りました。

「ロケットを飛ばすには数学の知識が必要となる」。もともと数学好きだった私は強い関心を抱きました。ロケット自体に興味があったわけではありません。また、数学理論を研究する数学者になりたいとも思いませんでした。数学を使って人類はどこまで未来を見ることができるのか、技術的な部分で一番先を追い求めたかったのです。

たとえば人工衛星を打ち上げる際、数学はどんな影響力を持つのか。「物体を制御する」という物理の考えは、突き詰めていくと数学の分野になります。高校の物理の理論でいけば、人工衛星を地球の周囲を円運動する物体として運動方程式を立てますが、実際には地球の重力だけではなく、太陽からの光の圧力、地球の形状の歪みによる重力の変化、高速飛翔による質量変化、宇宙にある微量の空気等の影響を計算に入れた上で機体の形状をはじめとした様々な特性を考えないといけません。つまり、数学がわかっていないと何もできないわけです。私は航空宇宙工学にロマンを感じ、数学の行き着く先を見てみたいと思いました。

航空宇宙工学で最も名高いのは東京大学で、国と共同で数々のプロジェクトを手がけています。どうせやるなら一番のところがいい。それが私が東大を志望した理由です。もうひとつ動機があるとすれば、高1のときに半分冷やかしで東大の赤本を購入し過去問を解いてみたところ、ある種の手応えを感じたからです。もちろん手も足も出ませんでしたが、「もしかしたらできるかも!」と思えたのです。語弊を恐れずに言えば、「東大って、この程度なのか?そんなに遠くないぞ!」と感じました。

東大から京大へ

現役合格は叶わなかったものの、一年浪人し、私は東大理科Ⅰ類合格を果たしました。そこで出会ったのが、アメリカンフットボールというスポーツです。入学当時、182cm・137kgという恵まれた体格だったこともあり、もしかしたら自分に向いているかもしれない、チャレンジしてみようと、早々に入部を決意しました。

ここで予想外の出来事が起こります。アメリカンフットボールが自分の思う以上に奥深く、面白いスポーツだったのです。部活に熱中するあまり、私は本来やるべきことを見失ってしまいました。東大に入学すると、全学生が教養学部に配属されます。そこで教養課程を2年間経験し、3年次からいよいよ専門課程を勉強することになるのですが、私は結局3年生に進級できませんでした。東大には降年という制度があり、必要な単位数が足りない場合、進級できず同じ学年を繰り返すことになります。 つまり2年生から1年生に降りるのです。東大4年目の9月には卒業できないことが確定してしまいました。

さて、どうしたものか。アメフト部では秋シーズン開幕を控えるその時期に、私はとりあえずセンター試験の出願をすることにしました。

秋シーズンは11月で終了し、その後下級生の育成をしながら部活動を続け、年明け川崎で行われるカレッジボウルで事実上の引退となりました。その年は1月12日がカレッジボウルで、1月17日がセンター試験だったため、追い込みは慌ただしかったのですが(苦笑)どうにか二次試験対策も行い、最終的に京大の工学部物理工学科に合格することができました。実際、試験対策に集中できたのは45日程度でした。

周囲には驚かれましたが、理系科目は暗記ものではないため、正しく理解した知識は忘れることがありません。高校時代に勉強した内容は、確かに自分の中に残っていました。そして、なぜ京大を受験したのかというと、東大と同じく航空宇宙工学を研究する学部があり、また、アメフト部が強かったからです。京大アメフト部は国立校でありながら、私学に匹敵する戦力を揃える全国レベルの強豪校です。京大アメフト部を近くで応援できたらいいな、という思いが私にはありました。

航空宇宙と教育

ただ、東大のときのようにのめり込みすぎてもいけないので、京大アメフト部ではコーチとして、一年間だけチームに帯同しました。しっかりと勉学に励み、学部は4年で卒業。その後、大学院に進みました。そして、いざ就職を考えたとき、「数学で何ができるのか、先の世界を見てみたい」という思いが、私の中で再燃しました。JAXAにはエントリーシートを出すものの縁がなく、また、共同研究を行っていた某重工からの誘いは、希望しない部門への配属の可能性もあったため辞退しました。

最終的に選んだのは教育業界です。航空宇宙と教育はまったく畑違いのように思えるかもしれませんが、教育の現場は「数学や物理が行き着くところまで行けば、こんなおもしろいことができる」ということを伝えられる場であるとも言えます。私はそこに可能性を感じました。

最初に就職したのは、アパレル事業がメインの会社でした。ただ、その社長が京大アメフト部の大ファンで、「高校生に勉強を教えて京大に合格させ、アメフト部に入部させる」というコンセプトのもと、個人資産を投じて塾事業をやっていたのです。教育に興味があり、なおかつ京大アメフト部を愛する私にとっては、うってつけの就職先と言えました。

「しんどい」を「おもしろい」に

今の塾でも、生徒一人ひとりと向き合うことを信条としています。私が常々心がけているのは、生徒に「できるかも!」という感覚をまず持ってもらうこと。基本を徹底的にやった上で過去問を解くと、基本の組み合わせで正解にたどり着くことが理解できるようになります。過去問の中でも難問は除き、当然にして解くべき問題、これができれば合格できる問題を、とにかくたくさん解いてもらう。そうすると、「できるわけがない・・・」が「できるかも!」に変化していくのです。実は問題だけを見ると、国公立よりも私学の方が難しい場合が多いです。基本を徹底するだけで、国公立は受かります。教科書だけやってれば受かるかと言うとそんなことはないですが、結局は基本。そして基本の組み合わせです。それを早い段階で気づかせてあげたいと思っています。

問題を解くことに終始すると、根っこの部分がおろそかになります。根っこを教えて、あとは自分でやってもらうのが私のスタンス。生徒には「どんな質問をしてもいいよ」と言っています。

漠然と「数Bの数列がわかりません」でも構いません。そこで私は考えるためのヒントを提供します。どの根っこが腐っているのか、わからない箇所を特定して集中治療する。対症療法ではなく根治療法を施すことで、病気の再発を防ぎ、生徒の成長につなげています。

終わりに

受験勉強はしんどいものと、勝手に思ってしまっていないでしょうか?自分の実力はこんなものと、限界をつくっていないでしょうか?

勉強はおもしろいし、きっと自分が思っている以上のことができます。「しんどい」を「おもしろい」に変える転換点をつくってあげることが、今の自分の使命なのかなと感じています。「できない」と最初から決めつけるのはナンセンス。まずは「できるかも!」と思って行動を起こすことが重要なのではないかと思っています。

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■国公立大学の数学問題を、思考法を含めて解説しています。

■受験勉強に役立つ、数学コラムを投稿しています。


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