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つれづれなるままに書くこと。

はじめまして、伊東ししゃも(@itoshishamoon)です。
主婦のかたわらWebライターをしております。

最近小学一年生の息子が国語の暗唱課題で「徒然草」を音読していました。
小学一年生で!?とその驚きはさておき(置いちゃうんだ)、700年も前の兼好法師も「徒然草」に書き連ねていたように。
私もつれづれなるままに、noteに向かいて(!)心に移り行くよしなし事をそこはかとなく書き綴ってみようと思います。
初noteは、つれづれなるままに。


肌に合ったSNSを使い続ける

そもそも私がネットと出会ったのは17年も18年も前。
まだ10代だった私が最初に出会ったのは「魔法のiらんど」だった。
当時は画期的だった、自分でホームページを作れるシステムで、SNSなどもない時代、きっと「ネット住民」と呼ばれる人たちは、ネットにたくさんの黒歴史を生み出した。(否、黒歴史じゃない人もいるとは思うけれど。)

それからmixi、Ameba、Facebook、Twitter、Instagramと時代やSNS、ツールが変化していってもなお、私はなにかに書き続けていた。

現在はTwitterメインで生きている私だが、一つだけ確かなのは
その時々で、一番肌に合ったSNSを使い続けている」こと。


一瞬一瞬の繰り返し

そもそも、主婦業をメインとしている私は、一日の半分以上は子育てに捧げているといっても過言ではない。
社会人の頃までは「今日は○○がありました」と振り返れば良かった生活も、子育てが始まると、そうはいかなくなったのだ。

子育てなんて日々が「一瞬」の連続で、
その一瞬一瞬で、状況も、感情も、変化する。

たとえば「赤ちゃんがはじめてあんよした!」
……そんな喜びの次の瞬間には、赤ちゃんが離乳食を全部投げ捨てていて、私の感情は絶望に変わっている、そんなこと日常茶飯事。
だから一日の終わりにブログを書こうとすると、「今日は何を書いていいのかわからない」そんな事態が多々起こる。

一番うれしかったのは赤ちゃんのあんよだけど、その後の3時間の夜泣きで心はすっかり疲弊していて、うれしかったことがブログに書けない……。
そういう毎日に、何年も欠かさず毎日書いていたブログを続けることができなくなり、結果、私は「長い文章を書く」ことから遠ざかることになった。

そんなときに出会ったのが、 Twitterである。


Twitterの安心感

その点Twitterは素晴らしかった。
Twitterは「瞬間」を切り取ってくれる。
状況も感情も変化する毎日で、その一瞬一瞬の気づきをつぶやけるのは、子育て中の私にとってはとてもありがたい存在になった。

もちろんほかのSNSにもそういったつぶやき機能はあるけれど、フォロワーが多ければ多いほどタイムラインが異常に早く流れていく状況下では、なんとなく発信もしやすかった。
「こんなつまらないことつぶやいて大丈夫かな」「大したことなさすぎてつぶやく価値もないのでは」なんて、ほかのSNSでは躊躇していたような「一瞬」も、Twitterだと気軽につぶやけるような、そんな安心感のようなもの。
それが、Twitterにはあった。

私は、みるみるうちにTwitterの住人となった。
……と、言ってしまうとさぞかしフォロワーも多いんでしょう!みたいになるのだけど、すみません、全然いません!!! 
でもね? 身内だろうが顔知らないネット上の友だちだろうが、自分のことに興味を持って、フォローしてくれる存在がそこに少しだけでも居ることが、すごく、すごく、うれしかった。


noteを使い始めてみる

……で。そんな私がなぜnoteを始めたかというと、流行ってるから! とかももちろんあるけれど(むしろ大体そうだけど)、Twitterで語りきれないことが、時折あるから、というのが大きい。
文字数制限が緩和されたとは言え、やっぱりブログなどに比べると書けることが少ないTwitter。
連投、というのも手だけれど、それだとTwitterの良さをだいぶ損なってしまっている感がある。

ブログに戻る事も考えた。
だけど育児ブログだったそれに、ライター伊東ししゃもとしての個を出す文章を、改めて載せる気は起こらなかった。

私は、有名ブロガーさんのように、おもしろくて素敵な記事を書けるとは思わない。人々のためになるような知識を発信することもできない。
プロが何言ってんだ、って話だけれど! ああ、読者さん逃げないで!
だけど、ライターのはしくれ、自分の気持ちや、自分の「個」くらいは、このnoteを通して、書き綴っていけたらなあ……… なんて。

どれくらい続くかは判らない。
でもこれが、私のnote生活の、はじまりはじまり。



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