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惹かれる自分を責めるな

感覚だけで生きてきた。
どうやら、それが私の人生らしい。

心惹かれるものだけを選んで生きてきた。
なぜ惹かれたのか、説明できる理由なんてない。
ただ、気づいたら惹かれていて、気づいたらここまで来ていた。

それが私の人生だ。
それが「幸せな」+「はずである」私の人生だ。

私は、県内の女子高を卒業し、大学で社会学を専攻し、休学して米国へ留学し、英検1級を取得した。現在、外資IT企業に勤めている。

社会的に見たら、あなたはこれ以上何を望むの?
何を悩んでいるの? そう言われて当然だ。

なぜなら、世間的に見て、現在の私は社会学的の言葉を借りれば「社会階層」こそ上位になってしまうからだ。私は恵まれていたし、自分の意志で高校を選択するまでの家庭環境や経済状況のおかげで私が「惹かれる」選択肢が生まれたのは否定できない。だから確かに「文化資本」の作用は大きい。だが、そんなのは今回はどうでもいい。

ただ、私は惹かれたからその選択をしてきた。
そして、私の今があるのだ。

だけど、その分、有り得ないほど苦しんできた。
そして今、惹かれっぱなしの人生で、そんなんでいいのか、
その疑問が頭をもたげてきて、途轍もなく苦しんでいる。

今までの惹かれて選んできたそれは、本当にそれで良かったのか?
これからも、私はそうして「考えずに」生きていくのか?

20代を振り返る。
今考えても顔が赤くなるくらい恥ずかしい失敗と苦しみの数々。
「惹かれた」結果私を苦しめた事柄だらけだ。

例えば、映画。

「惹かれた」映画に、「2年間の時間を溶かす」人生。

映画。高校の時、だれよりも洋画に詳しい友人に憧れた。彼女のようになりたくて、大学の2年間を500本の洋画を鑑賞することに費やした。
サークルにも入らなかった。友達も出来なかった。

例えば、恋愛依存。

「惹かれた」人に、「振り回される」人生。

私は23歳まで恋愛依存が酷く、ダメ男にすっかり身も心も吸い尽くされては空っぽになって、その部分を自尊心だったり趣味だったり、自分を埋めるものでいっぱいにしては、それを全部また吸い取られて埋めなおす、そんなことを繰り返してきた。モラハラ男。DV男。鬱を抱えていた元彼。
私の心は、「惹かれた人たち」に全て持って行かれた。

例えば、外資就活。

「惹かれた」ステータスのために、「2年間を費やす」人生。

英語が出来る、成績優秀は悪くない、とりあえず将来のために稼いでおこう、外資ってなんか「惹かれる」…。無数のインターンシップに参加した。私より何倍も優秀なキャンディデイト達に囲まれ、自分も優秀な気になって、1年と7か月、外資を受けては落ち、受けては落ち、を繰り返し、半分鬱になりかけ、ゲーム依存症になった。


「…恥ずかしい…」「自分、なんでこんな時間溶かして来たの?」

「理性の欠片もないな。」

つい最近まで、そう思っていた。


次に今年、感覚で始めたことを振り返る。

1.小説を書くこと。

今年の1月に何を思い立ったか、幼少期あこがれていた作家を目指し始めた。12万字の小説が書けてしまった。中身は脳内にあるものをただ並べてみただけだった。

つまり。
私は小説を感覚で書いている。プロット?最後まで考えるときもある。登場人物への100の質問?そんなの、書ききったことがない。感覚で書いた。賞にもいくつか出しているというのに、一体この有様は何だろう?私は、本当に真剣に向き合っているのか?絶望した。
本当にデビューしたいなら、出版社が出版したくなるような市場の需要を研究して、語彙力を増やして書けよ、自分。

だけど、楽しいんだよな。楽しくて仕方ないんだよな。
理由なんて、ないんだよな。

2. 推し活。

Twitter民に「惹かれて」Twitterを本格的に始めた。
Disney +のロゴに「惹かれて」Disney+に加入した。
そこで見つけたサマータイムレンダのビジュ(特に潮)だけに「惹かれて」、一話見てみた。
cadodeの「回夏」に開始3秒で「惹かれた」。
cadodeの世界観に「惹かれ」て、ライブに行った。cadode仲間が出来た。
パブサをして、そこで出会った人達に、「惹かれた」。

あ、今なんかすごい人生の幅広がったわ。

楽しいわ。


過去と現在を振り勝った今、もう一度自分に聞いてみる。

「惹かれた」ことに、意味って、あったのかな?

わからない。

だって、あってもなくても関係がないから。

なぜなら。

惹かれた結果傷ついた自分を責めることが、生きていく中で一番辛いからだ。

そして私が行き着いた結論。

「惹かれた自分を絶対に責めるな。」

だってさ。大学の時の自分、惹かれたものの数々。

「過去」を振り返ったとき、私は気づいたんだ。

「惹かれた」映画に、「2年間の時間を溶かす」人生

があったから、米国留学したときに、ネイティブの冗長な会話についていけたんじゃん。楽しかったんじゃん。

「惹かれた」人に、「振り回される」人生

があったから、人の苦しみが分かる人間になったんじゃん。

「惹かれた」ステータスのために、「2年間を費やす」人生

があったから、今の外資から最後の最後に内定貰ったんじゃん。

惹かれた結果、物凄く苦しんだ。
だけどその分、楽しかった。
そしてこれからも、私は惹かれたまま、引かれていってしまい、
沢山苦しむのだろう。
だけど、その分、楽しいことがいっぱいあるんだよ。
「惹かれるものに引かれていく」人生、楽しそうじゃん。

ここまで考えて、私は初めて、自分の人生を肯定できた。
これからも、そんな人生を肯定していくつもりだ。
不器用な私は、それしかできない。

それともう一つ、私を救った言葉がある。
「なぜ生きるのか」そんな問いを、私は小さいときから両親や本や学校や友人に呆れられるくらいまで、してきた。
大学くらいまでは、「まだやることがあるから」だった。

今はもう違う。「生きること」は「生き抜くこと」だ。
私はこの言葉を、母親から貰った。
この世の中は、生きれば生きるほど理不尽なことだらけだ。身近な大切な人の死で、心がかき乱される。楽しみにしていた何かが、一瞬にして、消えてなくなる。死にそうな気分になる。

だからこそ、生き抜いていく世界の中で、惹かれたものに素直になり、
それが自分である、と肯定すること…。それは、一つの生き抜く戦略なのではないか、と私は最近そう思うのだ。


最後になるが、「惹かれる」ものに「 引かれていく」
という私の話を現実の例に落とし込むと、深刻な例も、沢山ある
ことは、良く理解している。
ホストにどうしようもなく惹かれて身を滅ぼすかもしれない。
新興株に惹かれて投資したけど失敗して100万の損失をするかもしれない。例を挙げれば、大変な状況に置かれる方々も、沢山いる。

私には、陳腐なことしか言えないのかもしれない。
だけど、やっぱり、

「惹かれた自分を絶対に責めない」

ことは、自分を救うと思う。
これは、自省をしないこととは違う。
究極の、自己肯定なのだと思う。

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