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インナーチルドレンは遊びたい

“今“という
この瞬間を思えば
《過去からの連なりで“今“があります》

そして
《“今“からの連なりで未來があります》


僕の過去と連なる“今”を思えば
この地球に
【働きに來ていない】
と思うのですね。

たとえ働いていたとしても
【遊びに來ている】
という感覺が僕には確固としてあった
と“今“の僕は認めるのですね🙂‍↕️

どうも周囲と働く事へのスタンスが違うな、
と前々から思いながらも
それでも(‼️)
僕なりの眞面目さで
一生懸命に働いて來たつもりです。
完全に他者を理解できようがないのでしょうが、
自分なりの尺度で
周囲と比較してみても、
働く事で得る
相当なストレスや苦しみ、
生きづらさの強烈な主張を抱えながら日常があったのですね。

そして
“今“になって
ようやく認めたところなんですね。
【僕は働く為に生きていない】と。
それは
その文言に対する頭での理解ではなく、
魂レベルでの実感として起こり得たものなんです。

僕には
【スピリット(魂)=インナーチャイルド】
という持論がありますので、
【働く為に生きていない】
という“今“の大人になった僕の本心とは
《インナーチャイルドの本心である》
と認識しております。

【働く為に生きていない】
というインナーチャイルドの訴えが“今”在るならば、
その“今”のインナーチャイルドまでに至った過去があるはずです。
その時
インナーベイビーとしての僕も大人の自分は宿している事に氣が付きます。

自分の中に宿したものがあればこそ
自己対話は可能になります。
“自分と向き合う“には
自分が中に存在することが大前提なのですが、
つい最近まで
僕というのは
内面に確固たる自分が存在しておりませんでした。

この度、
自身の内面に
インナーチャイルドとインナーベイビー
という
確固たる自己を発見し、
その存在と意思を認め、受容した事により
はじめて
自己対話も自分と向き合う事も可能になったんです。

であれば、
僕にとっては
インナーチャイルドやインナーベイビー
という存在とその意思こそが、
自分の本質であり本心という事になります。
それは
【僕自身の正体】とさえ言えるものにもなります。
自分軸というような自分も
僕にとっては
インナーチャイルドとインナーベイビーが担っていると断言します。

僕のこの経験上では
インナーチャイルドが
『◯◯をしたい‼️』
と思う時、
大人の自分も
ふと
『◯◯をしたいなぁ』
と思います。

たとえばそれが
『トイレしたい‼️』
という
僕の正体の本心
(インナーチャイルド・ベイビーの本心)
であれば、
大人の僕自身ともリンクしている為、
大人の僕も
『トイレに行きたいなぁ』
と思う訳です。

その時に
たとえば大人の僕が
『今は仕事中で立て込んでいるから後にしよう。まだ我慢できるし』
とインナーチャイルド・ベイビーの本心を抑圧する時があれば、
そのことの意味合いは
自分の魂の本心の抑圧であり、
さらには
自分の本質(存在自体)のネグレクトである
というものに当たるのですね。

他にも
複数人のグループの中で
『よーし‼️この後、皆んなで居酒屋に行こう‼️』
となった場合に
自分の本質(インナーチャイルド・ベイビー)は
『えーー😱早く帰宅したい‼️居酒屋より家でゆっくり休みたーい』
と思ったのなら、それは僕の魂からの叫び。
であるはずなのに
『そうだね。ちょっとだけなら👍』
なんて自身の本質と全く違う発言をしてしまう。
このことは、やはり
自分の無視であり、否定となります。

この繰り返しをして
自分が自分を信頼できなくなって行く。

このような過程を
僕の場合でしたら
45年に渡って行い続けてきたことになります。
そうであれば
信頼すべき確固たる自分自身を見失っていても合点がいくもの。
最近までの僕にとって
インナーチャイルドが今も僕の中に存在するなんて、思いも寄らない訳です。
奥の奥に隠されるようにあるインナーチャイルドの存在とその思いが、いわゆるブロックにより阻害されれば生きづらさに関与しますし、自身の使命という話にも関わるものなのですね。

使命というのは魂の望みです。
つまり
魂がやりたい事ですね。

このやりたい事ができない。
できなくて苦しい。
それがブロックの苦しみ。

つまりそれは
魂の生まれてきた目的へのブロックなんです。
ですから
ブロックがあると生きていて苦しむことになる訳です。

そして
内面に自分が無い内は
“自分がやりたい事さえ分からない”
のですね。

もちろん
自己対話不能ですから、
どうする事もできないのです。
ただ世界(世間)に流されるように生きるしかなくなります。
僕の体感ではどう控えめに言っても
これは壮絶に苦しいものでした。
生きていてもそもそも何をすれば良いのか分からないという濃霧のような人生でした。

ここから
冒頭の“働く事“へ話を戻します。

“働く事“というのを
十代の自分の時で振り返れば
それは
義務教育や高校の學生生活というのが
働く事に該当するのかな、
と思うのです。

そのような
學生生活という“今“の自分に繋がっている過去を振り返ると、
当時の僕なりに
一般的な常識に沿うように
或いは
親や教師やPTAの意思に沿うように
眞面目に素直に生きていたつもりなのですが、
やはりね、
当時から生きた心地がしなかったんですね😰
当時のストレスなんて半端ではなかったし、
大人なった“今“もトマウマのように重くあるものなんですね。

さらには
大人の“今“の僕が振り返ると
樂しかった想い出が皆無に近いのです。

そして
“今“の僕がその事を問題視したならば
その問題の原因を探るという行程が踏まれ、
その行程による結果の一つとして、
大人の僕に“今“ある
アダルトチルドレンの問題を通して、
過去から“今“に連なる
インナーチャイルドという原因
に辿り着く訳です。

その原因としてあがったインナーチャイルドに
“今“現在の僕は眞剣に向き合っており、
その中で“今“の僕が思う事は
アダルトチルドレンの問題とは
一言で言えば、その【苦しみ】。
その【苦しみ】という問題を
除去する為に
“今”に繋がる過去からの
インナーチャイルドと向き合っている
ということになるのですね。

このようにこの問題と原因を捉えた場合、
これらは
『二度とそのような苦しみを味わいたくないから』
というネガティヴ要素を取り除く事で、
【フラットにする】
【ゼロ地点に戻す】
という取り組みの域を出ないのです。

つまり
ここで留まるならば
【プラス要素がない】状態での幸せ
というものになります。

もちろん
大きな苦しみを味わったが故に
その苦しみが無いだけでも幸せ
というものはあるでしょう。
しかしながら、
そこには、どこか謙虚な姿勢を見ることができて、
頭優位の大人の僕による
『その謙虚さが奥ゆかしくて素敵じゃないか』
と考える一方で、
『僕自身の幸せに対して謙虚な姿勢って、他者に向けての謙虚さのアピールでは❓』
『謙虚という日本人の美徳を履き違えている。幸せに謙虚って、自分自身の幸せになる権利の放棄だよ‼️』
と大声で叫びを上げる
【僕の本質がいる】
のです📣😬

つまりですよ。
苦しみというネガティヴを除去するだけでは
僕の魂(インナーチャイルド・ベイビー)は
満足しない訳です。

そして、その魂の思いを汲み取れば、
それは確かにそうだと思うのですね。

赤ちゃんが
汚れたおしめを取り除いて貰ったのなら、
それは“苦しみの除去で終わっている状態“にあたります。

僕という(インナー)赤ちゃんは
『そのゼロ地点からのプラスアルファをもって
➖幸せである➖のだよ』
と主張してる訳です。

大人の僕としても
それは確かにそうだよな、
と思うのですね。

・汚れたおしめを取り替えて貰う事だけでも感謝する
・清潔な今ある日常を当たり前と思わない
のような美徳をもって人生論や人間の在り方を説かれたとしても
【僕の本質の幸せは叶わない】のですね。


このように思えば
僕のプラスアルファの幸せとは
冒頭で述べた
【遊ぶ為に生きている】
というものへ帰着するのです。


➖遊ぶ➖

學校や職場で
勉強や仕事をしていても
【ベースは遊んでいる】意識。

遊んでいると樂しいですから
歯を食いしばって勉強や仕事に向かわなくても
かえって
成績が良かったりするものです。

人生を生きるのも同じです。

歯を食いしばって
苦しみと対峙する
【苦行そのもの】としての人生を生きるよりも、
たとえば僕でしたら
アダルトチルドレン問題からの
インナーチャイルド・ベイビーのケアにより
苦しみの除去や緩和を試みて
ゼロ地点へ戻しながら、
ゼロ地点からプラスになる
遊びのポジティブ要素を開拓して行く事で
僕にとっての幸せな人生は歩めるのですね。

その事ですら
僕はインナーチャイルド・ベイビーという
僕の魂(確固たる自己)を内面に認めた事で
発見することができたのです。


そして話はここで終わらないのです。

毒親という言葉が流行り、
親ガチャという言葉もあります。

『親ガチャで失敗して毒親を引いてしまった』

と思うのならば、
『なんで自分だけこんな理不尽な目に』
とそのどうする事もできない性質の事を憎み恨んで、親も自身の生い立ちもその後の親を含む人生も赦せない状態で生きていかなければならなくなるのです。

それは大変に苦しいと思うのです。

心理學によるアダルトチルドレンの治療だけでは
その問題解決に労するものを含めて、
やはりやり切れなくなります。


このような思いも僕にはあった背景から
【魂=インナーチャイルド】である
というスピリチュアルな持論を展開している
“今“の僕がいるのですね😊



長くなりましたね🌴

人生を語れば
話は尽きませんね🤭

続きは
次回以降にしますね🙏


最後まで御読み戴き
在賀統(ありがとう)ございました✨



またね👋
チャオ❣️😊



➖次は意図せず八王子に住むことに。
今の三越前、大手町(王手待ち)、五の職場からの八王子。
八に王ではなく、
“王子“というところがインナーチャイルド。
住んでいる新松戸の読み解きは
新たに待つ(松)
戸=男女の営み
でしたが、本当にそうでした(笑)。
皆んな、待っててくれている安心感😊✨
そして、王子から始められるお得感🉐➖



祭統 白宇
SHIR㊉W

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