命の価値、生きる価値、愛の価値
父は自分自身の愛に価値を見出せず(見出さず)、お金に価値を認めて、【お金を身にまとう自分】にこそ存在価値が在るとした方。
母もまた自分自身の愛に価値を見出せず(見出さず)、他者からの評価にこそ自分の存在価値を計ろうとしている方です。
他者からの評価が良ければ自分に存在価値が在る。
他者からの評価が悪ければ自分に存在価値は無い。
それ故、僕という子供からの評価で母が酷評をもらう事は耐えられない。
僕から直接酷評を受けても辛い。
そして僕という子供が成績が振るわなかったら教師やPTAから母への酷評を受ける事になり、その事は母の生きる価値に対する酷評であり否定になる。
その背景があり、母は僕に東大以上の學歴を求めていました。
僕の氣持ちはもちろん、母自身の心に価値は無く、他者からの評価・評判にこそ価値があった母にとって我が子の特別な學歴はどうしても必要だったのです。
我が子の特別な學歴で母自身の評価は上がると考えて、厳しく激しく僕に學歴を築き上げる事を課しました。
母は我が子の《反抗》や《素直な氣持ちの表現》を恐れました。
僕がそれらを行うと母の評価は下がる。
それは母の命を脅かすもの。
その為、母は僕を徹底的に抑圧する必要があったのです。
母本人は眞剣にそう《思い込んだ》から、それが母にとって正しい事として実践されてきて今があります。
➖母の思い込みには母の命が掛かっていた➖
母方の祖母も同じでした。
周りからの評価・評判により自分の価値は上下すると《思い込んで》生きた方です。
一昨年、寿命で亡くなりましたが最期までその在り方は変わらなかったです。
➖幸せな心持ちで最期を迎えられなかったと思います➖
僕が今思う事は、身近な他者ありきの僕の氣付きであり學びであったという事です。
比較対象として他者が居てくれなければ、僕は僕自身の愛に氣付けていなかったように思います。
とても身近な父と母により、僕は僕自身の価値を感じなくなっていったのは確かです。
見方によっては、とても身近な他者によって僕は僕の本質である愛を見失いました。
僕はこの事実を認めるのです。
でも今、僕は他者のせいにしません。
もちろん、自責もしませんよ☺️✨
でも他責も他罰もしませんね😊✨
なぜなら、
僕は自分が愛で在ると氣付いたんです。
愛の自覺とは僕の自覺。
愛で在ればこそ
愛に責任感は生ずる。
愛の責任は愛としての自立となる。
つまり、
愛で在る僕を責める事も無いし、
愛としての自分に立ち帰ればこそ、
自分に対する責任が生まれ、自立をするのです。
他責も他罰もそこに依存があります。
自立してはいない。
つまり、自分に責任を感じていないのです。
自分が愛で在ると本氣で確信すれば、
格好つけるのでも
良い人ぶるのでも無く
他者を傷つけないのです。
結果的にそうなる。
他者を傷つけないようにという目的など僕にはありませんでした。
僕が僕として樂に生きたかった。
という事は
僕は生き辛かったわけです。
『僕は生き辛いんだ』
ここを直視して認めるまでに45年掛かりました。
僕自身の正直な
感情、欲求、希求は全て押し殺して45年生きて來ていたので、そこを見つけるまでに時間が掛かりましたね。
《僕の場合》の話を
次の記事で書きますね☺️✨
参考になればと思います🌱✨
では後ほど❣️👋
by 祭統 白宇(Shirow )
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