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親子カウンセリング その1

昨日は子どもと親子カウンセリングに行った。

月に2回ほど
もう2年以上通っている。
年度末が近づき、子どもは自分でカウンセリングを終了することを決めた。
残り2回。
私(親のカウンセリング)はもう少し続けようか、迷っている。

最近はカウンセラーさんとも子どもの成長について、振り返りながら話せることが多い。

ほんとうに、随分変わったなとおもう。

親子カウンセリングに行くきっかけは、
小学校の学年が上がるにつ入れて学校にうまく通えなくなり、
私もどうしたらいいか分からなくて・・・

個性とか多様性を認めてとか伸ばしてとかいうけれど、
学校において、それは「まず枠に入れる」のが前提での話。
その枠の中での個性、多様性をOKと言っているわけであって、
枠にはまれないのは、本人のわがまま、親の甘やかしとみなされている感じがした。
少なくとも担任の言葉の端々からそう感じた。
生き残るには別の証明が必要だと感じた。

不登校というのが、クラス運営に迷惑を掛けている感じがして、
いつも学校、周りの保護者に対しては謝っていた。
そんな姿を見せていたことは、子どもに悪いことしたと思っている。
僕がやっていることは、謝罪をするような悪いことなんだと。

なぜ謝っていたのか。
TA(交流分析)のエゴでいえば、
私のACというエゴが反応していたから。
協調性、周りの顔色をうかがう、出る杭になってはならない。
そして謝罪により自分を小さくしておくことで、安心する気持ち。

枠が小さいんじゃい!! 枠がちぃとも優しくないんじゃい!!
RCという反抗のエゴもあったけれど、圧倒的にACが勝った対応をしていた。

AC > RCのわたし

なぜなら、自分の言動でわが子が不本意な取り扱われ方をしたら
それこそおしまいだと思ったからだ。
下手に出て、下手に出てと常に思っていた。
モンペと思われてはならぬ。という思いが強かった。

昔、先輩ママ友から言われたことばがリフレインする。
「学校には子供を人質に出していると思ったほうがいいよ」って。
衝撃的だったが、それは真実の場合もあるのだろうと心にとめている。

WISC検査、支援級への申し込みなどをして
別の証明 
これを手に入れた。

ただの「わがままではない」という証明
手に入れたものは、
「この子は枠に入ってみんなと足並みそろえて進むのは確かに難しいですね」というラベルだけだった。

少しほっとしたものの
だからと言ってそれによって悩みが解決するものではなかった。

自閉症スペクトラム、多動性障害、注意欠陥障害、いずれもぴたりとはまるものはなかった。

治療方法も塗り薬もわからなかった。見つからなかった。
どこのカテゴリーにいるかも不明、どっちに行ったらいいのか分からなかった。

その時は
出来ることなら
普通に学校に通えるようになってほしい

だって、遅刻をしないで学校に行けないまま
小学校卒業しちゃうなんてやばいでしょう

この先どうなるの?

そう思っていた。

普通に学校に通える治療法なんて、
うちの子の場合、そもそも無理なんだと気づいたのはずいぶん経ってからだった。
目標設定を間違えていたのだ。

いまは違う、
目標設定を変えたら、随分と楽になった。

長くなったので続きはまた次回に書こうと思う。



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