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短編小説:ゾンビ勇者を殺したい!

 正直勢いで書いたので世界観設定とか諸々ガバいけど。


プロローグ

「アァ……」

 荒野に響く声が酷くしわがれていたのは、その声の主がゾンビだから……ではなく、単に男の喉がからからに渇いていたからだ。知能を残したまま生ける屍となった男は、アンデット系種族の中でも上位種とされるリッチに分類される。そのため、喉を潤せば普通に人間とそう変わらない発声が可能であろう。

「マオウ……」

 呟き、魔王城のある方向を仰ぎ見た。人々の平和を奪う怨敵の住まう城は、ぼんやりとその輪郭が見える程度で。認識阻害の魔術がかけられていることを加味しても、やっぱりずっと遠くにあるのだということを否が応にも思い知らされる。

「サラ、リウォ、リスト……」

 男が仲間(だったもの)にそう呼びかけるのは、かれこれ十七回目のことだった。返答がないことに落ち込むのも。

「……」

 アンデット系の種族――とりわけ、彼のような上位種――は、人間や魔物に備わっているような三大欲求を持たないという点で他の生物と一線を画す。代わりに心の奥底に湧き上がるのは、あるべき場所にありたいという欲――成仏欲、とでもいうべきか――である。

 当然、男にもそれがあった。そして、それはここに留まっていては叶えられないであろうことも、ほとんど本能的に理解していた。仲間の死体が、アンデットとなり五感が鈍くなった男にも分かるほどに強烈な腐乱臭を放つようになったのも、男がこの場を離れるのを後押しした。

「…………」

 男はもう一度だけ魔王城を仰ぎ見て……踵を返した。魔王城に向かってもも未練は晴らせないと思ったから、ではない。男は単に……怖かったのだ。

 こうして男――勇者の、二度目の旅路が幕を開けた。

ゾンビ勇者を弔いたい!

【勇者レイ、ここに眠る】

 眠ってねえよ。小高い丘の上、心の中で思わず悪態をついた。でかでかと「勇者」の文字が刻まれた、のっぺりとした石碑の下にはごろごろとした石ころがあるだけ。アイツの骨なんてない。賢者も、戦士も、僧侶も同様だ。石碑なんて名ばかりで、何にも背負っちゃいないただのデカい石ころである。

 ……ちなみに「勇者」の石碑は、この丘の上だけで二十個はある。レイは確か、この村で二十七番目だか八番目だかの勇者だったはずだ。そんなに失敗してんだから、上もいい加減懲りろよな。少人数での暗殺とか、作戦に無理があんだよ。まあ予算もかけず何かやってる感を出すには丁度いいのかもしれないけどさ。

 そもそもなんだ、「勇者レイ」って。大きく書かれた「勇者」の文字に追いやられて、肝心の名前の方が小さく、居心地悪そうにしている。「勇者」は「レイ」の枕詞か何かか。それとも、これを掘った奴は「勇者」の方が本名だとでも思っているのだろうか。

 サラ、リウォ、リストに至ってはもっと扱いが酷い。「賢者」「戦士」「僧侶」の枕詞の前に、更に「勇者一行が一人」なんてふざけた序詞がつく。ただでさえレイのよりも小さい石碑なので、名前の部分の文字サイズに関してはお察しである。

「ケッ」

 感情のままに石碑を蹴り上げる。……ただの石ころなんだしバチなんて当たんねえだろ、とは思うが、予想外に心理的抵抗があったのでもうしないことにする。

『村娘というには、君は少し乱ぼ……お転婆がすぎるね』

 アイツの、苦笑交じりの声が聞こえたような気がした。これが幻聴でなかったのなら、村に住んでる女なんだから村娘だろ、文句あっかとアイツの首を腕で固めながら言ってやるところなのだが。だいたい、村娘は頬にそばかすを散らした純朴な生き物、なんて決まりねえだろ。吟遊詩人の歌によく登場するテンプレ的な存在らしいが、いい加減現実を見てほしいものである。

「……帰るか」

 この勇者の石碑が観光名所のような賑わいを見せていたのはひと月ほど前の話で、今は私以外誰もおらず、辺りは静かなものだった。皆余裕がないのだ。魔王のせいで強くなった魔物から村を守るため、柵を作らなきゃならないから。魔王のせいで村の外で狩りをしにくくなった分、農作業に精を出さなきゃならないから。魔王のせいで税金も高くなって(魔王に対抗するための費用に充てる、という話だ。レイ達たった四人に全部押し付けておいてよく言う)、皆生きるのに精いっぱいだから。全部、魔王のせいで。

 だから皆、義理で一回手を合わせたら、それでおしまい。魔王を倒せなかった期待外れの勇者様の扱いなんて、その程度。私だって、今日ここに来るのに家族からあまりいい顔はされなかった。そんなことより農作業を手伝ってくれ、と暗に言いたげな顔で見送られた。

「寂しいもんだな……」

 それでも直接的に止められることがなかったのは、私がレイの幼馴染で、彼の死にひどく傷ついているから、ということなのだろう。勇者とはの自分らと違って、幼馴染の私が落ち込むのはことだから墓参りを許してくれている、というわけだ。

 ……なんかまたムカついてきたな。やっぱもっかい蹴飛ばしてやろうか、あの石碑。

「『勇者レイここに眠る』って、眠ってないよぉ……」
「…………は?」

 私が驚いたのは、こんな場所に人が来ると思ってなかったせいでも、その人物が丘の反対側から登ってきたはずなのに足音が全くしなかったせいでもなく。……ただ、その声に聞き覚えがあったのだ。

「レイ……?」

 え、祟り? 早くない?

ゾンビ勇者を匿いたい!

「ヴィレ? 帰ったのか? 暇なら畑に肥料を撒いてほしいんだが」
「あーっと、あー、わかった、すぐ行くから」

 階下から祖父の声が響いていた。

「…………とりあえず私の部屋に隠れとけ」
「うん、ごめんね……」

 ……連れ帰ってきてしまった。

「ヴィレー?」
「い、今行きます!」

 これ、見つかったらまずいかな。絶対まずいよな……。

 分かっていても、あんな捨てられた子犬のような目で見られては逆らえない。私はあの目にめっぽう弱いのだ。子供時代、レイの背が低いことをからかったりダークワームの幼虫を近付けたりといった嫌がらせをすると、アイツは決まってあの目をした。なんだよこのくらいで、弱虫。そう毒づきながらも、内心ばつが悪くて仕方なかったのを思い出す。

 夕食中もあの子犬の目に付きまとわれているような気がして、出されたパンを「あとは部屋で食べる」と半分以上残した。持ち運びやすいよう布にくるんで、部屋に戻る。

「……」

 レイは腕組みをして、部屋の隅に座り込んでいた。あの時墓地で見たレイは幻だったんじゃないか、ドアを開けても誰もいないんじゃないかと少し思っていたのだが、そんなことはなかったようだ。

「あ、ヴィレ、お帰り」
「ん」

 持ってきたパンを雑にレイの前に置く。レイはぱっと嬉しそうに顔を輝かせ、パンをひとつ手に取った。

 幻じゃない。幻はパンなんて食べない。……ってことは、やっぱり。

「……蘇っちゃったかあ」
「うん、蘇っちゃったの」

 なんとも気の抜けた返答に脱力してしまう。

 魔物に殺された冒険者のアンデット化なんて、この世界じゃよくあることだ。たまに餓死した奴や病死した奴も蘇る。街中だろうが家ん中だろうが容赦なく蘇る。今しがた死んだばかりの愛娘をもう一度、今度は自分の手で……なんて悲劇も、この世界ではありふれたこと。

 メカニズムはまだ解明されていない。アンデット化する死体としない死体の違いも不明だ。若い方がなりやすいのではないか、死体は綺麗な方が……などいろいろと言われているが、ひとつ確実に言えることとして。

「……ってことは、やっぱレイにもあるの、未練」
「多分」
「多分ってなんだよ」

 あっという間にパンを平らげたレイは、困ったように笑って言った。

「わかんないんだよ」
「わかんないって、何が」
「未練」
「はあ」
「ヴィレは知らない? 僕の未練」
「逆に聞くけど、知ってると思う?」
「……だよねぇ」

 そしてまた、捨てられた子犬アイ。やめろってその目。そんな目で見られたって知らんもんは知らん。

「蘇った時、真っ先に『ヴィレに会いたい!』って思ったから、それが未練なのかと思ったんだけど……」
「へ、あ、いや、はぁ!? なんだよ急に!」
「でも、ヴィレの顔見てもこれっぽっちも『成仏しそう!』って感じにならないから、多分違うんだと思う」
「悪かったなお役に立てなくて!」
「なに怒ってるの?」
「別に!」

 ……これっぽっちも、ってこたないだろ、さすがに。

「じゃあ僕の未練って何なんだろう、って改めて考えてみた時にさ、こんな自然の摂理に反してまでしたいことなんて、何も思いつかなくてさ」
「ええ……。じゃあなんで蘇ったんだよお前」
「さあ」
「さあって……」

 魔王討伐じゃねえの、お前にとっての未練それ。思ったけど、言わなかった。

「でも早く成仏しないと、そのうち理性を失って暴れるモンスターになっちゃう……」
「だよなあ……」

 アンデット化の進行速度には個人差があるが、一般的に一か月もあれば理性を失うには十分とされている。

「…………吟遊詩人」
「へ?」
「お前が好きだって言ってた吟遊詩人、明日広場で公演するって。ほら、ナントカって物語の最終章だよ。お前、それ聞くまで死ねないとか言ってただろ?」
「……!」

 ……さて、アンデットの討伐方法には、大きく分けて二種類ある。ひとつは、魔物に向かってそうするように、シンプルに武器などで攻撃を加え、殺害する方法。そしてもうひとつは、未練を無くしてやり、成仏させてやる方法。……別に前者の方法でもいいけど、でも、魔王討伐なんて目標のために命張らされて、それで死んでこうなってんのに、何ももっかい殺すこたないだろ。

 別にレイの言った「聞くまで死ねない」が誇張表現で、額面通りに受け取るべき言葉じゃないとしてもさ、それでも、何もしないよりいいじゃん?

ゾンビ勇者に聞かせたい!

「っつはあぁ……」
「……どうだった?」
「もう思い残すことはない……」
「成仏しないんじゃ、説得力ねえよ」
「あれ、ほんとだ」

 まだ成仏していないことを確かめるように自分の両手を見つめるレイの顔には、お面が嵌められていた。彼がゾンビであること、そして勇者レイであることが周囲にバレないよう、大きなフードのついたローブまで着せてやった。冒険者は顔に傷がある奴も多く、それをお面などで隠したりするのは特別不自然なことでもない(ゆーてガサツな奴がほとんどの冒険者。隠さない奴の方が多数派ではある)ので、これくらいの格好なら周囲から浮くこともない。

「い、いやでも、感動したのは本当なんだよ⁉ 特に勇者があの世で婚約者のヒメと再会するところなんか……。歌声もほんとキレイで、まさに天にも昇る心地っていうか……」
「じゃあ早く昇れよ」
「うぅ……なんか当たり強くない?」

 でもまあ、確かにすごい公演だったと思う。歌なんて興味なかったし所詮レイの付き添いと思って来たのだが、意外と楽しめたな。いきなり最終章を聞いたせいで正直話の筋は全くと言っていいほど掴めなかったが、それでも勇者が魔王と相打ちになるくだりの描写には痺れた。

 ……けど、魔王とまみえることなく死んだ本物の勇者様に聞かせる内容じゃなかったな。こんな内容と知ってたらさすがに連れてこなかったぞ。

「成仏はできなかったけど、聞けて良かったよ! 本当にありがとう、ヴィレ!」

 …………まあ本人はフィクションと現実を区別できるタイプっぽいのでよかった、のか?

「でも、ヒメちゃん死んじゃった……」
「『オシ』だっつってたもんな。悲しいか?」
「うん。ヴィレは死なないでね」
「はあ? 死なねーよ。現実とフィクションは分けて考えろよな」
「…………そうだよね」

 前言撤回。割と混同するタイプっぽいぞこいつ。

「てか、私はそのヒメとかいう女ほどヤワじゃねーし。お前が一番知ってんだろ? ヴィレがヒメちゃんみたいだったらなーって、よく言ってたじゃん」
「あは、よく覚えてるね。もしかして結構根に持ってる?」
「当然だろ。私ってサバサバしてるからな」
「……逆じゃない?」
「いーの! 合ってんの! 自分でサバサバしてるって言うやつは総じて根に持つタイプなの!」
「自分で言うんだ……」

 言い合っている間に、周囲の人はほとんど捌けていた。……いや違うな。元からほとんど聴衆なんていなかった。村一番の吟遊詩人でこの集客である。

「……僕が旅に出る前は、もう少しお客さんいたのに」
「仕方ねーだろ。皆歌なんて聞く余裕ないんだ。私だって、こんなところにいるの親父に見つかったら何言われるか分かんねーから、体調悪いフリして農作業免除してもらって、こっそり来てんだぞ。部屋抜けだしたのがバレる前にさっさと戻んねえと」
「わかってる。ホントに感謝してるよ」
「そうそう。そーやって素直に崇め讃えてろ」

「……キミが、皆が、こういう素敵な歌を堂々と聞ける世界に、僕がしないといけなかったのにね」
「? おーい、話聞いてたか? 早く戻るぞー」
「ゴメン、すぐ行く!」

ゾンビ勇者は捨て去りたい!?

「……結局、僕の未練ってなんだろ」
「だから私に訊くなよ……」

 と言いつつも、子犬の目で見つめられたら無碍にもできず、結局一緒に頭を捻る。

「…………あ」
「! 何か思いついた?」
「いや……」

 思い出すのは、レイが旅に出る前、同行者である戦士リウォと交わした会話。

『リウォ。どこに行くの』
『娼館だよ。お前も付いてくるか?』
『え⁉⁉』
『んだよ違うのか? てっきりお前も俺と同じで、どうせ死にに行く前に童貞捨ててやろうって魂胆かと……』
『は、はあぁ⁉』
『あ? どうせお前童貞だろ?』
『いやあの、そうだけどそうじゃなくて……。僕は、この旅で死ぬつもりもないし、キミを死なせるつもりもないよ』
『童貞は否定しないのな……ってああ、そういうこと』
『へ?』
『愛しの幼馴染チャンが聞いてるところで、娼館に行きますとは言えないよなあ?』
『へ⁉』
『いーっていーって。娼館のオネーチャンに裏口開けとくよう口ぎきしといてやるから』
『だっ、だからいかないって!』

 …………あれか⁉

 いやレイに限ってそれは……。というか、娼館で成仏する元勇者様とかなんか嫌だぞ。いやでも、このままレイが成仏できないのは……。一応、訊いてみるだけでも……。

「……てみたら?」
「へ?」
「だから、ッ捨ててみたら?」
「捨て……? 何を……あっ!」

 急に何かに思い当たったかのように顔を上げるレイ。……え、マジでそうなの?

「そうだよ、日記帳! アレを処分するまで死ねない!」
「……へ?」
「って言うかヴィレ、なんで日記帳のこと知って……まあいいや、ついてきて!」

 は……?

―――
――

「……なあこれ、私ついてくるイミなかったよな?」
「ご、ごめん。なんか流れで……」
「ったく、二日連続で仮病とか、そろそろ怪しまれるぞ……」
「何とかは風邪ひかないって言うから、余計にね」
「あ?」

 なんか流されてレイの家まで来てしまった。……まあ、こいつ一人じゃ何かと不安だしな。道とか迷いそう。

「……さすがに、自分の家までの経路は間違えないよ」
「あ、口に出てた?」
「うん。まったく、ヴィレはいつまで僕の保護者気取りなんだか……」
「お前がどこに行くにも私の服の裾を引っ張るうちは、いつまでも」
「う……」
「ってか、さっさと日記帳取って来いよ」
「はーい」

 ……別に、もうずいぶん前から保護者気取ったつもりなんてないんだけどな。私はむしろ、レイの親じゃなくて……

「取ってきたよ!」
「早っ」
「ウチの庭で燃やそう。すぐ燃やそう。さっさと燃やそう」
「まあ待て。その前にちょっと読ませてよ」
「ちょっと! 僕永遠に成仏できなくなっちゃう!」

 永遠に。それはそれで、と一瞬思ってしまった。村のやつらは全員、「勇者」は死んだと思っている。実質的に責務から解放されたレイと、このままずっと。

 そんな時間、いつまでも続くもんじゃないって分かり切ってるのに。隠し通せるはずがないって。狭い村だ。今日にでも、見覚えのない謎の男の存在に疑問を覚える人間が現れる。レイの仮面を剥がし、勇者様じゃないか、こんなところで何してるんだ、早く魔王を倒してよと急き立てる日が来る。そうに決まってる。

 そうでなくとも、アンデット化が進行すれば成仏どころじゃなくなる。やっぱり、レイは人間として死なせてやりたい。

「……って、煙たっ!」
「ヴィレー、うまく火がつかないよー」
「馬鹿、こーゆーのは枯れ葉なんかと一緒に……」

 日記帳の分厚い表紙に火を点けるのに苦労しているらしい。中の紙も結構いいやつなのか、なかなか燃えてくれない。

「枯れ葉、枯れ枝、意外とないな……。なんかいらない紙クズとかないか?」
「あ、それなら……」

 レイはててて、と一旦家に引っ込んだ後、いくつかの本を抱えて戻ってきた。

「結構本持ってたんだな、お前。そんなに読書家だったっけ?」
「や、まあ……。もう僕には必要なくなっちゃったけど」

 困ったように笑うレイの手から本を一冊取る。剣術の本だった。よく見ると、レイが抱えているのは魔物に関する本とか冒険指南書とか、そんなのばかりだった。

 私は本を破いて、火が点きやすいようぐしゃぐしゃに丸めた。このご時世、紙は貴重品だが、今の私には些細なことだった。こんなことでレイが呪縛から解き放たれるなんて思っちゃいないけど、でも、彼の持ってきた本も全て、ようやく点いた火の中に突っ込んで、盛大に燃やした。

「……ただの火でも、こうして見ると結構きれいだな」
「燃料は僕の恥ずかしい日記だけどね」

 やがて火が消え、煙だけがもうもうと上がる。煙が目に染みて思わず俯くと、燃え残った紙の切れ端みたいなものがちらっと見えた。

 「怖い」と、ただそれだけ書いてあった。

 私はそれをぐしゃりと踏みつぶし、ほら後片付け、とレイに声をかけた。

「だから保護者気取らないでよ。今やろうとしたって」
「何が『今やろうとした』だよ。思春期の息子気取りやがって」
「別にそんなつもりじゃないよ! ホントにやろうとしてたんだって」
「はいはい。っていうか、まだ成仏しないのなお前」
「……ね。僕、本当に成仏なんてできるのかなぁ」

 無い耳をぺたんと垂らし、捨てられた子犬の目で煙が上がっていくのを見つめるレイの姿に、やっぱり私はコイツを、戦場とは関係のない場所で成仏させてやらなきゃいけないと……そうさせてやりたいと心から思った。

ゾンビ勇者と隠れたい!

「……誰もいないか?」
「見たところ……」

 こそこそ、路地裏で言葉を交わす。

 事件はレイの日記を燃やした後、レイの家を出た直後に起こった。

―――
――

「あれ、ヴィレちゃん?」
「げ……」
「げ?」
「い、いやなんでも……」

 向かいの家に住む私と同い年の少女、ティズに呼び止められた。

「おじさんが探してたよ?」
「げー!」
「やっぱり、げって言ってるよね……」
「いや別に……」
「ふふ、おじさんったら、あのバカ娘、体調が悪いんじゃなかったのかー、ってカンカンだよ。仮病なんて使って、こんなところで何してるの?」

 ティズの口調に責めるような空気は感じなかった。むしろ、ヴィレちゃんは相変わらずだなあ、と呆れながらもくすくす笑っている。

「とにかく、落ちる雷の規模を小さくしたいなら早く帰った方が…………あら、そちらの方は?」
「あー……」
「……ふんふん、なるほどお。農作業サボってデートかあ。ヴィレちゃんらしいねえ」
「ま、まあそんなとこ。じゃあ私はこれで……」

 レイの手を引きながら、慌ててティズの横を通り抜けようとする。その時だった。ふわり、一陣の風がレイの被っていたフードを取り去ったのだ!

「あれ、その髪型……」

 ヤバ、と私が思ったのと、レイが私の手を引いて走り出したのはほぼ同時だった。

―――
――

「ごめん……。正体がバレたと思ったら怖くなって、無我夢中で走っちゃった……」
「や、いいよ。私もヤバいなって思ったし……。でも、これで完全に怪しまれたな。あの時点ならまだ誤魔化しようが……あったかは分かんないけどさ」
「……」
「しかもよりによって、ウチと反対方向に走るし。こりゃ帰ったら大目玉確定だな。まあそれはあの時点でほぼ確定してたようなもんだが」
「本当にごめん……」
「まあおかげでこんな人通りの少ない路地に来られたんだし、結果オーライだろ。ほとぼりが冷めるまでここに隠れてよーぜ」

 ……嘘だ。ほとぼりが冷める時なんて来ない。むしろ、時間がたてばたつほど噂が広まって、誤魔化しづらくなるだろう。ティズは噂好きだし、顔の広い兄もいる。この狭い町に不審な様子の、勇者様に似た髪型の男がいたと広まるのは時間の問題だ。

 それでも、酷く怯えているレイを落ち着かせるより優先すべきことを、私は知らなかった。虐待を受けた子犬みたいに、カタカタと震えている。そんなに、怖かったのだろうか。自分が勇者様だと知られるのが。

「私、地味にこの辺来たことないんだよなー。あ、あっちに見たことない建物があるぞ! 行ってみようぜ!」
「あっそっちは……」

 怯えるレイの代わりに、多少強引にでも明るく振舞う。ちょっと先にあった、こんな薄汚い路地裏に似つかわしくない綺麗な建物に向かって子供のように駆け出す。

 ……娼館だった。

「……レイ、知ってたのか?」
「い、いやその……」
「知ってたから、さっき止めようとしたのか?」
「……」

 リウォとこいつの会話を思い返し、私は頭を抱えた。あの後、やっぱりこいつはここへ来たのだろうか。

「入れば?」
「え⁉」
「成仏できるかもしれねーぞ。ほら、天にも昇る心地、って触れ込みあるし」
「それは比喩表現でしょ!」
「比喩表現って知ってるんだあ。レイはもう、天にも昇る心地、カッコ比喩を経験済みなんだあ」
「違うから! 変な言い方しないでよ!」
「……で、入るの?」
「入らないよ! そんなお金ないし!」
「……あったら入るんだ」
「そういう意味じゃないよ!」

 じと、とレイを睨むと、レイは両手を顔の前でぶんぶんと振った。

「それに、こんなところじゃ絶対成仏なんてできないよ」
「……絶対?」
「絶対!」
「ふーん……」
「わ、分かってくれた……?」
「絶対って分かるってことは、やっぱり経験済み……」
「違うからあ!」

 レイをからかいながら、心のどこかで安堵している自分がいた。……自分から入るかどうか聞いておいて、何に安心してるんだか。そんな面倒な女に堕ちたつもりはないぞ。

「……っていうか、金がないわけないだろ。魔物討伐の報奨金とか、それなりにあんだろ? あの世には持ってけないんだから、ケチケチすんなよ。まあここで使う必要はねえけどさ……」
「ないよ」
「は?」
「そんなお金があったら僕はもっといい装備を着ているし、空腹のまま森に入ってゴブリンの集団に殺されることなんてなかったよ」
「……は?」

 レイが何を言っているのか、すぐには理解できなかった。装備どころか、食料すら買えなかったっていうのか? いや、そもそも……

「お前、四天王の一人にやられたんじゃないのか? なんだよゴブリンって……」
「え?」

 レイは一瞬、本気で不思議そうな顔をした。

「……ああ、そういう設定になってるんだ」

 普段の彼なら絶対にしないであろうな吐き捨てるような調子で、ぽつりと言った。

 勇者とは、何だ? どんなに魔物を倒しても食料を満足に買えるだけの金ももらえず、死に様は捏造され、骨すら拾ってもらえない。こんなの、人間の扱いなのか?

「……見つけた」
「!」

 ささやくような声に振り向き、驚く。ティズの兄だった。取り巻きを何人か引き連れている。もうこんなところまで探しに来たのか。

「妹が、勇者様に似た人が君と一緒にいるのを見たと言っていてね」
「……それはそれは」
「ところで君の隣にいる仮面の彼、この辺では見かけないけど」
「私のボーイフレンドだよ。野暮な詮索すんな」
「そうだね。君は勇者様と仲が良かったからね」
「……」
「ウィンド・ブレス」

 私が怯んだ隙に、取り巻きの一人がレイに杖を向ける。正面から放たれた風は途中でその軌道を変え、レイの横っ面を叩く。仮面が、ことりと音を立て地面に落ちた。

ゾンビ勇者を殺したい!

「はあ、はあ……」

 レイの手を引き、走る。後ろからティズが、その兄が、その取り巻きが、斜向かいの家の主人が、裏の家の娘が、私の父が、祖父が、何やら喚き立てながら追いかけてくる。

「なんで勇者様がこんなところにいるんだ!」「死んだってのは嘘だったのか?」「いや、アンデット化したのかもしれん」「どっちにしても、なんでこんなところに」「そうだ、魔王討伐はどうした!」「ヴィレもなぜ勇者様を庇う!」「そうだ、勇者様を引き渡せ!」

 ちらり、レイの顔を横目で見やる。レイは紙のように真っ白な顔で俯いていた。それがアンデット化進行の影響なのかは、分からなかったが。

「……っ」

 目線を正面に戻すと、こちらを見つめる華奢な少女。確か三つか四つ隣の家に住む少女だ。しまった、回り込まれたか。狭い道だ。彼女一人でも十分通せんぼできてしまう。……強行突破しかないか?

「……」
「……?」

 そう思ったが、彼女は私たちがぶつかる直前にひらりと身を躱した。すれ違う直前、何か言ったような気がしたがよく聞こえなかった。

「ごめんなさい、って。さっきの子」
「……そ」

 レイにはちゃんと届いていたらしい。さっきの少女と村人たちが何やら言い争っていると思われる声を背中に受けながら、ひたすらに走った。

―――
――

 気が付いたら、丘の上まで来ていた。レイたちの墓がある場所。私と、ゾンビになったレイが再会した場所。

「……もういいよ」

 ぽつり、レイが呟く。

「もういいってなんだよ」
「……」
「……あ、わかった。アレだろ。成仏する方法が分かったとかだろ。それでもう私の助けはいらないって、そういうことだろ? いやーやっとわかったか。長々付き合わされたもんだな」
「……」
「で、なんだよ、その方法って」
「…………もういいよ。僕を、皆に引き渡してよ」
「……」

 何言ってんだ、という言葉は声にならなかった。

「最初からさ、分かってたんだ。死んだくらいで、魔王討伐から逃げられるわけないって。僕は、勇者だから」

 レイは笑っていた。……違う、子犬はそんな諦めたような表情で笑わない。なあそんな顔、お前らしくないよ。

「きっと、それが未練だったんだよ。魔王を倒せず、道半ばで倒れたことをずっと悔やんでる。勇者らしい話でしょ?」

 でも、お前らしくはない。

「だからさ」

 お前はそれが怖いから、この村に戻ってきたんじゃないのか。私を頼ってくれたんじゃないのか。

「頑張れ、って言って送り出してよ。僕は、それで十分だからさ」
「……っ」

 そんな無責任なことできない、と言いかけて口を噤む。それは彼が勇者に選ばれた日、他でもない私が言い放ったことではなかったか。

 あの頃、我が家には病気の母がいた。魔王さえいなけりゃ、もっと気軽に近所の森に入れて、そしたら母の病気を治せる薬草だって、もっと安く手に入れられるようになる。そう思ったのをよく覚えている。……今も母が生きていたら、私はレイの手を引いて逃げただろうか? それとも……

 レイを人間扱いしていなかったのは、私もそうなんじゃないか? それが、どれだけレイを傷つけたのだろうか。

「ねえヴィレ、お願い」

 レイにこんなことを願わせたのは誰だ? 魔王討伐こんなことを未練と呼ばせたのは誰だ?

「……レイ」
「うん」

 私はそっと、レイの頭に手を伸ばした。レイはまるで幼い子供のようにその手を目で追う。アンデットとは思えない、きらきらと濡れた瞳だった。

「……頑張ったな」

 ぽす、レイの頭に手を置く。

「だからもう、いいんだ。もうこれ以上、他人のために頑張らなくたって……」
「ヴィレ……」

 ぱちり、レイは一度大きく瞬きをして、目を大きく見開いた。私もレイと同じように、目を丸くしていた。レイの体が、白く発光し始めていたのだ!

「え、僕……」

 自分の両手を見つめるレイの姿が、みるみるうちに光の粒子となっていく。

「「……未練って、こんなことだったんだ」」

 ぽつり、思わず零れた言葉はレイのそれと見事に重なった。それが、レイの最期の言葉だった。

 大人たちの足音と騒ぎ声が、徐々に大きくなってきていた。

エピローグ

 こっぴどく叱られた。当たり前だが。仮病でサボった分の作業を取り戻すため、当分慣れない早起きをすることになりそうだ。

 レイのことについては特に怒られなかった……というか、何も言われなかった。あの後、丘に登ってきた大人たちとひと悶着……五悶着くらいあったが、なんせその場に肝心のレイがいなかったので、ティズたちの見間違いという結論に落ち着いた。あれはアンデットだったのではないか、という話ももちろん出たが、あまり広まらなかった。自分たちの村から送り出した勇者がゾンビになった後、魔王城でなく村に逃げ帰ってきたというのは、あまり耳障りの良い話でもない。村人たちからそそっかしいというレッテルを貼られたティズやティズ兄がかわいそうだが、私にはどうすることもできない。

 ティズの父は冒険者用アイテムの製造を生業にしており、その製造に必要な素材が魔王のせいで入手しづらくなっていたのだと、のちに知った。そのため彼女らは現在極貧生活を強いられている、とも。……私には、私たちには、関係のない話だが。

「それにしても、まさかお前が勇者に選ばれるなんてな」
「うん……」

 今となっては、勇者なんてそれこそアンデットと同じくらいありふれた存在だが、未だに勇者が輩出されると軽い騒ぎになる。土いじりをしながら軽く耳を傾けただけなので声の情報しかないが、「勇者様」の方は聞き覚えのある声だった。川の向こうに住む、オーファ。確か、生まれてすぐに母を、そして先月父を亡くし、今は一人で暮らしていたはず。

 ……そういえば、レイも似たような境遇だったか。勇者に選ばれる二、三か月前に両親を相次いで亡くしていたはずだ。

「頑張ってこいよ。お前なら大丈夫って、信じてるからな!」
「…………うん」

 偶然ってあるものだな。わずかに震えたオーファの声を右耳で受けながら、ぼんやりと思った。

 あの丘が石ころで埋まるのと、誰かが魔王討伐を成し遂げるの、どちらが先になるのだろう。


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今日の作業

短編小説執筆 40分
short動画作成 1時間

 間に合ったああああ!

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