「良くなればなんでもいい」ってすごく難易度高い言葉
臨床心理士/公認心理師として精神科で勤務しながら、夜な夜なSNS 界隈で漫画家活動やLIVE配信などをしております。白目みさえと申します。活動内容などはこちらでご覧くださいませ。
先日こんなツイートをしました
「良くなればなんでもいい」という言葉
心理の熟練の先生は
「良くなればなんでもいい」
という言葉をたまに発しておられます。
その言葉を聞くと初心者はすごく「楽になった」ような気がします。
理論や技法を試しても試しても上手くいかないケースを抱えていると
「上手くできなくてもいいんだ!」という気持ちになれます。
それはたしかにこのツイートのように
「上手くやること」が目標になっていて
「目の前の患者様が楽になること」ではなくなっているから
それはそれで良い気づきだと思います。
「患者様が楽になるためにはどうしたらいいのか」を改めてきちんと考えることができますので。
きっと先生方の「良くなればなんでもいい」という言葉は
「理想的なルート」を描くよりも
「この人に合った最短ルート」を見つける方が
役に立つし困らなくなる
という意味合いもあるんだと思います
他人に暴力を振るってしまう子がいたとしたら
「人に対する思いやりを持った子になった上で、人を殴るのはいけないことだと理解して殴らなくなる」
は、たしかに理想的なルートですが。
とりあえず本人の「思いやり育て」は置いておいて、ご褒美や環境調整によって行動を止めることで、結果的に「暴力を振るわなくなる」を目指すこともあります。
それは「なんのためにやるんだっけ?」と考えたときに
周りへの危害ももちろんですが、本人が「暴力を振るう子」と認識されることによって人間関係が悪化したり、本人の自尊心が低下してしまうリスク、「暴力を振るうと言うことを聞いてくれる」と学習して暴れん坊になると自分では歯止めがきかなくなるかもしれない、などなどを考えて「暴力」を振るうことによる周りや本人への影響を考えると、「無くす方がいいだろう」と判断するからです。
そしてその目標を達成するための「理想的ルート」を考えると「思いやりを育てること」になるのですが、それには果てしない時間がかかることがあります。その間も本人は暴力を振るい続けるわけですから、結局「なんのため?」を達成できないまま時間が過ぎていくことになるのです。
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