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【気ままな読書日記】Audible つんつんブラザーズ 怒りと謝罪について考える
森博嗣先生とはだれ?
調べてみたら『すべてがFになる』の先生だった。読んだことはないのですが。
つんつんブラザーズはエッセイ集。
ベストセラ作家の斬新な思考よりすぐり100個。
霧の向こうの未来をほんのり照らす森博嗣《クリームシリーズ》
文庫書下ろし。
経験豊かなかしこい先輩によって綴られる、ためになるエッセイ。
その中からひとつ、一部を抜粋。
謝罪という行為は謝罪しろと命じられてするものではない。自発的でなければ9割がた意味がないということを以前に書いた。すなわち謝罪しろと声を荒げるほど謝罪はできなくなる。謝罪というのはそういうものだから仕方がない。うがった見方かもしれないが、謝罪をしろと訴える側も謝罪をしてほしくない可能性が高い。簡単に謝罪されてしまったら、自分たちの怒りのアイデンティティの持って行き場がなくなるからだ。
(中略)
激しく怒ってしまった人が謝罪ですっきり納得するという実例を僕は知らない。謝罪で解決する例は叱っている側が感情的になっていない、つまり怒っていない場合に限られる。
こういうの読むと私はすぐに対毒親目線へシフトしてしまうのですが・・・・
毒親許すかどうか問題。
「許す派」「許さない派」それぞれに立場お考えがあると思いますが、私の場合は許さない派。
なぜかといったら親が絶対に謝ってこないからだ。謝罪なくして許しなしのスタンスです。だってゴメンナサイしないやつを許すとかある?
私にはできん。心が狭いからね、無理っ。
そんなだから謝られた場合のことなんか考えたこともなかったんだけどーーー上記の先生の指摘はとてつもなく正しい。少々謝られたところで、まず許さないだろーなって思うからだ。あの長い長い苦しみをオマエはゴメンの2秒でチャラにしようってのか!!ってなる。
持っていき場のない怒りを引き摺り続けた経験は、私にも随分長くあった。
罪悪感と怒りがセットになった謎の振り子期間。
しかし。こういうのもまた、形を変えた親への依存なんだろうなって思う。
昔はサンドバッグをやらされ、成人して力がついたら今度は親をサンドバッグにしてぶちのめす。悲劇のヒロインをやっても、代を変えて虐待の連鎖に走っても、結局はみなおなじことだ。
役割が入れ替わっただけで共依存状態にあるのは変わらない。
となると、一見美しく感じられる『許し』行為にすら親の影がチラついちゃあいないか、と思えてきたり(許すためには許す相手が必要だ)。
ホントのゴールは過去のしうちを「んなもん今更どーでもええわい」と思えるようになることかもしれんなって。(※個人の感想です)
そんなことを考えさせられた耳読書であった。
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