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死を恐れるよりも

がんの治療をはじめてから,ときどき感じてたんだけど
自分はどうも,死ぬことの怖さというのが,
多くの人に比べて希薄なように思える

どんなときにそれを感じるかというと
お医者さんががん告知するときの言い淀み方とか
がん治療を振り返るトークを聞いているときとか,
人々にがんについて話すときの,
独特のトーンの変化とか。

相手が死を恐れているんだなと感じる瞬間があり,
私はその感覚が薄いみたいに感じる。

自分は何が怖いんだろう
私は,寂しいのが怖い
私は,驚くのが怖い
私は,嫌われるのが怖い
痛いこと,苦しいこと,孤独を感じること,
大変な目にあいながら,絶望することが怖い
これを書いていて思ったけど,これって
苦痛が高まるなら死ぬ方が楽
という考え方の,別バージョンにすぎないんだろうか?
死については,レビューとか体験談ブログとかないじゃん,
結局透明じゃん,だから,いまいる場所(生きてること)が苦しければ,
そこに行く(死ぬ)のもいいかもって
まさか根っこでは、私はそんなこと考えているんだろうか?

ところで,手術後,もう2か月経つのに
胸を切除した部分に,いまだに週200〜300mlくらい水がたまる
少しずつ減ってきてはいるけど

けど最近,
この水があったおかげで
私は毎週診察に行く口実ができたみたいな
正直にいうと自分にとっては,嬉しい時間だったような気もするんだ
それは,私が社会的な絆をとりわけ求めるタイプの動物だから

子どもの頃,
そんなに手入れも得意じゃないのに髪をのばしてて
いつもボサボサのまま朝ご飯食べてたら
2週間に一度散髪に行く派の父親から
「手入れしない奴は髪を伸ばすな,切れ」
っていわれたりしてたけど

私はそのとき,
「ときどきお母さんが三つ編みしてくれるから,切らない」
と言って,手入れしないくせに髪は切らない宣言をしたらしい

兄弟が多い私にとって,母親が私だけに視線を向ける時間は貴重だったのだ
頭の後ろがさわさわして,お母さんがなんか,
半分三つ編みに集中しながら,ときどきしゃべってくれる感じ
あぁmちゃんは髪がきれいすぎて,
するするほどけちゃうよ,って
ほめてくれるの嬉しかったから
自分では可愛いかと思ってなくても
出来上がったら,ああ可愛いってほめてくれたから

ねえ,本当に怖いのは死ぬことじゃなく,
大切なものを失うことなんだろうか
今まであったすべての人に再会できる機会はもうないかも
治療は計画して計画通り受ける,
流されるのではなく,自分の生きる時間とお金をどう遣うか
計画を立てる

できるだけ不具合が少なく
悲しい思いをすることが少なく生きられますように

ああそうか,わかった
わたしは死ぬことを恐れるのではなく
よく生きられないことを恐れているみたいだ


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